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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
七章【過去を見るは昏き瞳】
176/235

168話『交じる道筋』

 心象心理の間において、扉をくぐった先にあった光景にイリスは眼を輝かせた。


「わぁ、ここは……!」


 頭上に広がっていたのはあ青空、遠くから聞こえてくるのは波の音。

 一行が足をつけていたのはコの字型をした施設の屋上部分。縁から身を乗り出したアリサが見たのは、視界一面に続く大海原と、その上に立つ巨大な黒鉄の戦艦の姿だった。


「あの最初の病院戦艦の中か!」

「ハイ! あそこの再現のようですね!」


 ここがイリスの心象心理を体現するならば、そこは外せないのだろう。懐かしの光景に、イリスは声を弾ませて答える。

 ナハトは潮風を片翼に感じながら、病院の内側にある中庭を見下ろして、整頓された緑色に心を和ませる。


「綺麗な中庭……中はこのようになっていたのですね」

「ナハトは戦艦のこと知ってたっけ?」

「えぇ、まぁ。わたくしも砂漠でのゴタゴタに少し巻き込まれてまして」


 元々は靖治が入院していた病院が復興後の東京で再現されて、それを更にイリスが戦艦の上で再現して構築されたのがこの病院だ。

 内部の施設はそっくりそのまま似せてあるが、当時ここに生きて過ごしている人は誰もいなかった。ただ一人、長い眠りについていた少年がいるだけだ。


「あん時と違って海に浮かんでるのね」

「元々は海洋での戦闘のために造られたものですから。大阪砂漠に出る必要があったので改良しましたが」


 イリスは清々しい潮風に銀髪を揉まれながら両腕を広げると、ステップを踏んで仲間たちに振り返った。


「私はここを拠点として二百年! 靖治さんの病気を治すために、より高度なナノマシン技術を探し続けたんですよ!!」

「……うん、そうだったね」


 途方も無い偉業を一人で達成してくれたイリスに、靖治は感謝を持って柔らかい視線を向けていた。

 アリサが戦艦の甲板を見下ろしながら、自分たち以外に誰の声も聞こえて来ない船に寂しさを感じてつぶやく。


「ここで二百年か、よくやるもんだわね」

「それだけの期間をお一人でとは、大変だったでしょう」

「ハイ、難航しました。基本的に技術を持ってる人はそれを独占してましたし、探索に出ててはモンスターや荒くれ者相手にボロボロにされて、修復に時間をかけたりもしてましたから」


 頼れる者もおらず、元看護ロボがたった一人で世界に挑むのは傍目には無謀だ。


「でもあんまり辛くはなかったです。というよりも、靖治さんと出会う前には辛いと感じるだけの情緒がありませんでしたから」


 だがイリスは一人でそれをやってのけた。そこに彼女が獲得した自我の底に、確かな強さがあることの証明だろう。

 靖治も、アリサも、ナハトも、敬意を持って見つめていると、イリスは唇の下に指を当てて何事かを考えだした。


「この中に私がいるとしたら多分……こっちです。こっち!」


 明るい声を上げたイリスが靖治の手を掴んで走り出そうとする。

 すかさず靖治がアリサの手を掴み、更に困惑するアリサの手を後ろからナハトが掴む。


「ほい、アリサ」

「えっ、えっ」

「ではわたくしも」


 屋上のドアから病院の中に突撃するイリスの後ろを、パーティみんなが一列に繋がって付いていく。

 奇妙な隊列で階段をカツカツ言わせている光景に、アリサがとぼけた声を呟いた。


「なにこれ……」

「うふふ、こういうのも楽しいですわね」

「あっはっは、いやぁ仲間って良いねぇ」

「ハイ! みんなが一緒だと力が湧いてきます!!」


 嬉しそうに言ったイリスは無人の院内をズンズン進んでいき、大きめなドアの前で立ち止まった。


「ここは院長室があった場所です! この部屋を改造して使用してたんですよ。昔の私の再現なら、多分ここにいるんじゃないかと……」


 そう言ったイリスが扉を開くと、奥は他と違って重厚な金属の装甲に囲まれた部屋だった。その物々しさからここの重要性を感じられる。

 そして部屋の中にいたのは、奥で透明な管のような装置の中で眠る万葉靖治少年の姿と、銀髪をまとめずに垂らし、服をまとわず白銀のボディをさらけ出し、ちぎれた左腕を右手に持ったイリスの姿だった。

