17話『次元光』
「敵もみんな逃げてくね」
「私達も避難しなければ、格納庫に旅立ちに向けて用意していた車両があります! 」
靖治を肩に担いだイリスは、戦艦から砂漠へと飛び降りると、無人ロボットたちを開放したハッチから格納庫に飛び込んだ。
すでに半数が壊滅したロボットの残骸を通り抜け、イリスは金属の床を靴底で引っ掻いて停止する。
「――これです!」
「これって……」
降ろされた靖治が見たのは、ツヤツヤの白いボディに赤いライン。
箱のような車体に、ランプを載せた一台の――
「救急車?」
「ハイ! 私、元病院勤務ですから!」
彼女の趣味はともかく脱出が最優先だ。イリスがすぐに運転席に乗り込んで車のエンジンをかけるのを見て、靖治も助手席側に乗り込む。
「救急車は何度か乗ったことあるけど、前の席は初めてだなぁ」
「発進しますよ、掴まって!」
「うん、えーっと、シートベルトは……」
エンジンを唸らせた救急車は、二人を乗せて格納庫内を走り出した。
ロボットの残骸のあいだを縫うようにしてハッチから砂漠に出た直後、上から降ってきた巨大な影が車の行く手を阻んだ。
「待ちやがれクソ女ァ!!」
「なっ!?」
「うわっ」
怒りにまみれたミズホスが、加速ようとした車を正面から受け止めてしまった。
前のめりになって急停止する車内で、まだシートベルトを付けていなかった靖治は体ごと弾き飛ばされて、作動したエアバッグに受け止められる。イリスはすでにベルトで固定していたが、どちらにせよ顔をエアバッグに突っ込んでいた。
クッションから顔を上げた二人の前に映ったのは、フロントガラスいっぱいを占領して睨みつけてくるミズホスのいかめしい顔だった。
「こ、こんな時まで!? 信じられません、生存より戦闘行動を優先するなんて!」
「駄目だよこりゃ、完全に血が上ってる」
「ワシのことコケにしやがってクソガキ共ガァアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
間近から凄まじい肺活量で発せられた怒鳴り声の衝撃が、フロントガラスを粉々に砕き散らす。
靖治はとっさに腕でかばって飛来する破片を防ぐ。顔の上半分は間に合わなかったがメガネを掛けていたおかげで目を守ってくれた。
「マズい、このままでは――」
イリスは車のレバーをRへ動かすと、バックでミズホスから逃れようとするが、砂上で車体を掴まれては、どれだけエンジンを吹かしても、タイヤが砂をかき出すだけだ。
機械の脳に焦燥が募る中、上空からのしかかっていた重圧がフッと消え去るのを感じて、イリスは愕然と上空に顔を向けた。
「――転移が、くる!!?」
◇ ◆ ◇
戦艦に潜入した仲間を回収したオーガスラッシャーの面々は、輸送車を走らせて無人ロボットの追撃を受けながら逃走していた。
20機近いロボットが砂塵を巻き上げて追いかけてくる様子を、車両の上に乗っかったケヴィンが、パワードスーツのセンサーを光らせて後方を振り返った。
「アニキ! 早く早く! 向こうさんメッチャ撃ってきてるッスー!」
「わかってらあ! こっちは全力安全運転だぜ!」
輸送車に対して、ロボットたちからの機関砲がしきりに飛んできては装甲を叩く。
今のところ車両は無事だが、走りにくい砂漠でこうせっつかれては、全速力を出すことはできなかった。
ハヤテは車両が横転しないように必死にコントロールしながら、サイドミラーから背後の様子を伺う。
「よぉーし、ジリジリ距離を離してるな、これなら」
「ロケット弾キター!!!?」
「――ウポレ! 防げ!!!」
指示とほぼ同時にウポレは助手席の窓から身を乗り出すと、後方に顔を向けて何事かをつぶやく。
「万物に宿りし精霊たちよ、今一度その力を表し我らを邪悪より救い給え」
神妙に言葉を並べたウポレは、分厚い胸板をドンと叩いて響かせて気合を一発、叫び声を上げた。
「――ボォオアアアアアアアアアアアア!!!」
光を歪ます音波がウポレの大きな口から発せられ、輸送車に襲いかかってきたロケット弾を弾き飛ばした。
空中で信管が作動して爆発が巻き起こるのを尻目に、車両は悠々とロボット軍団を振り切って逃走に成功した。
