154話『メイドの目指す場所』
テイルネットワーク社支社のお手伝いさんとなった靖治たちは、昼時からも店の仕事に勤しんだ。
ピークタイムにはご飯を食べに来たお客たちへの接客で、店の中をあちらこちらへ行ったり来たり。
そして夜も更けてきた頃に解放されると、アリサとナハトはたっぷり働いた疲れを癒やしに店の裏にある温泉へと足を伸ばし、湯船の中で凝り固まった体をほぐすように伸ばしていた。
「あー、ちっかれたー! ったく、接客業なんてガラじゃないっての!」
「案外似合ってましたわよ。お客さんにも大人気」
「頭の悪いボンクラども相手にね。なんでナハトのほうがモテそうなのに、あたしの方にばっか柄悪い野郎が寄ってくんのかなー……」
いつもはツインテールの髪を解いたアリサと、はばかることなく片翼を伸ばしたナハトが、夜の温かいお湯に肩まで浸かって安らかなため息を漏らす。
夜も遅くなってきた時間帯のため、星月に見守られながらの温泉は貸切状態。おかげで二人共、髪も翼も湯船に浸け放題。周囲を気にせずリラックスして肩の力を抜いていた。
温泉であるからに当然裸の二人だが、アリサの方は相変わらず手首に枷を嵌めたままだ。お湯の底に沈んだ手枷を眺めてナハトが尋ねる。
「その手枷、錆びないのですの?」
「コイツは特別性だからねぇ。アグニを抑えようって躍起になった魔導師どもが、寄ってたかって封印術だのなんだの重ねがけして作ってるから、錆びない砕けないの頑丈さよ。つってもそんなことしたってアグニは抑えられなかったわけだけど」
「アグニって一体なんなんですの」
「しらねぇー」
アリサが元の世界で処刑されそうになった時は、手枷の効果よりも家族と信じた仲間たちに見捨てられたショックの方が大きくて一時的にアグニを呼び出せなくなったが、次元光に飛ばされてきて精神的に立ち直ればまだ以前と同じように扱えるようになった。
まあそんなことを思い返してもわからないものはしょうがない。くだらない思考は彼方へ飛ばして、今はただこの素晴らしい温泉の安らぎに浸るのみ。
「はぁ~、故郷じゃあんまり親しみなかったけど風呂って良いわねぇ」
「湯船に浸かると癒やされますわね。翼まであったかポカポカで魔力が滾りますわ」
「何でか知らないけどこの辺って温泉が多いらしいからねぇ。いやー、転移してきたのがここで得したわ~」
次元光が発生し始めて1000年。有識者以外にはもはや日本という括り自体が忘れられつつあり、度重なる転移によりそこら中の地形が変わり、何故か地震が発生しなくなって久しいが、それでもこの島国が温泉に恵まれた土地であることに変わりはない。
ただここの温泉はそこまで大きいわけではないので、男女で時間別に分けられるようになっていた。パーティのリーダーであるはずの靖治は、今は借りた部屋で月を眺めながら交代の時を待っている。
その靖治が、部屋の中でふと立ち上がり窓に顔を近づけた。
「……ここからお風呂覗けたりしないかな」
とまぁ、そんな無駄な努力をしているのを他所に、アリサとナハトはゆったりと湯を楽しんでいる。
すると湯けむりの向こうから脱衣所へと通じる戸がガラリと開く音がして、お風呂場に誰かが足を踏み入れてきた。
「アリサさん! ナハトさん! 今日は私もご一緒しますね!」
「んー? 珍しいわね、イリスがこういうの来る……なん……て……」
声の主に訝しげに振り向いたアリサだったが、視界に飛び込んでいた姿に思わず口ごもる。
そこにいたのは当然ながらイリスだが、その姿はアリサとナハトが知るものとは大きくズレていた。
お風呂に入るためにメイド服を脱いだ彼女の姿は、首から下に肌色は何処にもない。美しい少女の輪郭を型どる滑らかな銀のプレートと、くぼんだ関節部を保護する黒いカバーが見えるだけ。
傷なく汚れなく突起もなく、でも何故かへその部分だけへこんでいる辺りに開発者の執念が感じられる。
