16話『逃走』
「雉、戦艦から逃げろお!! "次元光"が出たぞ!!」
『なんスってえ!?』
協力者であったオーガスラッシャーの者たちが、慌てた様子で無線機に叫んだ。
「規模がでけえ! 世界の向こう側から何が出てくるかわかんねえぞ!!」
「アニキ、ケヴィンを回収しにいくウホ」
「わかってる!」
『戦艦のケツから出るからそこで拾ってくれッス!』
焦った声を上げて車に乗り込んだハヤテとウポレは、アクセルを全開にして戦艦の後部へと回り込む。
他のトカゲ人間たちも大慌てで戦闘を放棄し始めた。
だがまだ戦艦を諦めきれないミズホスは、上空を見上げて悔しそうに地団駄を踏む。
「なあ!? クソ、あとちょっとだってのに!」
憎々しげにオーロラを睨むミズホスだったが、その端でアリサが魔人と共に戦艦から浮かび上がっていることに気が付いた。
「おい待て、傭兵!?」
「次元光が出たらあらゆる行動を中止して自己の生存を優先する、そう契約書には書いておいたはずよ」
「テンメェっ……裏切る気かぁ!?」
「人聞きの悪い事をいうなぁ!! 私は裏切っちゃなんかいない、先に約束した通りよ。それじゃ」
激しく怒鳴り返したアリサは、あっけなく踵を返して戦艦から飛び立っていってしまった。
去っていく魔人の紅蓮の背中を見て、ミズホスが恨みがましい声を上げる。
「傭兵ぃ! てめえええ!!」
「今です!」
仲間割れの隙を突いて、イリスはミズホスの懐に潜り込むと、彼の土手っ腹を無事な左腕で抱えるように押し上げた。
太もものスラスターを全開にしてミズホスの巨体を押し退けようとする。
「ふん……があああ!!!」
「なっ、おい待てえ!?」
不意を突かれたミズホスは、押し返す間もなく甲板の外へと押し出されて、戦艦から落下していってしまった。
ひとまず危機を排除したイリスは、休む間もなく病院へと走り出し跳躍する。病院の壁面に左手の指を突き刺して身体を支え、壁を駆け上って直接屋上へと登りつめた。
屋上に膝を曲げて着地したイリスは、そこで見守っていた靖治へと顔を向ける。
「靖治さん!」
「イリス! これは?」
「次元光です、転移が来ます! 調整は!?」
「もう終わったよ」
「ならばこの艦は放棄します!」
腕時計に描かれた100%の表示を見せてもらうと、即座にイリスは左腕で靖治の身体を俵のように抱え上げた。
「口を閉じて、舌を噛みます!」
「あい」
靖治が身を任せ力を抜くと、イリスは再び太もものスラスターを駆使して屋上から甲板へと飛び降りる。
慌てふためく地上の様相など知らぬオーロラは、清々しい朝の青空から七色の輝きを降り注ぎながら揺らめいている。それはまるで道に迷った童を手招きする神の手のようだ。
各々が生存に向けて最大限の努力をしていたが、ミズホスの部下たちは二台の輸送車内に集まって、浮足立ったまま行動できずにいた。
「どうする、早く逃げねえと!?」
「ボスを置いてく気か!? あの人のとこ以外にオレらを受け入れてくれるやつなんていねえぞ!!」
「ボスなら一人で逃げれるって!」
「地形ごと入れ替わる可能性だってあるぞ!? ボスのそばに行こうって、なあそうだろ!?」
「クソ! クソ! 運が悪けりゃ全滅だ……!」
「あっ、おいあっちは逃げてくぞ!」
片方の車両では座席に座ることもせず、意見がまとまらないまま言い争いを続けていたが、そのあいだにもう一台の輸送車は大阪へ向けて走り出していた。
「じゃあ俺らも逃げるか!?」
「だからボスはどうするんだって、そこを決めろよまずは!!!」
立ち往生を続ける慌ただしい輸送車の隅に、床の上に座った彼女がいた。
昨日から彼らに捕らえられていた、ボロ布の女だ。トカゲ人間たちに殴り飛ばされて腫れ上がっていたはずの顔は、どうしてかすでに完治していた。
短く切りそろえられた青髪に、程よく伸びた鼻、ナイフのような鋭い眼の美しく整った顔立ちだった。
だが鮮血で濡れたような真紅の眼は、今は暗く濁っていて生気が感じられない。
包帯で巻かれた荷物を背負ったままの彼女は、慌てふためくトカゲ人間に押しのけられて、力なく床に倒れ込んだ。
ぼうっとバックドアから車の外を見上げていた女は、やがて飛び出さんばかりに丸くなった紅い眼に、外の光景を映し出していた。
「……光。光が見える……わたくしに真実を晒したあの憎い光が……」