だがこれですべての危機から脱したわけではない。
「重力場の異常を検知! 転移が来るッスよー!」
「風の精霊が囁いている……上からくるやつウホ」
「そうか」
ハヤテは運転を続けながら、窓から手鏡を出して背後の上空を確認した。
「見ろよ、来やがるぜ」
すでに戦艦から離れつつあった彼らからは、空模様の変化がよく見えていた。
青空に差していた不気味なほど華麗なオーロラが、それまでゆったりと揺らめいたのを停止させる。
動きがなくなった空は、オーロラの虹色がギラギラとしているのに、妙に静まり返ったようにも感じられる――かと思いきや、空間そのものの振動が不気味な低音となって地上を揺らした。
砂埃が沸き立つ上で、オーロラは中央の一点にまるで吸い込まれるように渦を巻いて収縮していき、まるで光の玉のような形にまとまると、暗い"穴"に置き換わって刹那で閉じた。
そこから現れたモノが、青空に影を作る。
"それ"は落ちてくる。最初は糸のようにしか見えなかったモノが、風を引いて地上に近づくに連れその輪郭がはっきりと、表皮のおうとつから、肌のシワのところどころに生えた産毛まで確認できた。
泥のような浅黒い表皮に、細長い体躯。先端部には牙を円形に並べた口がある。
『ワーム』系のモンスターといえば大体の人が理解できるだろう、その最大公約数を並べたような形状の化物。
ただし、サイズが"10km"を超えるほどの。
あまりにも巨大すぎる躰が落ちる様は、遠くから見るとまるで、ミクロの世界を激写したスローモーションビデオのようで、現実感などどこにもない。そのくせ、あまりにも重々しすぎる空気を歪ます落下音だけがやけにリアルで、見るものの臓腑を揺らした。
空中で身をくねらせていたそれは、巨体の中央部の辺りから落下してきた。太さが直径1kmはあるボディが地上に接触すると、大阪の砂漠は容れ物をひっくり返したような衝撃が襲った。
地震と間違うほどの強い揺れが長い時間続き、続いて巻き上がった土砂が大波のように周囲に広がった。
あまりに大きすぎる衝撃と砂の波に、それまで戦場となっていた戦艦は下からすくい上げられ、同様に靖治たちが乗っていた救急車とミズホスも空中に跳ね上がった。
「うわあああああああ!!?」
それまでマイペースでいた靖治も、今度ばかりは大きな悲鳴を上げた。
ミキサーのように滅茶苦茶な回転運動をしながら、二人を乗せた車が宙を飛ぶ。
車両を捕まえていたミズホスも、流石に堪えきれずに「ぬおおおおおお!!?」と声を上げてどこか別の場所に飛ばされていった。
シートベルトをまだ付けていなかった靖治は、必死にシートにしがみつくが。非力な彼では空中で自分を固定できず、割れたフロントガラスから飛び出てしまう。
「靖治さーん!!!」
慌ててイリスが手を伸ばすが、指先を掠める間もなく靖治は離れていってしまった。
軽い体が投げ捨てられたおもちゃみたいに空を舞い、やがて後続からやって来た砂の波の上に背中から落ちると、波を滑るようにして、地上へと落下していった。
「わああああああああああ!!!?」
地上に落下した靖治は、落下の衝撃で体中を打ちのめされながら、砂の波に飲まれて数十メートルの距離を流され続けた。
ようやく動きが止まったときには、砂に埋まったまま全身打ち身で激痛だらけ。普通の人間なら動けないところだが、過去に何度も生死の境を彷徨ってきた靖治は、痛いということは生きているのだということを知っていた。
ミズホスの怒声のせいで耳も聞こえないし、体を強く打ったせいで肋に二箇所ほどヒビが入っている。
だがナノマシンが彼の体を治していく。すぐに骨のヒビが治るほどの効力はなかったが、鼓膜は真っ先に修復されたし、気合で動ける程度には体の機能も復帰した。
靖治は痛みで意識が混濁しながらも、無我夢中で腕を振り回すと、運良く地表に手が伸びて、そのまま体を引き起こした。
「っぷはぁ!」
新鮮な空気を吸い込み、体に鞭打って起き上がろうとする。
「ぐっ……慌てるな……生きてる……生きてるなら、動ける……!!」
朦朧としながらも、彼の網膜が砂に埋れたメガネを捉えた。どうやら外れたが一緒に流れてきてくれたらしい。