 いきなり現れた強烈な姿に、アリサが顔をひきつらせる。


「うげっ! 腕もげてんじゃん!」

「当時は何もかも手探りでしたから。戦闘も今より上手にできなくて、しょっちゅう怪我をしてたんです」

「というか、裸で歩きまわってたので……?」

「最初の頃は服の必要性がわかってなかったんですよね。ロボですし」

「まぁ着なくてもギリギリ問題ない見た目はしてるね」


 過去のイリスは無表情で、ちぎれた腕の断面を見つめている。


『左腕が損傷。修復までおよそ二週間と推定。修復過程の記録を開始します』


 冷たい表情でそう唱えた彼女は、固定用の器具を取り出して傷口に当て、自分で腕にギプスを巻いてちぎれた腕を繋ぎ始めた。

 イリス自身の体もナノマシンでの自己修復機能が備わっている。靖治に使われたものよりは低度の物だが、機械の体を治すには問題ない。おおよその材料を配置しておけば後は勝手に治るというわけだ。


「使ってる機体も説明書のない盗品そのものですし、おまけに性能は感情値によって変動するので、昔の感情が希薄な私は少しずつトライアンドエラーを繰り返してました。今ならもっと早く治ると思うんですけどね」


 感情によって機能を増幅するコアに、芽生えたばかりの希薄な自我は正直相性は良くないだろう。だがそれでもイリスは動き続けた、根底にある感情に突き動かされ。


「外に出れない間は、ずっとここで靖治さんと一緒にいました」


 イリスは優しそうな声でそう語る。

 過去の情景では、コールドスリープ装置で眠る靖治をイリスが無表情のまま一心に見つめているところだった。


「あのイリスはどうしてるんだい?」

「靖治さんの顔を見ていた、ただそれだけです」


 他に何かするでなく、過去のイリスはじっと靖治の寝顔を見つめている。


『万葉靖治……15歳。男性。誕生日は10月10日。体重40.2kg。視力両目0.5。持病以外に障害はなし……』


 治療ログに残された情報を読み上げながら、過去のイリスが右手を伸ばした。

 だがその手は冷たいガラスに拒まれて奥へは届かない。彼女の手が実際に触れるまで、まだ長い時間を必要としていた。


「ああやって、外で傷ついて戦艦に戻ってきて、修理中に靖治さんの様子を見て色々考えてたんです。どんな人なんだろう、どんな声で話すんだろう。どんなものを好きと言って、どんなものに価値を見出す人なんだろう。考えてもわからないのに、ずっとそうやって夢想して、いつか出会うあなたのことを考えていた」


 思い出を語るイリスの横顔は、少し楽しげに見えた。

 きっとまだ薄い感情でも、そこに何かを感じていて、それを何度も何度も繰り返して、一人でアイデンティティを塗り固めていたのだ。


「治療ログを読んで、内向的な方なのかと思ってましたけど、実際は思ったよりずっと破天荒な人でしたね」

「そうかなぁ? おとなしい系だと思うけど」

「どの口が言うか」

「ですわね」

「二人が言うとおりですよ、もう……フフ」


 呆れるアリサとナハトに同意したイリスの微笑みがいつもと違う気がして、靖治はその柔らかい輝きに思わずドキリとした。

 成長するイリスと対比するかのように、過去のイリスは無表情のまま光景を織りなす。

 四人の前でモザイクとともに部屋の光景が切り替わり、新しく現れたのはコールドスリープ装置の隣に座ったロングヘアーのイリスと、そのそばに置いたプロジェクターから光が放たれているところだった。

 壁に映し出されているのは、どうやら映画らしい。


「東京から持ち出した過去の文献を見て、いずれ目覚めるあなたのために情報を蓄えてたんです。もっとも、あんまり意味があったようには思えませんけど」


 プロジェクターを通して色々な場面が映し出されるのに対し、過去のイリスの顔は一貫して無感動だ。様々な人が会話し、笑い、悲しむのを眺めながら、わずかな変化もない。


「当時の私はいまよりずっと感性に乏しくて、画面に映る人の物語の意味を捉えられませんでした。人間とはこういう場面ではこうすることが多い生き物だと、傾向として捉えただけで、どうしてそうなるかはよくわかってなくて」


