194話『醜悪の極みのようなクソジジイ』
「逃げとけ道化、このクソ野郎はオレが仕留める」
二刀の大剣を抱えて、ゆらりと幽鬼のように立っていたのは、凶暴な視線を前へ向けるアラタであった。
道化師兄弟の弟リンクの前に割って入ってきた大剣使いを、車椅子に乗った術師ラウル・クルーガーは傾斜のついた通路の上で、右手に死体を鷲掴みにしたまま見下ろしている。
「ふぅん、ヒーロー気取りの冒険者か」
「戯言を抜かすな。英雄なんぞになりたくて、こんな商売やってるわけじゃねえ」
アラタが毒づくあいだに、弟リンクは傷の付いた脚を引きずり「ひぃぃぃぃ~~~!!」と悲鳴を上げながら逃げ去っていった。
哀れな後ろ姿を追わず、ラウルはつまらなそうに首を振る。
「やれやれ、お前のせいで贄が逃げてしまったではないか」
そう言いながら、ラウルはこともなげに右手に力を込め、掴んでいた死体の頭部を水風船のようにグシャリと握りつぶした。
脳漿を飛び散らした死体が音を立てて倒れ込む隣で、老僕は背もたれに背中を預けてゆったりと構えている。
「だが逃げられはせんよ。ここは奥に潜るは易いが出るに難い構造だ。ゆっくりと追い詰めて、やつには逃げた分だけより苦しみ味あわせてやるとも」
「オレがここでテメェを殺せば済む話だ」
静かに気迫を発しながら、アラタが鋭い視線で敵の姿を見上げた。
「術師がジジイとは聞いていたが、その通りだったか」
漏らしされた言葉を耳聡く拾ったラウルは、おかしそうに鼻で吹き出す。
「侮るか……? 老人だからと、車椅子を引いてるからと、楽勝だと高を括るか……?」
「それこそまさか、だ。そんな慈悲を与えると思うか? 今までどれだけの人間を喰いモンにしてきた」
「ふむ……どれだけ、か」
一切の油断をしないアラタから改めて聞かれてしまい、ラウルは顎に手を当てて思案すると、真面目にも説明を始めた。
「正確な人数はわからんな、なんせ人間も動物も混ぜこぜに喰ってきた。だが魂の重さでなら言える。魂にも大きさや質量と呼べるようなものがあり、それは精神が複雑な生き物ほど肥大化する、おおよそ自然界では人間の魂がもっとも重い」
素人にもわかりやすいようにと、親切に言葉を並べて、ラウルは枯れ木のような指を五本立てて示す。
「それで言うなら、およそ人間の魂『50万人分』……と言った所か……」
老人の言葉を、アラタは二刀の大剣を手に持ったまま微動だにせず聞いていた。
質問に答えたラウルは「ふぅー……」と大きなため息をついてしばし間を置くと、眼にいびつな笑いを浮かべた。
「軽いなぁ、実に軽い。まぁ生存権の狭いこの世界では致し方ないが、せめて10億程度は行きたいところだな」
「下衆が、死ね」
軽蔑とともにアラタが大剣を担いで走り出した。それを見てラウルも戦闘意識を高める。
先手を打ったのは意外にもラウルだ。車椅子の下から肉を流動させて作った触腕を伸ばすと、そばにあった道化師の死体を引っ掛けて恐るべき力で投げつけた。
高速で迫りくる死体に対し、アラタは即座に大剣を突き出し、真正面から穿ち、割り砕く。ラウルは死体を弄ぶことも、アラタは悪を討つために冷徹になることも、お互いに迷いなくぶつかり合う。
「今までいろんなクソ野郎を狩ってきたが、その中でもお前は特上のクズだな!!!」
「当然だ、どれだけの膿をこの老体に溜め込んできたと思うている」
アラタが振り下ろした大剣の一撃を、ラウルは車椅子を後方に走らせて避ける。戦いを想定している以上、この車椅子はわざわざ手を介さずとも動かせるようまじないを施してある。高速で車輪を回転させる椅子は、見た目よりもはるかに俊敏だ。
「足りんのだ、まったく。憎悪が、悲観が、苦痛が、絶望が!! もっと多くの嘆きを、死を渇望する声を! 遥か遠き過去に取り残された、取るに足らぬ我が望みのため、死への賛美歌を天と地に響かせ、玖遠の時を満たすのだ!」
「ならその声、オレが止めてやろう」