未来技術で作られているだけあった傷一つないメガネをかけ直すと、体から砂を零しながら立ち上がった。
口の中も砂が入ってジャリジャリしていて、唾に絡めて吐き捨てる。
「ぺっぺ……う……イリスは……」
相棒を探して振り返った靖治の視界に飛び込んできたのが、打ち上げられた戦艦が砂漠の上に突き刺さるようにして落ちる場面だった。
だが衝撃的な瞬間も、その向こう側にいた存在感で意識から吹き飛ぶほどだ。
正確な大きさを測ろうとするのが馬鹿らしくなるほどの巨体と質量。産毛の一本だけでも何百キロになるのかわからない。
あまりに生命としての規模の違いすぎる存在を前にして、靖治は何も言えず立ちすくむ。
そんな彼の小さな姿を遙か先から見下ろすワームは、頭部を持ち上げて空に向けると、ワシャワシャと牙を動かして、口の奥から甲高い声を発した。
――ギュピイイィィィィィイイイイイイイイイ!!!!
ひと鳴きだけで風が荒れ狂い、頭上の雲がワームを中心に逃げていく。
邪気を孕んだ熱風が吹きすさぶのを、靖治は全身で感じながら呆然とこの化物を見上げていた。
「は……はは……どうすれば……?」
蛇に睨まれた蛙と言うが、それよりももっと悲惨で絶望的な状況だ。向こうはこちらを睨んできているわけではないのに、ただそこにあるだけで死を確信するほどの差がある。
あまりにも理解しがたい存在を前にして、立ち止まってしまう靖治に、激励が飛んできた。
「走って靖治さん!! 少しでも遠くへ!!!」
ハッとなって地上に目を向けると、遠くの方で砂漠に横転した救急車からイリスが這い出てきているところだった。
確かに、彼女の言うとおりだ。まだ自分は生きている、終わったわけじゃないのなら生存の余地はある。
可能性をわずかでも広げるために、今はあの怪物から一歩でも距離を取るのが合理的だと足を向けたが、そこで止まる。
「走る……? ボクが……」
靖治には、その言葉は酷く現実味がなく、ともすればあのワームよりも重々しい意味に聞こえた。
靖治は生まれたときから、ずっと心臓の病気と付き合ってきた。過度に興奮することを禁じ、遊ぶことを禁じ、あらゆる行動を抑え込んで生きてきた。
走ったことなんて一度もない、イリスから病気が治ったと簡単に言われても、まだ心の奥底では元気になった自分なんて想像がつかなかった。自分が人並みに走れるだなんて、信じられなかったのだ。
足が動かない。もし走り出したら、胸の奥底で心臓が破裂して死んでしまうんじゃないかと、そんな気がしてしまう。
走り出すのが怖い、踏み出すのが怖い。イリスと出会ってからのこの短い時間がすべて泡沫の夢で、前に出た瞬間にそれが弾けて消えてしまうような気がした。
だが、それでも――
『明日に終わるかもしれない命でも、生きてるって言える?』
『言えます! あなたの明日は私が護りますから!』
靖治は弱かった、弱かったから、常に自分を助けてくれる誰かを心から信じなければ、生きようとする意志すら支えられなかったであろう。
かつて靖治は姉を信頼した、愛しき姉が弟の生存と将来を信じてくれていることを信じた。
それと同じように、今度はイリスを信じる――いや、信じたいのだ。
「君が僕を信じてくれるなら、僕もイリスを信じるよ」
イリスへの信頼の証を立てるために、これまで自分がやり通したことを続けるために、自分を助けてくれたすべての人のために。
往かなければ――
「はっ……はっ……!」
砂を踏む、イリスが用意してくれたスポーツシューズは軽量だけど頑丈で、しっかりと足を包んで護ってくれる。
初めての速さで手と足を動かす。体の捻りが肺を押し出し、自然と呼吸もその速さに合わさってきた。
手に力が入る。夏の朝の温まってきた空気をギュッと握りしめ、もっと早く。
目を見張る、頬を風が撫でてくれる。一歩ごとに体の重さが骨身に沁みる。
肺が呼吸を熱望して、こんなにも空気の美味しいと感じたのは初めてのことだから、とってもドキドキした。
心臓が胸を叩く、その鼓動に怯えて体がビクリと震えたけど死んじゃいない。
「ハッハッ……!」
生きている、走れている。
振り返ると砂に足音がズラリと並んでいて感動した、見たことない景色がどこまでも広がっているのだ。
