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1000年後に、虹の瞳と旅をする。  作者: 電脳ドリル
六章【朝へ向かう夜の狩人】
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123話『ナハトの開幕』

 白日が煌めいている。清廉な町並みをナハトは片翼を揺らして歩いている。黒衣に包まれた体で、曝け出された背中の十字が彼女の性質を喧伝している。

 見知った街並み、神の加護で守られた一大都市普通な。人々はみな幸福で笑顔が絶えず、汗水垂らして働くかたわらにナハトにもその微笑みを分け与えてくれる者たち。

 ほら、今日もまた、人々はこうしてナハトに駆け寄ってきてくれる。


「ナハト様こんにちは! ご機嫌いかがですか?」

「どうもナハト様お久しぶりです、弟が先日はお世話になりました」

「ナハト様が悪霊を退治してくださってから邪悪な輩は寄り付きません、有り難や有り難や」

「今度のミサはご一緒できますかナハト様?」

「あっ、ナハト姉ちゃんだ! お母ちゃんとクッキー作ったんだよ! お姉ちゃんあげるね!」

「コラ、聖騎士様になんて話し方するの! ごめんなさいねこの娘ったら」

「天使様、お羽きれいだね」


 ハーフと言えども天使の血が混じったものとして端麗な顔立ち、聖騎士として非の打ち所がない振る舞い。整えられたセミショートの青い髪は宝石を海に透かしたようだと評判で、目尻が切れ込んだ真紅の瞳は恐ろしいほどに美しく、一度視線が合えば女でも恋に落ちると噂されていた。

 例え背中に十字を背負い、彼女は生まれながらの咎人であると都市を管理する大天使からのお触れがあろうと、民草からのナハトへの信頼は絶大なものであった。

 日の高い内から人通りの多いところへ出かければ、あっという間にナハトを囲む人垣が出来上がる。遊び盛りの子供から教会によく来る敬虔な老人まで、人々はみなナハトを高潔な誇り高き聖騎士として信じ切った眼を向けてくる。


 ずぐり、背の痣が疼く。


 大丈夫、こういう時の対応は慣れている。

 ナハトは軽く呼吸を整えて頬の力を引き締めると、淑やかな笑みを浮かべて言葉を振りまいた。


「えぇ、お陰さまで元気に過ごせていますよ。弟さんは大切な時期ですから気にかけてあげてください。ふふ、わたくしなどの力が助けになったなら恐縮です、しかしその祈りはわたくしでなく神へ捧げるとよろしいですよ。残念ながら次のミサは騎士団の都合で難しいです、申し訳ありません。いえおばさま、いいんですよこのくらい。クッキーありがとう、また今度感想を聞かせますね。わたくしの翼を褒めてくれてありがとう、でもわたくしは天使でなく半天使ですよ、そこを間違えてはいけません」


 天使の末席を飾るものとして相応しく、聖騎士として模範的に、そうであるように愛想を振りまく。

 クッキーの小包を手に持って、大丈夫、大丈夫、そう胸に言い聞かせながら人垣を歩いていると、目の前にまた小さな女の子が現れた。


「あら、あなたは……」

「ナハトちゃん、どこ行くの?」


 歳は十にも満たない頃だろうか、栗色の長い髪の毛をした彼女に声をかけられ、足を止める。

 ナハトの前に立ちふさがった女の子は、顔を上げぼうっとした虚ろな眼を覗かせてきた。


「わたしを殺して、あなただけどこへ行くの?」


 息を呑むナハトの前で、女の子の瞳に焔が舞ったかと思うと、周りの景色が突如として火の手に飲み込まれ、あっという間に赤い揺らめきに覆い尽くされた。

 心臓を掴み取るような音で燃え盛る業火の中で、ナハトは唖然として目を見開きながら、からからの喉で声を絞り出す。


「あなた、は――」


 気がつけば、少女の背後から無数の影が溢れるかのように現れ始めており、それらがナハトへ手を伸ばしてにじり寄ってきていた。


「助けてくれえ、天使さまぁ――」

「首が、首が切れて元に戻らないんだ、何でなんだ聖騎士が、なんで……」

「熱い! あつぃぃぃぃ!! 家に火を投げ込まれてから赤ん坊の熱が下がらないんだよぉ!!」

「うえええええええええん!! うえええええええええん!!」

「愛してると言ってくれたじゃないか! だからワシは騎士団に金だって出したのに、何で死に際にそばにいてくれなかったんじゃ!」

「戦いだからって皆殺しか、異教徒だからって降伏も許されないってか。みんな家族だっていたのに……」


 首が半分切り裂かれちぎれかけた若い男が、燃える赤ん坊を抱いた主婦が、上等なローブを纏いながらも酷くやつれた老人が、ナハトとは遠い国に住まう傷だらけで血を流した戦士が、煉獄にへばりつくようなくぐもった声を上げて近づいてくる。