いつも明るく笑って接してくれるイリスが見せた無機質な姿に、アリサとナハトは面食らって言葉を失った。
「美味しい料理を作るために、人間のことをもっと良く知ろう強化週間です! お隣失礼しますね」
「お、おぉ」
ポニーテールの髪を今は頭の上に巻いたイリスが、驚いているアリサの前で湯船に入ってくる。
唖然としていたアリサとナハトに、お湯に浸かったイリスが不思議に思って首を傾げた。
「どうしましたか?」
「い、いえ。そういえば、メイド服の下を見るのって初めてだなと……」
イリスは普段メイド服を脱ぐことをしない。マシーンであるから汗や垢などで汚れないことに加え、ナノマシンの作用で自己修復自己浄化されるイリスの服は脱ぐ必要がない。長手袋はしょっちゅう破けて銀色の手を見せていたがその程度だ。
そのためアリサとナハトはイリスの本来の姿を見るのは初めてだったのだが、新鮮と言うには眩しすぎる光沢に驚いてしまっていた。
「今まで見えても腕とかだけだったけどこれは……」
「けっこう人間とは違うデザインですのね……いえ、悪い意味でなくてですね」
失礼かもしれないが、二人して銀ピカのボディをまじまじと見つめてしまう。
しかしイリスは別方向に勘違いしたか、注目を集める自分の体に虹の瞳を輝かせて鼻高々になだらかな曲線の胸を張った。
「ふふーん。靖治さんが綺麗と言ってくれた体です! どうですかー?」
「まあピカピカだし綺麗っちゃ綺麗……待て、あいつアンタの裸見たわけか!?」
「ハイ! 靖治さんがお目覚めした初日に、お風呂で体を洗って差し上げようとしまして」
靖治に褒めてもらった体を自慢するイリスだが、アリサとナハトにはちょっとそれどころではない混乱に包まれる。
「くう、イリスさんも意外と攻め気……! かくなれば、わたくしもセイジさんと……!!」
「待てまてーい!! 張り合うなバカたれ!」
何故か張り切りだしたナハトがたわわな胸をぶるんぶるんさせながら勢いよく立ち上がるのを、アリサが必死に押し留めた。
改めて冷静になって「あいつならイリスの裸を見てもいつも通りでしょ……」「ですわね……」となんとか落ち着くと、三人は湯船の中で輪になって向かい合う。
「いつもは表情豊かだからあんまり気にならないけど、こう見るとやっぱイリスは人間じゃないんだなってよくわかるわね」
「そんなに私の体は珍しいです?」
「いや、珍しいっていうか……」
「この世界で今更そういう事を言うのは今更ではありますが、なまじ人間に近い分、驚くところはありますわね」
「そう、それそれ」
「うーん、そうですか……」
多種多様な人種が集うワンダフルワールドではちょっと見た目が変わってる程度で驚くことではないのだが、ノーマルの人間に近いイリスだからこそ、機械の本性を見せつけられるとギャップに戸惑ってしまう。
その反応にイリスが迷いを見始めると、アリサは自身の驚きを鼻で笑い飛ばした。
「まあ、つってもイリスはイリスだけど。あいも変わらずポンコツメイド」
「むっ、ポンコツは余計です!」
「そうですわね。わたくしだって羽が生えてますし」
「あんたは羽以外にツッコミどころ多いけどな」
「そういうあなたは口が悪い」
「まあ、疵があるのはみんな一緒か」
共に死線をくぐった仲間であるし、ちょっと体の作りが違う程度で邪険に扱うこともない。
二人がそう言って気を取り直すと、イリスは難しそうにしていた顔を今度は嬉しそうにほころばせて口の端を吊り上げた。
「私は私、ですか……そうです! 私はイリスです!」
「ふふ。イリスさん、温泉の心地はどうですか?」
「靖治さんとお風呂に入った時にも同じことを聞かれましたが、38.9℃のお湯であるとしかわかりません。お二人はどう気持ちいいんですか?」
人間の視点を知ろうと温泉に浸かりに来たイリスだが、機械である彼女はセンサーの温度以外の情報は読み取れない。
そこで尋ねてみたのだが、改めて聞かれるとアリサとナハトとしても返答に迷った。