慣れない動きにバランスを崩してよろけたけどすぐに持ち直す。脚に込められた力に、自分はこんなにも力持ちなんだと驚いていた。
体が前に進むことの面白さに、靖治は夢中になって体を走らせた。
「ハッハッ! ハッハッ! は――ハハハハハハ!! 走ってるボク、走ってる!! ボク走れるんだ! ボクは今自由だよ姉さん!!!」
靖治は絶望に背を向けて、彼の唄を歌い上げた。
はるか後ろではワームが突き刺さった戦艦を貪り食っていたけれど、そんなことはどうだっていい。それよりも待ちわびていたこの時を、このかけがえない瞬間を楽しみことがずっと大切だ。
「――靖治さん!」
掛けられた声に左を向くと、ボロボロの救急車に乗ったイリスが並走していた。
彼女はドアを蹴り飛ばした。フレームから外れたドアが、砂の上に置き去りにされて遠ざかっていく。
開放的になった運転席から、イリスは右手を伸ばしてきた。
「手を!!」
伸ばされた腕はボロボロだったけど、不思議と信じられた。
靖治は返事をしたかったけれど呼吸で精一杯で何も言えず、代わりに走りながら自分の左手を伸ばした。
速度を維持したまま車をゆっくりと近づかせたイリスは、靖治の手を握りしめると彼の体を引っ張った。
その手の力強さに靖治も合わせて地面を蹴る。二人の呼吸はピッタリと合って、靖治はまるで吸い込まれるようにイリスの膝の上にのしかかった。
「よし!」
イリスは靖治を膝に乗せたまま、アクセルを踏み込んだ。エンジンが音を猛烈に増し、スピードが加速する。
フロントガラスが損壊していたため、車内は砂だらけな上に風が入って快適とは言えない。操縦者がロボットでなければ、風がきつくて運転は難しかったはずだ。
ゼェーハァーと荒々しく息をする靖治は、苦しさを飲み込むイリスの上から退こうとした。
「ひとまず奥へ!」
「ハァ――ハァ――――うん、ありがとう!」
イリスに押してもらって、救急車の後ろ側に移動した。
本来ならストレッチャーなど救急搬送の器具が用意されているはずだが、それらは取り外されており、代わりに多数のコンテナや銃器が押し込まれていた。おそらく旅立ちのためにイリスが備えたのだろう。
「靖治さん! 風が入ってくるせいでスピードが出ません、バックドアを開けて下さい!」
「わかった、他には?」
「捨てれそうな荷物は全部捨てて下さい、車体を軽くしましょう!」
「了解!」
靖治は重たい体を押して起き上がると、後部に這い出てバックドアにすがりついた。
緊急車両をベースにしたこの車は、内側からでもバックドアを開けられるようになっていた。開閉レバーを確認して、慎重に掴む。
「開けた瞬間に風圧がかかります、落ちないように気をつけて!」
「わかった、行くよ。3、2、1……よっと!」
コンテナにすがりついたままバックドアを少し緩めれば、あとは風圧で勝手に全開になってくれた。
開かれた扉の向こうには、戦艦に齧りついてグシャグシャに崩壊させたワームが、また鳴き声を上げているのが見えた。
風の通りが良くなって走りやすくなり、靖治が落ちていないことを確認すると、イリスはより車を加速させる。
「捨ててくよ!」
「お願いします! やつもこっちに気がついてきたみたいです!」
ワームは巨大な頭部を二人の乗る車の方へと向けてきた。彼らを見ているのか、その先の街が狙いなのか、どちらか不明だが全てを尽くして逃げるしかない。
靖治は積まれている途中だった銃器や弾倉から順に捨てていった。砂漠の上に転がった重たい軽機関銃やロケットランチャーが、砂に刺さってあっという間に遠ざかる。
手で持てそうな荷物を捨てきったら、今度はコンテナの投棄に移った。イリスの座っているシートに足をつけると、コンテナをほぼ平行に押し出す。
「ふん、ぬぅ……!」
非力な靖治にはキツイ作業であったが、火事場のクソ力と言うべきか、上手くやり遂げられた。
外に放り出されたコンテナは、地面につくなり蓋を開いて、中に収められていた食料や水が散乱していった。
すべてを捨て終えて空っぽになると、靖治は額の汗を拭き、イリスとシート越しに背中合わせになって座り込んだ。
「はぁはぁ、終わったよ!」