 その者たちの苦痛に満ちた形相にナハトは顔に怯えを見せ、首を振りながら後ずさりする。


「や、やめて、来ないで……」

「こっちに来ようよナハトちゃん、みんなと遊ぼうよ。みんなナハトちゃんのことをよく知ってるよ。だってみんなナハトちゃんが踏みにじってきた人達だもんね」


 怯えの中で、ナハトは唐突にクッキーの小包を持った手から妙な違和感を覚えた。震える眼で手元に視線を送ると、細長い指はおびただしい赤黒い血に塗れており、その色合いと生暖かさに「ひっ!?」と短い悲鳴とともに手に持っていたものを手放す。

 落ちた小包の封が破け、内側からクッキーがこぼれ出た。信じてくれる無垢な民から分け与えてくれた富が、血と泥に侵されてまたたくまに腐臭と共に崩れ落ちていく。

 向けられる怨念、軽蔑の視線、あらゆる囁きと呵責に堪えきれず、ナハトは痛む胸を押さえてあらん限りに叫び散らした。


「わ――わたくしは――誰も殺したくなんてなかった!!!」


 叫びに火が揺らめいて、しかし消えてくれない。背中の十字のアザからは血が湧き出して、地面を重たく濡らしている。

 近づいてくる魔の手にナハトは足を後ろに引きながら、必死に弁解の言葉を続けた。


「みんながそうしろと言ったの、この背がしろと疼いたの。お前は咎人だからって、神から許してもらうために神の敵を殺せって。そうじゃないといけないって、そうしないと許されないって……」

「うふふ、おっかしいなぁ、ナハトちゃん」


 狼狽するナハトの前で、女の子が薄っすら笑うと彼女の胸元が服の上からパックリ裂けて、内側から鮮血が噴水のように飛び出してきた。

 血しぶきが降りかかり、怯えに目を見開くナハトの全身をべったりとした罪の色が汚していく。

 女の子は口からも血を吐き出しながら、深い深い絶望と失望を湛えた眼でナハトの心を射抜いてきた。


「自分が許されたいためにみんなを殺して回るナハトちゃんが、神様に許されるはずないじゃないの」

「神は――神なんて――」


 それまで恐怖しか浮かばなかったナハトの顔色がわずかに変わる。

 歯がギリリと食いしばられ、端正な顔は歪んで眉間の彫りにあらん限りの憤りを浮かびあがり、狂ったような心髄の怒りを吐き出した。


「――神なんてどこにもいなかったじゃない!!!」










「――――ハァー! ハァー!」


 ナハトは、宿屋のベッドの上で飛び起きていた。

 窓から入ってくる月明かりが彼女を照らし、汗が流れる横顔に彼女の恐怖と絶望を浮き彫りにしている。

 早鐘を打つ胸に思考を狂わされ、荒い息から平静に戻れるまで長い時間を要した。


「ハァッ……ハァッ……ゆ、ゆめ……?」


 暗闇の中で周りを見て、ようやく自分がどこにいるのか思い出した。

 パーティの仲間はまだみんな寝ていて、いつもは寝ずの番をやってくれているイリスも今は夢の中だ。

 夜の孤独の中で冷や汗がさらけ出した背中に垂れ、その冷たさの下からずぐりと嫌な疼きが頭を突き刺す。


「うっ……背中が……」


 その疼きに自らの罪悪のすべてを突きつけられているような気がして、ナハトは一人苦しそうな表情を浮かべると、両手を組んで祈るように頭を垂らした。


 ――望まぬことばかりしてきた、間違いばかりの人生だった。

 いくら振り払おうと凄惨な過去は、生ぬるい夜の霧のように羽の根元にへばりついて、真っ直ぐ生きようとする心を締め上げる。

 良心の呵責は手足の重しとなり、日の出る方角へ向かうことを何度でも否定してきて、この命を地獄の窯に引きずり込もうとする。

 罰せられるべきだと思った、死ねばいいのにと何度も思った、許されないとこれからも思い続けるのだろう。

 だがそれでも、それでもまだ。


「わたくしは……救われない……」


 浅ましくも、この自分は生きたいと願っていた。

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