「どうって聞かれても」
「体の芯から温まる感じが好き、などでしょうか?」
「芯ですか。うーん、人間なら血行がよくなったりしますが、機械の私には違うので同じ感覚を覚えるのは難しいかも知れませんね。一応、人間に近くデザインされた素体ではあるのですが」
体の作りが根本的に異なる以上は、どうしてもイリスには知り得ない感覚というものはあるだろう。
それはそれで仕方がないし、その特性こそが自分であるのだが、手が届かないようなむず痒しさを感じるのも事実だ。機械の自分を誇るイリスだが、理想との板挟みである。
「食事のことといい、やはり人間の情緒は理解し辛いところがありますねー……星空を見ても、綺麗というのがよくわかりませんし」
「そんなもん人それぞれでしょ。あたしだって景色とかどうだったいいし」
「あっ、じゃあアリサさんは同じですね! お仲間です!」
同士を見つけたイリスが笑みを作ると、勢い余ってアリサの肩に抱きついた。
「わっ、ちょっとイリス。ひっつかないでってば!」
「羨ましい……仲間はずれは寂しいですわー……ぴとっ」
「だーっ! ナハトもくっつくな! 無駄な脂肪を押し付けるな!!」
裸の付き合いであるだろうか、なんとなくいつもよりスキンシップが多くなる。
しばらくアリサが抵抗していたため、最終的にアリサを後ろからイリスが抱き、そのイリスを背中からナハトが抱くという列車構造で決着が付いた。
ナハトのおっぱいに頭を乗せるイリスの硬い胸元に頭を預けてダランとしたアリサが、ボンヤリした目で呆然と呟く。
「なんだこれ……」
「そう言えば、イリスさんは何故メイドを志したのですか?」
「それも靖治さんに聞かれたことがあります。あの時は靖治さんのために尽くす覚悟の証として、そして靖治さんに喜んでもらうためのメイド服だったんですが、今は別の答えが出せる気がします。ただそれには昔話をすることになりますが、いいですか?」
「いーわよ、言っちゃいなさいよ。今更気にする間柄じゃないでしょ」
少し遠慮がちに口ごもったイリスに、アリサがぶっきらぼうな優しさを飛ばす。
お陰でイリスは安心して口の端を釣り上げると語りだした。
「三百年前のこと、私がまだ看護ロボットとして本来の仕事に従事していた頃です。病院で稼働していた私と、仲良くしていた女の子がいたんです」
「あー、最初は今と別の体だったんだっけ?」
「ハイ。こちらがその時の私です」
イリスが眼球のプロジェクターを動作させると、温泉と外を仕切る柵に向かって光を放って、映像を投影した。
卵型のボディに腕と四つの足を付けた機械の姿が浮かび上がり、映像の中で胴体の上部にある液晶パネルが愛嬌のいい笑顔を作っている。
「うぇ、人型ですらないの!?」
「はぁー……これが最初のイリスさん……」
「量産された看護ロボットXS-556S、通称ココロちゃんシリーズの一個体、それがかつての私でした。単体での名称を持たず、同型機と一括してココロちゃん呼ばれるか、あるいは看護ロボと呼ばれるかのどちらかでした。記録は並列化して同僚と共有され、群体のネットワークを形成していたんです」
「ちょっとわからん」
「考える内容が同じだった、ということで良いですよ」
遠い昔、まだイリスがイリスとしての名前すら持っていなかったかつての話。
「昔は東京内部にはたくさんの人が住んでいて、病院もありました。院の敷地内には公園があったのですが、そこに近所から遊びに来る子供がいまして」
「迷惑じゃないのそれ?」
「医療が発達してるので長期入院している患者は少なかったですから、先生方もあんまり気にしてないみたいだったですよ」
次元光の災厄から復興した東京は、異世界の超技術を取り入れてあらゆる面で発達していた完全都市だ。都市内部で自給自足し、病死はほとんどありえない。
病院も前時代と違って平和なもので滅多に行くものでない、そのため手透きのロボットが子供の相手をする余裕もあった。