「よし……靖治さん、こちらも車両のオート操縦プログラムが完了しました。砂漠の状態に合わせるのは大変でしたが、これで大阪まで行けるはず」
「イリス?」
彼女の言葉に不穏なものを感じて、靖治が振り返る。
「私の機体重量は180kg、私が降りればこの場の生存率は上がります。ダッシュボードにお金を積んでいますから、それを持って大阪の統治者にあたって下さい。彼は積極的に子供を保護していますから、そこに行けば当面は――」
「ダメだよイリス。それはダメだ」
言葉を遮って、靖治はシートの裏からイリスの胸元に腕を回した。
浅く抱きながら、驚くイリスに胸に手を重ねて、精一杯自己の存在を伝えながら訴える。
「イリス、ボクにはこの世界で知り合いは誰もいない、君だけなんだ、君だけがボクをこの世界に繋いでいる楔だ。君がボクに生きていて欲しいと言ってくれるからこそ、ボクは胸を張って生きていられる」
それはイリスの身を案じたものでは決してなかった、弱いから見捨てないでくれという、この上なくわがままで切実な欲求だ。
だがだからこそ、未だ自己の存在が希薄であるイリスにも、この言葉はとても熱いものとして伝わった。
「人は一人では生きられない。君がいなければ、ボクは生きる道に迷ってしまうよ。だから、ボクだけ助かればいいなんて言わないでおくれ」
「靖治さん……」
イリスはボロボロになった右手を靖治の手に重ね合わせた。
上手く動作しない手では、靖治の手の温かさも柔らかさも感じ取れない。だがそれでも、こうやって手を重ね合わせている間は、まるで自分の存在が広がって、靖治と繋がっているような、そんな感覚に陥った。
背後からは砂漠を削って迫ってくる巨大ワーム。どうしようもなく、ただ車を走らせるしかなかったイリスだが、東の空で輝く太陽に、黒い影を見てハッと顔を上げた。
「――来た!」
それを聞き、靖治も何事かと割れたフロントガラスから前を見る。
太陽の眩しさの中に目を凝らすと、小さな影がどんどん大きくなって迫ってくるのが見て取れた。
だがそれは尋常じゃないスピードと大きさで、こちらへ向かって飛んできていた。
山を、街を、地上のすべてを飛び越えて、やがてそれは太陽を覆い隠すほどにまで。
強靭な翼、何者にも負けぬ堅き甲殻、鼻先に伸びた天をも砕きそうな角、地を支えられそうなほど逞しい四肢に、一振りで峰々を打ち崩すかと思うほど厚くしなやかな尾。
燃えても尽きぬ灰色の体を持った、御伽噺に語られるような、まさしくあれは。
「――グォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
先のミズホスたちとは一線を画する"竜"が、大空を飛び、駆け抜けながら、咆哮一つで天地揺るがせた。
「で、デカい!? 何だいあれ!?」
「正体不明、理由不明。しかし強すぎる力がやってきた時に、どこへだろうと必ず現れてそれを粉砕する――」
近づいて来たかと思った竜は、あっというまに二人の車を飛び越してワームに真正面から突撃した。
あのワームも山と見紛うほどだが、竜もまた大きさでは負けていない。鼻先から尾までのサイズは2kmにも及び、両翼を含めた横幅は更に巨大であり、重量では五分と見ていい。
その巨体を全力でぶつけた竜は、ワームをやすやすと跳ね飛ばし、長大な体を砂漠に転がしてみせた。
「――守護者と呼ばれる、この世界のバランサーです!」
一度羽ばたき、その場に滞空した"守護者"は、ゆっくりと地上に降りてくる。
その際に、太ももの一部が変化して複数の噴射口が現れた。そこから勢いよく白煙が上がり、守護者の着地を支えつつ、煙が広い範囲に渡って吹き抜けた。
靖治たちの救急車のもとにも白煙は行き届き、開きっぱなしのバックドアから車内が煙に満たされる。
「うわっぷ、この煙は?」
「おそらくはテラフォーミング用のナノマシンです! 無害と思われますのでお気になさらず!」
守護者が唸りを上げて睨みつける前で、吹き飛ばされたワームが起き上がる。それにとって地上を這う靖治たちなど羽虫にも満たない塵芥だが、ことこの竜を前にしては警戒心を露わにしていた。
――ピギィィィィィィィィィィィィイィィィィィィイイイイイイイイイ!!!
