164話『示されるモノ』
金ピカな和室の大広間と豪勢な宴会の場で、参加者の坊主頭の修験者達から一斉に視線を向けられ、眼光の鋭さにイリスは思わずおののいて後退りした。
しかし相手が何であれ引くつもりはないと、イリスは表情を引き締めて口を開いた。
「何でしょうか?」
「お主。いま自分には縁がないと言ったな」
一番偉そうな坊主頭が言葉を返してくる。
目を細め、見定めるかのようにギラついた視線がイリスを射抜いたが、今度は尻込みせず一歩進んで言葉を返した。
「ハイ、そうです。ここで行われている宴の内容について、知識として知りたいものはありますが、身をもって体験してみたいとは思いません。ロボットなので味覚について未熟ですし、あまり人間のこういった欲望は理解できず……」
「うっふふふふふふふふふふふふふふふ」
眉を動かさず率直に意見を言うイリスに対して、坊主頭達は無垢さを嘲笑うかのように不気味な声を大広間に響かせた。
「お前とて無関係ではない。それが機械であれ心を持ったならどこかに欲が生まれているはずだ。例え今は関心がないと思っていても、お前の欲のいずれかが我らに通じる可能性は無限にある。命はみな愚かなのだから」
そう言い捨てた坊主頭たちはイリスを見つめたままゆらりと立ち上がる。
イリスが拳を固めて構えるも、彼らは気にせず言葉を続けた。
「何をするつもりですか!?」
「我らは己の愚かさを知ったのだ、そして今からお前も……」
すると坊主頭たちの顔の輪郭が灰色になって崩れたかと思うと、服だけがバサリと畳の上に脱げ落ちて、彼らの体は煙のようになって天井近くへと舞い上がった。
燐光のようなものを振りまきながら周囲一面を飛び回る顔だけの形をしたモヤに、イリスは身構えたまま目を丸くする。
「ゆ、幽霊……!?」
『お前の内にある、薄汚い愚かさを見せろぉぉぉおお!!!』
大きく口を開けて慟哭を響かせた幽霊まがいの者たちは、やがてイリスへと飛びかかってきた。
イリスが腕を十字に構えて防御を取るものの、形のない者たちは守りを超えてイリスの胸の奥をスルリとすり抜けていく。
「うっ!? なんですか、これは……!?」
構えた腕にも体にも、何かと接触した感触は一切ない。それなのに背中にゾワゾワとしたものが走り、イリスは肩をすくめて表情を険しくする。
「表在感覚のセンサーに反応なし、でも何だか胸のコアが……気持ち悪い……!?」
まるで胸の奥底をあけすけに見られているような、得体のしれない心地悪さにイリスの芯が震えて吐き気がした。
体を通り抜け、多大な不快感を与えたモヤたちは、大広間の中央に集まって巨大な塊になって蠢く。
『おぉぉぉぉ、見える……見えるぞ……お前の中の奥底にある欲望が……』
這いずるような声を響かせた灰色の塊は、次第にモヤの内側にしっかりとした輪郭を作り始めた。
散りゆく煙の下から現れたのはフリルの付いたスカートに、しなやかさを大事にしたボディ、長い銀色の髪は黄色いリボンで一つにまとめられ、瞳を閉じた顔は完璧な少女を目指してデザインされたもの。
「私の形を取った……!?」
そして開かれた眼は、黒い艶が掛かった深い翠の色合い。
瞳以外はまったくイリスと同一の見た目を取った修験者たちの成れの果ては、複数人の男と女の声が重なった奇妙な発音で、反響音にも似た声で話した。
『お前の器をよこせ……そして我らはもう一度……今度こそ生命の真理に到達するのだ……!! 何故、人は心を得たのか、それを……!!!』
剥き出しの欲望が聴覚センサーに叩きつけられる。
偽の自分が敵意を見せてくるのを前にして、イリスは拳を握り直す。
