145話『守りたかったもの』
表に出されていた人形は焼却され、これで紫煙の奇術師の手札は大幅に数を減らされた。予備の人形がまだあったとしても、残り少ないはずだ。
ナハトの心理状態も出掛かりとは違い安定している、戦いの趨勢は着実に傾きつつあるだろう。
頼れる半天使の引き締まった横顔と神々しい翼を見ながら、靖治は瓦礫に埋まったまま笑いをこぼした。
「アッハハ、僕まで利用するとは、ナハトは期待を裏切らないね……いてて」
体があちこち痛む中、なんとか下半身を引っ張り出そうともがいていると、同じく下敷きになったスライムヒューマンたちが瓦礫の隙間から這い出てくると、靖治のそばにウヨウヨと集まってきた。
「セイジさんだいじょうぶー?」
「いまたすけるねー」
「おぉ、マイケルさんたちありがとう」
液体ボディで瓦礫の中に入って持ち上げてくれるスライムたちに靖治が助けられるのを尻目に見ながら、ナハトはさきほど投げ飛ばしたネームロスへ向かって左腕の呪符を伸ばし、手元へと手繰り寄せる。
「さて、手品はここまでですか奇術師よ」
「…………」
ナハトが刀を手に構えるも、奇術師は無言のまま顔を俯かせて、ただ静かに左肩に乗せた小さなウサギのぬいぐるみを指で撫でるだけだ。
降参か、それとも何か考えているか? どちらにせよナハトは油断する気はない。
「ならばここで引導を渡しましょう!」
いざ決着を付けんとナハトが勇猛に駆け出した時、奇術師のローブの下からまた一体の人形が転がり落ちた。
「行け」
奇術師の命令を受けて綿の詰まった人形がナハトへと飛びかかる。
だが如何に魔術で強化されているとはいえ、今更この程度でナハトを止められるはずがない。
「こんなもので!」
ナハトが襲ってくる人形をネームロスで斬り払おうとした時、突如として人形は内側から弾け飛び、内側から茶色い霧のようなモノが噴出した。
「っ、これは……!?」
発火能力を利用しての煙幕とも違う、鉄が錆びたような不気味な色合いが風に乗って急速に広がるのを見て、ナハトは反射的に口元を腕で隠すが、それだけで防ぐことができる攻撃ではない。
吹き抜ける霧が腕をすり抜けて頬の火傷を撫でた時、無数の針を突き刺されたような痛みが襲ってきてナハトの顔が苦痛に歪んだ。
「つぅっ!? 毒――いや酸!?」
「そうだ、魔術で作った酸の霧だ!! 吸い込めば瞬く間に肺の中を溶かし落とすぞ!!!」
吸い込めばなんてものじゃない。奇術師の言葉以上に強力な代物だ、ただ頬を撫でられただけで皮膚が溶け出している。
ナハトは咄嗟に飛び退いて酸の霧から抜け出るが、すでに手足からは表面を溶かされてジュワジュワと煙を吹いていた。
眼に吹きかけられれば失明だ、そんな禍々しい霧はなおも広がって逃げ出したナハトを追いかけてくる。
「っ、風の守護結界招来!!!」
ナハトは咄嗟に後方から風を呼び込んで、自分の体表に空気の層を作り出し、酸の霧の侵入を防いだ。
だがこの防御策は戦闘しながらそう長く保つものでもない。集中力が必要で他の魔法は併用できないし、酸素もそこまで長くは続くない。
それに対して奇術師は最初からペストマスクで顔面を隠し、厚いローブで全身を覆っている。恐らくあのカラスのようなマスクは、酸の自衛に特化して用意されたものに違いない。
「風のスーツをまとうか、だがあっちの子供はどうだ!?」
「くっ――セイジさん!!」
奇術師はナハトが対応に出るより早く、新たな人形を異空間から繰り出すと、もう少しで瓦礫から抜け出しそうな靖治へと向かって飛ばした。
同じ酸を靖治が浴びせられたら、いくらナノマシンにより超人的な回復能力を保つとはいえ、直接肺の中を溶かされては命の保証はない。
「ヤッバ……!」
靖治が目を丸くして瓦礫から足を引き抜くとほぼ同時に、人形が爆ぜて酸の霧を吐き出した。
爆発的に広がる霧に靖治が成すすべもなく飲み込まれようとした時、彼の周囲にいたスライムヒューマンたちが滑るように集まってくると、互いの体を繋ぎ合わせて液体のドームをその場に作り出した。
『セイジさんはじっとしててくださーい!』
「マイケルさんたち!?」
巨大化したスライムの青いボディに囲まれた靖治が驚く前で、錆色の霧がスライムの体内に染み込んでく。
「馬鹿が、そのまま酸と混ざって消えてしま――!?」
呪言を吐き捨てる奇術師の目に映ったのは、スライムの体内に取り込まれたはずの魔術の酸が、その色合いを透き通らせて消えていく姿だった。
「何だと……っ!?」