牙を開き、その喉奥から甲高い声で威嚇した。それだけで熱風が吹き荒れて、圧力が守護者の身体に叩きつけられたが、かの竜は微動だにせず、むしろ一歩踏み出して戦闘の構えをとった。
ワームが明確な殺意を持って行動を始める。口元に魔法陣が敷かれ、更にその外側に三枚の陣が力を強めた。
世界の根幹を脅かす呪術式により、形を持った呪いとして黒い雷槌が放たれた。
雷は空気を割いて、轟音とともに守護者の体を打ち砕こうとする。
だが必殺の一撃を受けても守護者は一歩も引かずに立ちふさがり、込められた呪詛はわずかに甲殻を溶かしたものの、その程度はすぐさま修復された。
反撃に出る。守護者は長い首をくねらせて、体の奥底から力を引き出した。
口元から炎が溢れる、喉の内部には九枚の魔法陣が浮かび上がり、それら一枚一枚が獄炎を加速させて撃ち放った。
地獄の業火のような炎が、砂漠の上にうねりを上げて燃え広がった。
一瞬にしてワームを包み込む火の海が生まれ、ただでさえ混沌とした砂漠は地獄の様相を映し出す。
その身を焼かれて、ワームはひときわ大きな苦痛の叫びを上げた。
――キュゥゥウゥゥゥゥゥイィィィイイィィイィイイイイイイイイ!!!
たまらず身悶えしたワームは、身一つで対抗しようと突進し始めた。
10kmにも及ぶ巨体を伸縮させることで、その図体でありながら重力に逆らって宙へと跳ね上がり、敵対者に向かって飛びついた。
遠目にはゆっくりと、しかし実際にはソニックウェーブを生み出すほどの神速で迫り来るワームに対して、守護者はただその場に腰を落として構えただけだ。
牙を開いたワームの突撃が竜の胴体に命中した。轟音が衝撃となって周囲の砂に刻まれ。山を砕くほどの圧力を受けた守護者は踵で砂漠を削りながら大きく後退した。
だがそれで止まる、決死の突撃もこの竜を倒すことは出来なかった。
守護者が右手を持ち上げると拳を閉じた。腕全体が変異を始め、武装を形作る。
それはイリスのフォースバンカーともどこか似ていた。腕の内部から肘を突き破るほど長い杭のような装置にエネルギーを貯めて、拳から打ち出す機構だ。
守護者は右腕を後ろに振ると、そのまま加速を付けて下からのアッパーカットを打ち据えた。
重々しい衝撃が鳴り響いた後、白煙を吹きながら杭が押し込まれる。不可視の衝撃がワームの体内にダメージを与え、空模様にまで波紋が浮かばせた。
カウンターの一撃を受け、空中に打ち上げられたワームは、頭から砂漠の上にゆっくりと落ちていく。
ドドドドドドと豪快な砂の音を聞きながら、靖治は二体の戦いを食い入るように見つめていた。
「すごい……!!」
「これであとは巻き込まれない距離まで逃げられれば……」
「――イリス! なにか来たよ!」
靖治の言葉に、イリスはドアのなくなった運転席から身を乗り出して、背後を確認すると目を見張る。
二人の車両を追いかけて、砂上を転がってくるボール状の物体。
「こんの、クソカスがああ!!!」
ここまでの混乱の中でも、まだミズホスは戦いをやめない気なのだ。
「ウソ……!? 靖治さん捕まって!」