「戦闘ですか。どうしてこんなところにマナさんが私を導いたのか、今はまだ測りかねますが、私は私を譲る気はありません」
この戦いにどんな意味があるのかわからないが、やることは一つだ。
「向かってくるならば、殴って倒して、超えていきます!!」
畳を蹴って走りだしたのはまったくの同時だった。
一瞬で接近した両者は間合いに入ると、畳を踏みしめて鉄拳を見舞いあった。
同じパワーで入り乱れる鋼の拳が拳に弾かれ、一進一退の攻防を響かせる。
数度拳を交えるとローファーの靴底を互いに振り上げ、相手の腹部を蹴り飛ばして距離を離した。
イリスは衝撃を受けたボディがギシギシと軋むのを聞きながら機体のパラメーターを確認。損傷軽微、戦闘続行に問題はなし。冷静に敵を見据えた。
「動きをトレースしてきますか。パラダイムアームズは……発動に必要な出力が足りないですね」
パラダイムアームズの利便性に懐疑的なイリスだが、相手が自分のコピーならば、不確定要素を付け足すのが拮抗状態を破るに最も手っ取り早いだろう。
だが発動には大量のエネルギーが必要だ、それを胸のコアから生み出すだけの感情値は今はない。
つまりは基本的な兵装のみでこの敵を撃破しなければならないということだ。
「これを倒すことが私に必要なことなのですか……? いいえ、どちらにせよ超えてみればわかること!」
迷っていても仕方ないと、再びイリスは走り出した。
先ほどと違い偽のイリスは前に出ず、その場で腕を上げて防御を固める姿勢のようだ。これ幸いとばかりにイリスは拳を打ち込み、このまま攻勢に立とうとする。
乱打する拳を受けながら、イリスを模った修験者たちは口を開いてきた。
『何故先へ行こうとする!?』
「当然、靖治さんのためです! 私はあの人のために、できることは全部したいんです!!」
攻撃を止めず、イリスは想いのままに純情を響かせる。
「あの人が明日を生きられるために、生き続けられるために、靖治さんの胸を満たす手がかりがあるなら、イリスはどこへだって行きます!!」
叫びとともに渾身の一打を打ち込んだが、拳は防御を破り切れず、打撃を腕で防ぐ渇いた音がだけが後に残る。
攻撃を正面から受けきった修験者たちは、翠色の眼光を強めてイリスのことを睨みつけてきた。
『お前の主人のためにか』
「ハイ! その通りです!」
『違うだろう、それは手段に過ぎない。お前の本当の目的は、もっと別のところだ!』
イリスが毅然と言い放つも、修験者たちは威圧的な言葉とともに力づくで拳を弾き返した。
飛び退いたイリスに対して、同じ顔でニヤリと薄汚い笑みを作った修験者たちが腕を振るって宙空をかき混ぜると、派手な宴会の場が塗りつぶされ、代わりに同じサイズの暗い鉄の部屋が現れる。
「風景が変わった……ここは……!?」
『お前は誰もいなくなった街で眠り続けている男を見て、そこに希望を感じて自我を得た。そしてそのことを奇跡と誇っている……』
修験者たちが指で真っ直ぐ示した先にあったのは過去の光景、コールドスリープ装置の中で眠る万葉靖治の冷たい寝顔だった。
昔あった情景を映し出されたイリスは、彼を見つけた時に湧き上がったものをありありと思い出して自信を持って肯定する。
「そうです! 私は、靖治さんと出会った時に電子回路の奥に情熱を感じた、0と1の狭間に自我を得た! その時の感動を信じたからこそ、私はここにいる……!」
住民がすべて殺され誰もいなくなった東京の街で、それでもと探し求めた先に出会えた奉仕対象。光り輝く存在意義の塊。
そんな万葉靖治を見つけた時に生じた、プログラムの摂理を超えた心を持ちし命の境地に立てたからこそ、その有り余る情熱に押されてイリスは走り続けてきた。