『ボクタチは、旧人類からしんかしたあたらしい種です! むかしのヒトタチはひどい戦争をおこして、世界をいっぱい汚くしました!』
奥の手を無力化されておののく奇術師を前にして、一致団結したスライムヒューマンが大きくなった体表をプルプルと震わせてかわいらしい声を響かせる。
『そのために、ボクタチのカラダで汚染をじょきょできるようになりました! 大気汚染くらいへっちゃら! 酸性雨だってまけません!』
そう語るあいだにもスライムたちは絶えず酸の吸収と無力化を繰り返し、周囲の大気を正常な状態へと戻していく。
『ボクタチはたたかいが苦手です、たぶんだれにも勝てません。でも、こういったことなら任せてねー!!』
たくましく声を震わせるスライムヒューマンのぷよぷよしながらどこか凛々しい姿に、奇術師もナハトも思わず唖然としてしまった。
「こんな馬鹿な……オレの力が、こんな闘争の欠片も持たないひ弱な奴らに打ち破られるだと……!?」
「……フフ、そうですか。悪意って以外と脆いものなのですね」
どこか納得したような顔をしたナハトが、風のスーツで自分を守りながら再び刀を構えるのを見て、奇術師は声に焦りを滲ませながらも、残りわずかな人形を手に出現させた。
「まだだ! 酸の生成を続けて、やつらの除去限界を上回れば!!」
躍起になる奇術師が抵抗の意を見せようとしていた時、どこからか何かが爆発するような、そんな重々しい響きが届いてきて二人の足元を揺らした。
気付いた二人が耳を凝らすと、その『ドカーン』や『ドゴーン』という響きは厚い壁を通したようにくぐもった音で繰り返され、しかもそれが段々と明瞭に聞こえだしている。
「なんだ、この音は!?」
「音……いや振動……? まさか……あっちの転移で封鎖された道から――」
ナハトが視線を向けたのは、この遺跡内の別区画へ通じる閉じた通路。
転移の際に元の地形と混ざってしまって岩盤で封じられたそこから、一際大きな爆発音が鳴って地下を揺らす。もう音源はすぐ近くまで迫っている。
「――――フォース、バンッカァー!!!」
最後に閃光と熱拳が共に厚い岩盤を打ち貫き、ガラガラと崩れる岩の向こうから現れたのは二人の少女。
殴った勢いのまま空中に飛び出してきたその片方が、傍らに魔人を寄せながらツインテールの髪を振り回す。
「っぷはぁ! やーっと道が通じたか、ここが別の居住区!?」
「あっ! アリサさんあれ見て下さい、靖治さんとナハトさんですよ! あっちは宿にいた怖い人!」
宙に浮かび上がったアリサの隣で、イリスが驚いて地上に立つ奇術師を指差してくる。
透き通るような明るい声を耳にして、奇術師は忌々しさを声に滲ませた。
「他のやつらか……!」
「フッ、これでこちらの負けはありませんね」
これでイリスたちが戦闘に加われば三体一、もはや紫煙の奇術師に逆転の余地はないだろう。
「今のあなたを見ていると、悪意で立つことがどれだけ心細いものかわかります。やはりわたくしはこっち側にいて正解ですね」
「抜かせ、オレを憐れむか!?」
奇術師がナハトに憤っている隙に、靖治がスライムたちのドームから顔を出して声を張り上げた。
「イリス、アリサ! そいつを逃さないで、ぶっ飛ばしてでも捕らえるんだ!!」
「了解です!!」
「いきなり物騒だけど、わかったわよ!」
指示に従って着地したイリスが突撃し、アリサは後方で浮遊を続けたまま奇術師の動きを待ち構えた。
またたく間に包囲網が形成されて奇術師は「クソッ……!」と呻き、きりもみしながら宙に飛び上がると、パイロキネシスでの火炎をそこら中にばらまいた。
イリスが突然の火炎に驚いているあいだに、奇術師が火を巻いて上空から逃げ出した。
「うわわ!?」
「捕まえるだと、そんな最後がオレに許されるか……!!」
ナハトはまだ酸の霧から風で身を守っているために高速では走れない。奇術師からしたら生き延びるにはこの瞬間しかない。
目指すは街の端にある水路とは別方向の扉だ。とにかくそこから外を目指す、それだけが光明だった。
奇術師は一本のサーベルをローブ表面から飛ばし、アリサの目の前にパイロキネシスを使って爆破させ煙幕を作った。
「ンの、ヤロー!?」
「今のうちに……!」
空中を滑空しながらサイコキネシスで扉をこじ開け、開かれた奥へとその身を飛び込ませようとする。
しかし扉の周囲に潜んでいたスライムたちは事態の推移を察知すると、扉の前に集合して一丸の巨大スライムになると、体を大きく広げて奇術師の行く手を遮った。