トカゲ人間たちの背後で、女は音もなくゆらりと立ち上がった。背負っていた荷物の包帯を緩め、隙間に白く細い指先を差し込む。
輸送車内で慌てているのはトカゲ人間の数は8名。紅い眼が車内すばやく一瞥した直後、彼女に背を向けて立っていた一人が、防弾ジャケットを着ていた胸元からボロボロに刃こぼれした刀を生やし、口から血を流していた。
「ぁ……が……!!?」
何が起こったのかわからないまま、刃を受けた者は身体に突き刺さっていた剣を見て、苦悶の表情を浮かべながら言葉にもならない悲鳴をあげる。
怒鳴り合っていたトカゲ人間たちが声に気づいて振り返っても、いきなり仲間が刺されている事実に驚き、何もできなかった。
その刀を握っていたのは、昨日までゴミのように扱っていた女。
「血を吸い、命を吸い、わたくしは生きる。醜い咎人のまま……」
女は突き刺した刀を力任せに横薙ぎにして、トカゲ人間の胴体を半分だけ断ち切り、血糊で車内を真っ赤に染め上げた。
切断面から漏れた血と内臓の生臭さが一気に充満し、目の前の光景のおぞましさにトカゲ人間たちは一瞬で体の底が冷え切る。
「な……女ぁ!!」
「おいよせ! こんなとこで撃つな!」
血気盛んな者が、静止を聞かずにライフルを持ち上げてロクに狙いもつけずにトリガーを引いた。
銃声が狭い車内に反響して、一瞬にして恐慌に陥った時、女は疾風のように飛び出し、壁を駆けてトカゲ人間たちの背後に回り込んでいた。
手にしていたのは長い刀身が折れないのが不思議なほどに刃こぼれした日本刀。
鍔すら朽ちて失くなっていたその刀を、女は狭い車内でも軽やかに操って、標的を千切り飛ばす。
「ぎっ!!」
「ぎゃっ!!!」
抵抗しようがしまいが無差別に、的確に殺戮が開始された。
一番最初に狙ったのは銃を撃った戦意あるもの者。手に持った銃ごと首を跳ね飛ばし、蛮勇を気取らせる前に終わらせる。
更に駆ける女はグルリと車内を旋回し、次に狙われたのは逃げ出そうと出口へ走り出した者。その足を切断し、派手な断末魔を上げさせた。
「ぎゃああああああああ!!!?」
「ひぃっ!?」
戦えば死、逃げれば死、死と死で挟まれて恐怖で足が竦んだ残りを順繰りに薙ぎ払う。
刃が一閃するたびに命が喪われる。ボロボロの刀身は白い魔力でできたオーラで欠けた刃を補い、鱗を持っている爬虫類系の体をもいともたやすく切断した。
まるで死が暴風となって吹き荒れるのが如く、血と肉がバラバラになって撒き散らされ惨劇をかたどる。
あらゆる超常者が集うこの世界では、外見だけではその危険性を推し量ることはできない。
本当に強き者、本当に危険な者ほど何食わぬ顔をして道を闊歩し、隣をすれ違っていたりする。
例え、最初はどれほど儚き振る舞いで嘲笑を誘おうとも、その裏側にどんな牙を秘めているのかわからないのだ。
彼らはそのことが頭から抜けていた――その結果がこの惨状だ。
「神よ……また、罪を重ねてしまいました……」
滴った血の音と女の声だけが車の内部に響く。
生きているものはボロ布をまとって俯いている女のみ。
傍らに血に伏したトカゲ人間たち8名は、すべては一撃で命を刈り取られており、女のくすんだ布は返り血でおぞましいマダラ模様を作っている。
鉄板で仕切られているはずの操縦席にいた者も、仕切りとシートをまるごと貫かれ、恐ろしいものを見た悲壮な表情のまま心臓を破壊され沈黙している。
輸送車のバックドアが開かれて、女が外に歩きでた。
一振りの日本刀は包帯の中にしまい込まれ、その白い荷物を引きずるようにして砂漠に降りた。
そしてボロ布の背中から、白い翼が現れた。
メキメキと小さな音を立てながら伸びてきた、全長1メートルほどの片翼の翼。
その美しい白を羽ばたかせた女は、風をまとって真上へと急上昇した。
上空に飛び上がってきた女の前に、魔人と共に浮遊してきたアリサが気がついて停止した。
「あんたは、昨日とっ捕まってた……?」
「…………」
驚くアリサの前で、女は青い髪のしたから一瞥して目を合わせたものの、言葉は交わそうとせず、包帯の巻かれた荷物を引っ張って街の方へと凄まじい勢いで飛び去っていってしまった。
置いていかれたアリサは、一瞬ポカンとしてしまったが、すぐに我に返ってその女を見送った。
「……なんだ、あいつも飛べるんじゃん」
傷ついていた女が飛ぶのを、我がことのように嬉しそうに言って、アリサは翼が起こした風の後に続いていった。