 それは機械的な学習と変わらず、実感のない知識でしかなかった。どれもイリスの人格を形作るには足らなかったわけだ。


「でも一つだけ、良いなって思ったのがあったのです」


 それに合わせるかのように、映画の内容が移り変わった。

 現れたのは技術が発達し始めた近代で、老いた主と彼に仕えるメイドの姿だった。

 長い髪を頭の上にまとめて縛った女性は、メイドとして物静かに主人に寄り添う。主人を助けるメイドの姿を見るうちに、過去のイリスの首がわずかに持ち上がる。


「主人と寄り添うメイド。これを見て、これが良いって、なんとなく人工脳の回路に浮かびました」


 再び光景が切り替わる。塗りつぶされるモザイクの下から現れたのはメイド服を着たイリスの姿だ。

 まだロングヘアーの彼女は自分の服装を見下ろしながら、おかしなところがないかチェックしている。部屋の中に姿見まで運んできて、あれこれポーズを取り始めた。

 少しずつ進んでいくイリスの微笑ましさに、靖治たちは愛おしさを覚えて目元を和らげた。


「こうやって傷ついた機体を癒やすあいだの、靖治さんのためにあれこれ思考と試行を繰り返す時間が、今思えば楽しかったのかも知れません」


 やがて過去のイリスが垂らしっぱなし髪の毛を邪魔に感じてきたらしく、鏡を覗きながら黄色いリボンで一つに留めた。こうすれば一見すればもう今のイリスとほとんど変わりないが、唯一違うのはやはり無表情なところか。

 すると過去のイリスは真顔のまま鏡の前に立ち、おもむろに自分の口端を指で押し上げた。その可愛らしい姿に、ナハトが思わず大きく口を開いて驚きの声を上げた。


「まあ! もしかして笑顔の練習ですか!? お可愛らしい……」

「えへへ、そうです。頑張って研究したんですよ。健康のためにはメンタルケアも重要ですからね!」

「うふふ、今のイリスさんはよく笑えていますよ。わたくしもよく元気をもらっています」

「本当ですか!? やりました!」


 ナハトからも満点を貰って、イリスはとびっきりの笑顔を披露していた。鏡の前で苦戦する過去の彼女と違い、現在のイリスはその表情に硬さはない。

 それは練習の成果か、それとも、彼女が勝ち得た感情によるものか。


「いつか目覚める靖治さんのことを考えるだけで、私の胸でコアは熱くなった……」


 再び過去のイリスは映画を見始めた。あの主人とメイドの映画を繰り返し閲覧している。

 プロジェクターで映される場面は終盤、床に伏せた主人の手をメイドが握って優しく送り出すシーンだ。


「この映画の結末は、老いた主人をメイドが看取って、メイドさんは涙を流します」

「そっか、死に際まで共にいれたんだ、悪くない結末だね」

「…………でも、私が本当に熱くなったのは次のシーンなんです」


 ふと、イリスが芯の強い声で呟いて、靖治はつい真剣な横顔に目を引かれた。

 映画は静かにクライマックスを迎える。BGMを背景に喪に服すシーンが淡々と描かれる。


「主人の葬式が粛々と執り行われ、すべてが終わったあとでメイドだった女性は新しい服を来て旅立ちます」


 メイドの女性はまとめていた髪を降ろして風に晒すと、白いワンピースにつばの広い白い帽子で、大きなボストンバッグを両手で持ちながら列車の前に立っていた。


「白い帽子を風にはためかせ、大切なものを詰め込んだバッグを手に、駅のホームで青空を仰ぎ見ながら笑顔を浮かべる」


 仕事が終わり、彼女は新たな門出を迎える。これから列車に乗ってどこかへ旅立ち、新たな人生を始めるのだ。

 その姿にイリスは自分の姿を重ねながら、少し羨ましそうに眼を細めた。


「私は、無意識にこれを求めてたのかも知れません」


 映画が終わり、過去のイリスは立ち上がると、最後に一度コールドスリープ装置に振り向いてから部屋を出ていった。

 静かになった部屋でしんみりと語るイリスに、アリサが腰に手を当てながら意地の悪い笑みを浮かべてうそぶく。


「ふーん、ってことはイリスは靖治にとっととくたばって欲しいわけだ」

「ち、違いますよー! そうじゃないです!」

「はぁ……アリサさん、あまりイリスさんをからかわないように」

「あっはっは、僕は別にイリスのためならいつ死んだって良いけどね」

「それじゃ本末転倒ですー!!」


 大慌てで否定したイリスは、苦い顔をして、言葉に迷いながら語りだした。


「私の始まりに得た目標は、まぁそうだったのかもしれません。私は靖治さんの冷たい寝顔を見て自我を獲得した、けれどその時の感動に今なお縛られているんです。靖治さんの終わりを見届けてこそ、私は原初の使命から解放されて、真に一個の命として生まれることができる。それが私の本当の始まりかもしれない、それを私は願っていたのかもしれない」