声高々に望みを響かせるラウルとは対照的に、アラタは言葉を沈めた。同時に発せられる凄まじい殺気に、ラウルは眼を大きく開いて危機を感じ取る。
早々に決着を付けようと、アラタの踏み込みが頑丈な肉の床を踏み砕いた。肉片と粘液を踏み散らしてアラタは猛速で走り出し、更に接近しながらマフラーに仕込んだ銃を敵に向けて二度発砲した。
頭部と心臓を狙って二発の弾丸が迫る。待ち構えるラウルは右手を前に掲げると、物理防壁の魔法陣を展開して銃弾を防ぐ。
そしてその防壁を、アラタの右手に握られた大剣がたやすく斬り砕いた。続いて第二撃、左手の大剣を振り落とすが、ラウルの後ろから伸びた触腕が受け止める。
触腕を構成する肉は衝撃による破裂と魔術による再生を刹那に繰り返し、効率的に斬撃を受け止め、更には刀身に肉を癒着させて固定してしまう。
これで攻撃の手段を封じることができた――――そう思ったのはアラタのほうだ。
アラタは両手に持っていた二刀の大剣を躊躇なく手放すと、それまでとは打って変わって、流れる水のような軽やかな体捌きで触腕を潜り抜け、ラウルの真横にまで潜り込んだ。
一瞬で接近してきたアラタを、ラウルは視線ですら追いきれていない。
「早っ――」
「死ね」
冷酷な言葉とともに、アラタの振るったのは手刀。練り上げられた殺人の技はただの手を刃に変じさせ、ラウルの首を斬り飛ばした。
一瞬で付いた決着に驚愕を帯びた老人の生首が宙を舞い、車椅子は後ろ向きに薙ぎ倒され、生気を失った胴体は床の上に投げ出された。
車椅子から生えていた触腕もただの肉塊へと戻り、一体化した大剣とともに地べたに落ちる。
静かになった戦場で、アラタは倒れた老人の死体を見下ろして呟いた。
「首は刎ねた……だがコイツの仲間にクソ吸血鬼なんざがいる以上、油断はできねえ」
アラタは油断しない。今なお戦いが続いてるかの如く気迫を張り詰めさせたまま右腕を持ち上げる。
荒々しき冒険者の右腕は、メキゴキと不気味な音を立て膨張と縮小を繰り返すと、手の平から槍のような骨が突き出てきて、淡黄色の体液で濡れた先端を鋭く光らせた。
「我が遺伝子は精霊たちの祝福を撚り合わせ、異形を滅するために編み出されたもの。その使命のままに……」
言霊を己の肉と骨に与えて意義を再定着させたアラタは、現した骨の槍を振りかぶって心臓へと狙いをつけた。
「悪党どもを死滅させる!!」
骨の槍を突き刺そうとした時、それまで地面を這っていた触腕が癒着した大剣を切り離して動き出し、アラタの刺突を弾き返した。
最後の一撃を防がれたアラタが引き下がる前で、胴体側の切断面からウヨウヨと触手が伸びだして、そのいくつかが転がっていた生首へと突き刺さる。
生臭さと共に蠢く触手が首を持ち上げ、倒れていた車椅子が触腕を支えに立ち上がるのを見ながら、アラタは怯えず眼に力を込める。
「やはりか、貴様も不死者!」
「クク……亡骸を前にして、背を向けなかったことは褒めてやろう」
分かたれたままの首が傲慢な言葉を発し、元の肉体へと戻っていく。
断面はすぐには元通りにならず、細かい触手が傷口から漏れ出していたが、すでに肉体のコントロールは戻りつつあるらしく、ラウルの胴体はビクビクと痙攣し、震える手が肘掛けを握りしめる。
吐き気をもよおす死からの再生に、アラタが二振りの大剣を拾いながら嘲笑ってやった。
「腐った精神通りの気持ち悪い肉体だな! お似合いだぜ!」
「……この肉体は、望んでこうなったわけではない」
「ほう、言い訳か?」
ここに来てラウルが初めて悔いを言葉に表したのを前にして、アラタは即座に傷口をなじった。
それは選択する余地を奪われて歩いてきた者に、もっとも言ってはいけない言葉の一つだ。
触手を蠢かすラウルの顔が怒りに歪むのを見ながら、アラタは勇ましく叫んで再び大剣を構える。
「不死なら不死相手の戦い方をするまでだ! その手脚をもぎ取って、芋虫みてえに這いつくばらせてやる!!」
「やってみろ若造が、調子に乗るでないぞ」
怒気を漏らすラウルが、突撃してきたアラタの大剣を触腕で受け止めた。