「自我を得た私が、私の意思で靖治さんの命を活かすことを使命と選んだ。だから私は、あの人のために……」
『否、違うな……お前は信じたいのだ、自我を得た自分は特別な存在なのだと。そのことに意味があるのだと。この男は、お前のアイデンティティを確立するための玩具に過ぎない……』
だが修験者たちはイリスの純真を否定する。
果てに秘めた悲観と怠惰を、男女の重なった不協和音に似た声に込めて叫びを上げる。
『それがお前の欲望だぁ!!!』
胸の奥底に鳴り響いた宣告に、イリスは瞳の虹を揺らして驚愕を漏らした。
「私の欲……願い……!?」
◇ ◆ ◇
そんな頃、街の外まで来て修行と言うなのボコボコ試合が終わったあとの靖治は、自分をボコったロイ・ブレイリーと草むらに腰を下ろして楽しい雑談に耽っていた。
「でな? 立ち寄った村が悪党どもに脅されて金品を巻き上げられとった! そこでワシがこの背の剣でズバズバっとな」
「はっはは、そりゃいいですね。爽快だ!」
色んな場所を旅しているというロイの昔語りに、靖治は腫れた顔を笑わせて膝を打っていた。
そうして和やかな時間を過ごしていると、街の方から聞き慣れた声が近づいてきた。
「ちょっとセイジー! こんなとこで何やってんのよ!?」
「おっ、アリサ」
靖治が顔を向けた方からやってきたのは、紅蓮のツインテールを揺らして亜麻色のマントを羽織ったアリサの姿だった。
丸鞄を肩越しに提げて小走りで近づいてきたアリサは、靖治の目の前にまで来ると腫れ上がった彼の顔を見てギョッとして立ち止まる。
「うわっ!? 何よそのボコボコ顔!?」
「あーうん、このお爺さんと修行をね」
「修行……? 弱い者いじめの間違いじゃないの?」
「ううむ、否定できんのう」
悪いことをした気になって髭を擦る老人を見たアリサだが、どうせまたこのバカが無茶やったんだろうと当たりを付けていた。
「あんたまたイリスに怒られ……ってそうだ、そのイリスよ! 何であんた、あいつと一緒にいないのよ!?」
「このお爺さんの連れだったマナちゃんって子に誘われたみたいでね、よくわからないけど一緒に飛び出して行っちゃって」
「ったく、あたしらが気ぃ使ってやったのに……でもあいつ、街の外に向かってたっぽいわよ。何しようってわけ?」
「外に……?」
てっきりあのマナという愉快そうな少女と楽しく遊んでるのかと思っていたが、妙な方向に話が進んでると感じて靖治が訝しむ。
そばで話を聞いていたロイは、何やら察したようで唸り声を上げた。
「ふうむ……マナのことだ、おそらくこの娘が伝えに来るのも織り込み済みかのぉ……」
何やら思案したロイは、結論を出して膝を叩くとやおらに立ち上がって靖治のことを見据えてきた。
「よし、少年よ。行ってみるか」
「場所がわかるんですか?」
「なぁに、舞台になりそうな場所というは決まっているものよ。おおよその見当は付く」
どうするかと投げかけられ、靖治は顎に手をやりイリスのことを想う。
「そうですね、必ずしも僕が行く必要はないと思いますけど……」
靖治は対して彼女のことを心配してはいなかった、大抵のことは大丈夫だろうと信じていた。
が、それはそれとして気にはなる。イリスの身にどんなことが起こっているのか、彼女がそれにどんな答えを示すのか。
ニヤリと笑った靖治は、眼を輝かせて立ち上がった。
「面白いことが起こってるなら、見に行かない手はない! 行きます!」
「ふふっ、そうかそうか。それもまたよし」
後ろでアリサが「またこいつは腹黒な……」とげんなりしてるのを見ながら、ロイは愉快そうに頷いた。