『ワァァァァァァ!!! 待てぇーーーーー!!!』
「ぐっ、下等生物ごときが、立ち塞がるなぁ!!」
サーベルも酸も効かない相手に対して、奇術師が瞳を光らせてパイロキネシスを行使する。
だが力が奔って発火が始まった瞬間、上空の煙幕を抜けてきたアリサが魔人アグニを連れて割り込んできた。
「アグニ、その火を握りつぶせ!!」
空中に燃え上がる火を睨みつけたアリサが、アグニの熱い手にその火炎を握らせると、圧倒的なパワーで発火現象を押し潰してしまう。
「パイロキノが――」
「ダイナマイトメイドキーック!!!」
発火が不発に終わり立ち止まる奇術師へ更にイリスの追撃が飛んでくる。ひとまず牽制として放たれたスラスターキックは、奇術師の傍に着弾して石礫を浴びせた。
つぶてを受けて体制を崩した奇術師の背後、それまで誰もいなかったはずの空間に、暗がりから現れるがごとく殺気が滲み出てくる。
「邪道を行く輩は無限に敵を生み出し続け、いずれ道を塞がれる」
紫煙の奇術師が倒れかける体で振り向いた先にいたのは、気配を消していつの間にか近付いてきていたナハト。
夜を映す天蓋の下で神々しい翼と純白の鎧を纏いながらも、地の底の暗闇を宿したような禍々しい紅い瞳を向けてきている。
神聖さとおぞましさを同時に抱えたような美しい姿に、奇術師は思わず息を呑む。
「あなたの言う通り、わたくしたちに差などない。だがそれでも、こんなにも違う」
もはやナハトはその刃を振るうことに迷いなく、右手に握った亡失剣を振りかざした。
「終幕です、休みなさいアゲイン・ロッソ」
一刀が振り下ろされる。その刃は朽ちかけたようでいて、人一人を斬り捨てて有り余る殺傷力を秘めているのは奇術師も先刻承知だ。
奇術師はなんとしても防ごうとする。残る時間はわずか、パイロキネシスは間に合わない。
生死を分ける一瞬に異空間からサーベルを引き出そうとした時、イリスの飛ばした石礫の一つが、彼の肩に乗っていた小さなウサギのぬいぐるみを弾いた。
石をぶつけられたぬいぐるみが奇術師の眼の前で宙を舞う、落ちるように飛んでいくその先には、ナハトが振るうネームロスの刃があった。
奇術師は見開いた眼でぬいぐるみを見つめ、胸に宿った迷いに手を止めると、超能力で自分を守らずにぬいぐるみへと右手を伸ばした。
決着の一瞬にそれを目撃したナハトはわずかに刃の軌跡をずらし、ぬいぐるみを握った手を避けて奇術師の胴体部を浅く斬り裂いた。
「ぐぁっ……!!」
奇術師は右手を握りしめながらも、斬りつけられてしまい、ローブの下から鮮血を噴出し悲鳴を上げる。
崩れ行くその体に、ナハトが左腕の呪符を振りかざした。
「亡者の血を吸いし呪符カースドジェイルよ、今こそ造り手の願いに従い邪悪を覆い尽くせ――封印捕縛!」
奇術師の体に細長い白布が絡みつくと、布の内側から金色の文字を浮かび上がる。
力を発揮した呪符に拘束され、締め付けられた体を地面に叩き伏せられた奇術師は、衝撃でずれたマスクの下から力のない呟きを零す。
「体が……力が入らん……」
「この呪符は、もしもネームロスがわたくしに歯向かった時を恐れ、それを止められるよう作られたもの。魔力を織り込んで作り、清めた聖水とわたくしの血を混ぜたもので呪文を書いたこの布は、あらゆる力を抑え込む」
とうとう捕らえられて悔しそうに眉間を歪める奇術師を、ナハトが見下ろしながら一つ問いかけた。
「……最後の一撃、防ぐよりそのぬいぐるみを優先しましたね。何故です?」
静かになった夜空の下で、尋ねられた奇術師はわずかも黙り込んだあと、小さく言葉を発した。
「昔……娘にしてやると約束した子供がいた……そいつが大事にしてたものだ……」
視線を合わせようとせず、ずれたマスクの内側を見つめたまま口を動かす。
その声は悪党にあるまじき、どこか懇願するような、自らの弱々しさに打ち揺れる切ない響きだった。
「足を洗うと約束した、健全に生きると……だが現実は許しちゃくれなかったのさ……」
悲哀を籠めて語った奇術師は、話を終えるとそれっきり口をつぐんだ。
ナハトは仲間たちとともに捕らえた彼のことを見下ろして、何か想って刀を握る手を胸に鎧の上から当てた。
「誰も彼も、弱きもの、ですか――」
自分は弱かった、それはこの男も同じだった。
ただその事実だけを噛み締めるナハトを、仲間たちが周りから見守っていた。
・デモンズダクソの酸の霧大っ嫌い……。
それはそうと明日明後日休みます、次の投稿は8月12日月曜日です。