通路を走りながら激しくぶつかる二人の戦いは、加速しながらも一進一退を繰り返した。相手にまだ見せぬ手札があることを感じ、お互いともすでに見せた技のみで戦いを続ける。
いずれ状況が傾くきっかけがあるだろう、その時までに少しでも優位に立とうと神経を張り詰めさせ、相手に隙きを作らせようと攻撃を打ち放つ。
戦う内にアラタとラウルは、災厄術式のより深部へと移動しつつあった。
すると大剣と触腕が打ち鳴らす衝撃の合間に、どこからか別の戦いの余波が響いてくることに気付いた。
決戦の途中で視線を滑らせたアラタが見たのは、麗しき翅と黒き羽が飛び交う姿だった。
「あれは……キッカー・ハンサとかいう優男……!」
術式最深部である肉樹の虚から戦いを始めた、翅族の勇士キッカー・ハンサと吸血鬼ハングドマンの二人が、剣を交える内に通路を逆走し、アラタのところにまで近づいてきていたのだ。
そのことにハングドマンも気付き、キッカーの長剣の切り込みを弾くと、ラウルのそばに飛び込んで背中を合わせる。
ラウルは背後に降り立った黒き翼を横目に見ながら、くだらなそうに吐き捨てた。
「ハングドマンか、不甲斐ないな」
「すまない、手こずっているよ」
ラウルは隙を見せないよう注意しながら、目の前のラウルと、後方から感じるキッカーの気配を感じ比べる。
「ワシにはあちらのほうが御しやすそうだ」
「ふむ、ではスイッチと行こう」
それだけを合図に、ラウルとハングドマンはぐるりと己の立ち位置を反転した。
アラタの前にはハングドマンが、キッカーの前にはラウルが立ち塞がり、冒険者たちが戦況の推移に適応する前に勝負を仕掛ける。
ハングドマンのレイピアによる斬撃を、アラタは素早く反応して受け止めた。問題があったのはキッカーのほうであった。
いきなり現れたラウルに対して、キッカーは驚きつつも敵と断じて手に持った長剣を突き刺した。それをラウルはあえて腹で受け止め、傷口から伸ばした触手で剣を持つ腕ごと絡みとってしまう。
「なっ……!?」
キッカーが驚いた時には、車椅子の背後から溢れ出た肉が膜のように押し寄せて、キッカーの翅と体をすっぽりと抱擁し、ラウルへと押し付けてしまった。
肉塊に包まれたまま、キッカーとラウルが間近に顔を合わせる。至近距離から睨みつけてくる老人の顔に、キッカーは焦りを覚えて力を込めるが、肉の抱擁は解けない。
「くっ、離せ!」
「いけないなぁ、腹を刺したからと言って油断しては……あちらの男のほうが優秀だったぞ……」
小言を聞かせたラウルは首を仰向けにすると、喉の奥から嘔吐くような音を漏らし、口からゴポリと肉の芋虫のような何かを吐き戻した。
キッカーが顔を青くする目の前で一匹の肉蟲を口から垂らしたラウルは、口が塞がった状態であるにも関わらず、どこからか愉しそうな声を発した。
「さて、ではお前には駒になってもらおうか」
そう言ったラウルが口の肉蟲を「ピィーピィー!」と鳴かせながら近づいてくるのに、キッカーは恐れを覚えて必死に頭を振り回す。
勇士である彼の胸には、義憤と共に強者の余裕があった、驕りがあった。そのことに気付いてもすべては遥かに遅い。
好男子であるのに額を冷や汗で濡らし、ブロンドの髪を乱れさせて抵抗しようとするものの、体を抱きしめられたこの状態では何の意味もない。
「な、なんだそれは!? 何をする気――いや、待て!! 止めろぉ!!」
キッカーの切羽詰まった声のあと、通路に響いたのは何かが喉を押し通るくぐもった悲鳴であった。
「オボボボボボゴボボボボオェェェェェェ!!!」
その気味の悪い悲鳴に思わずさしものアラタも足を止め、ハングドマンはラウルのした所が何であるかを察して、一旦大人しく身を引く。
「なんだ、何をしやがった!?」
声に焦りを浮かばせるアラタが見たのは、開放されたキッカーがこぼれ落ちた剣を拾うのも忘れて、飛び出さんばかりに目を見開き、涎を垂らしながら喉元を押さえた姿だった。
ルール無用の残虐ファイト。
今日もラウルおじいさんは元気です。