 イリスはまだ一人で生きるのに足らないのだ。誰に願われるのでもなく自発的に生まれた彼女の存在を支えるものは、未だ使命の他にない。

 使命を果たし、それを自らの誕生の証とすることで初めて、イリスはようやく自分の命を確立できたと言えるかも知れない。


「ねえ、靖治さん。私がそのためにあなたを利用しているとしたら、あなたは私を許してくれますか?」


 イリスがふと、虹の瞳を靖治に向けて問いかけた。その声の端にはわずかな不安は見受けられる。

 だが靖治はいつもどおり、肩の力を抜いてありのままに答えてみせた。


「僕を導くことがイリスにとって必要なら、そうすればいい。イリスなら僕を利用する以上の何かを、達成していけるだろうしさ」


 イリスの道を認め、更にはよりその先を信じて、靖治は愛情を唱えた。

 きっと聞きたかった言葉そのものだったのだろう、イリスは嬉しそうに眼を見開くと満面の笑みを浮かべてみせた。


「靖治さんがそう言ってくれるから、私も元気でいられるんです」


 イリスが自身の欲求と対面した時に揺らがずにいられたのも、こうして自分を大切にしてくれる靖治がいてくれたからだ。

 彼ならどんな自分でも認めて信じてくれるから、イリスもまた自分を信じられる。


「私が出会えた人があなたで良かった。私、当分は靖治さんに死んで欲しくないです!」


 イリスは声を張り上げて靖治の手を取って両手で強く握りしめた。

 お互いに見つめ合いながら歓びを感じているのをアリサとナハトが眺めていると、イリスはグルンと首を回して二人に輝いた視線を向け、次いで二人に駆け寄って抱きついた。


「うわっちょ!?」

「きゃっ♪」


 アリサは驚いて目をしばたかせ、ナハトは嬉しそうな悲鳴を上げる。


「もっちろん! 旅の途中で出会えた仲間が、アリサさんとナハトさんで良かったですよ!」

「ま、まぁ、別にあたしは何でも良いけど、バランスは悪くないんじゃない?」


 首元に腕を回されながら、アリサはしどろもどろに誤魔化すように答えた。

 ナハトは頬を緩ませて、イリスの腕に手を置いてお互いの距離を確かめる。


「わたくしも、出会えた仲間が可愛らしい方たちで嬉しいですわ」

「まぁ、イリスは愛嬌あるしね」

「あら、アリサさんも可愛らしいですわよ? でしょう、セイジさん?」

「うんうん、アリサは可愛いよね。彼女を誘った僕の眼に狂いはなかった」

「んなっ!? 何言ってんのよ気持ち悪い!」


 アリサがつい言葉を漏らすと、すかさずナハトと靖治の生暖かい視線がアリサへと向けられた。

 二人の言葉に納得したイリスが、まじまじとアリサの赤らんだ顔を見つめる。


「ふむふむ、なるほど。可愛らしいという感情はアリサさんから学べばいいんですね!」

「違うわよバカッ!!」


 間近から怒鳴られたイリスは抱擁を解いて後ろへ下がると、つま先を並べて手を後腰に重ねながら軽く頭を下げる。


「みなさん、これからも宜しくお願いしますね!!」


 明るい表情を見せてくれるイリスに、靖治はのんびりとした笑みで、アリサは誤魔化すような顔で、ナハトは礼儀正しく会釈を返し、それぞれイリスの期待に応えた。


「うん、よろしく。イリス」

「まぁ、ほどほどにやってってあげるわよ」

「不束者ですが、できる限り共にいましょう」


 自分を認めてくれる仲間たちを前にして、イリスはにんまりとほぐれた笑みを浮かべるのだった。


「えへー」


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