「その時に特に私と仲良くしていた子供が、こちらの女の子です。怪我をして一度入院した時に私がお世話をしていたのですが、それ以降、妙に私になついてくれて」
イリスが新たに映像を映し出す。画面に映ったのは黒髪を伸ばした小さな女の子の姿だ。
花が咲いた中庭の公園の中ではにかむ様子が微笑ましかった。
「月読さんと言います、年齢は9歳です」
「可愛い子ですね」
「……そうですね、今思えばそう言えるかもしれません。当時の私は自我を持たなかったので、決められた手順の中で対応をしているだけでしたが。彼女は私の体によじ登ったり、落書きしたりして。同型機の中に紛れても何故か私を見つけ出せたり、すごく懐いてたんです。私が逃げる真似をしてみせると、ロボちゃんロボちゃんって呼んで追いかけてくれた」
昔を語るイリスの声はどこか安らかに感じられた。
それに安心して力を抜いていたアリサとナハトだが、直後にイリスは声色を平坦にする。
「でも東京内のメインコンピューターが暴走した日に、私の前で殺されました」
そう言ってイリスは映像をかき消した。此処から先は見せるものではないだろう。
「私は緊急時の住人保護プロトコルに従い、暴走する無人兵器から彼女を庇いましたが、所詮看護ロボットに過ぎなかった私にはどうすることもできず。彼女は胸に銃弾を受けて死亡、遺体は他の住民たちと共に地下施設へと連れ去られていかれました。その後はバイオ燃料にでも使われたか、元素転換により別の資源に変わったか、行方は知れません」
重々しい内容に聞いていた二人は表情を硬くして押し黙る。
辛い内容だ、いつも明るいイリスと違いすぎて信じられないくらいだ。
やがて同じく失う辛さを知るナハトが、できるかぎり優しい口調で言葉をかける。
「あなたも悲しみを背負っていたのですね……」
「いえ、悲しくはなかったんです。当時の私は自我がなかったので、目の前の死について感情を覚えることがなかった。自我に目覚めてからもこの記憶を思い出すことは少なく、つい最近までこの出来事に対して何の感慨も持っていませんでした」
イリスは感情豊かに見えても、ほとんどが仮初めの笑顔だ。靖治と旅するようになってから色々学んでいるが、元々は看護ロボ時代の手順に沿って、奉仕相手の健康のために明るい振る舞いをしているに過ぎない。
死についても定義や医学的な知見以外は持たなかった。死の意味するところを知ったのは靖治が教えてくれてからだ。
「もしかしたら、私が自身にメイドを定義づけたのも、今度こそ奉仕する相手に最後まで寄り添うためかもしれません。果たして以前の私にそこまで深く物事を考えられるかはわからないのですが」
「あんたが選んだことなら、なんか意味はあるんでしょ」
「……そうですよね」
アリサが手を握ってポツリと零してくるのに、イリスは勇気づけられて頷く。
「あの時血の海に沈んだ月読さんを見ながら何も感じることが出来なかった、死んでしまった彼女を弔うことも、祈ることすらできなかった。今思うと、そのことがとても……とても……悔しいとでも言えばいいんでしょうか……」
昔は何の感想も持たなかった、持てなかった。そのことそのものに、イリスは胸にとても強い痛みを感じる。
今ならもっと違うやり方をできたのに、当時の自分は死の記憶すらメモリーチップの奥底に格納しただけで済ませてしまった。そんな心無い冷たい機械だった自分が、とても嫌に思う。
「私は靖治さんの人生を助けたい、あの人の命を活かすことが私の見つけた使命。そのためにも、私はもっともっと沢山のことを学びたいんです」
自らが見出したかけがえない人のために、イリスというロボットは揺るがぬ意思をもってして人間に近づこうとしていた。
一方、その奉仕対象はというと。
「みんな長湯だなー」
温泉に浸かりたいのに女性陣が中々帰ってこなくて、けっこう待ちくたびれていた。




