Hole5 マルコヴィッチの穴
ジョン・ホールのプロパガンダは見事だった。
たった1週間で、全米はアナルセックスの坩堝に叩き落とされ、我が社のアラジンのコンドームも飛ぶように売れた。
性行為に関することなので街中の様子に変化はなかったが、アラジン社の株価、ラブホの盗撮カメラ、丸座椅子の売れ行き具合を見れば、アナルセックスの文法が全米を貫いているのは明らかだった。
全米が啼いた。
次々に出荷済みHNWのデータリストが「No Exist」へと書き換えられた。HNWの存在・消滅確認はアラジンのコンドームに追加モジュールとして用意したセンシングソフトで管理し、HNWの商品管理データベースと連携することで、円滑に進めることができた。
もちろん全ては秘密裏に。
アメリカン・ヘルスケア社は不良品の回収を世間にバレずに進められ、アラジン社は新商品がバカ売れ、国防省は新たな可能性を秘めた生物兵器を手にいれる。
WinWinWinだ!
「ついに一桁台になりましたね。この調子なら私のプロパガンダも明日にはシャットアウトして良いでしょう」
ジョン・ホールはパソコンのモニターを眺めながら淡々と状況を述べた。いつもより少し、明るい調子で。
「ふ〜」
アルフ、チェイス、ハージ、ジョンの4人は一斉に溜まりに溜まった息をもらした。それぞれの立場に応じた安堵を手に入れたのだ。
チェイスの研究室で優雅にコーヒーブレイクする様子はパンデミックの終焉を物語っていた。
「なんというか恐ろしい1週間だったな」
ジョン・ホールのアナルセックス広告戦略のせいで、妻からアブノーマルな夫婦生活を要求され、それから逃げ続ける毎日だった。妻のパソコンの閲覧履歴にアナルスティックがメンバー入りしたときは、冷や汗が流れ、後ろから来る気配に顔を振り向かすことができなかった。
この状況のからくりを知っている以上、どうしても自分が、しかもネコになるのは避けたかった。
「僕は最高の1週間だったよ!」
他の3人とは反対に艶やかなのはチェイス。
夜な夜な街に出てはお楽しみだったらしい。
まぁ、彼にとっては自分の行為がスタンダートになる世界というのは、翼を広げた白鳥のごとく居心地の良いものだったのだろう。
逆にスタンダートではない世界にまた戻ることは、チェイスにとっても、他の愛好者にとっても、嫌なことなのではないのだろうか。
なんて思ったりもしたが、チェイスのピッチピチな肌ツヤとハイテンションを眺めていたら、どうでもよくなってきた。
まぁ、世界はアナルセックスに対して、前よりは寛容に、ゆるくなっているんじゃないかな。身体のパーツの話でなく。
「すまなかった」
後ろを振り向くと、テーブルに額をつけ謝罪しているハージがいた。この一件で憔悴したのか、頰がこけ、少しガリになっていた。
「大学時代のことも、お前らの発明をパクったことも、今回のことも含めて全て謝りたい」
「お前らに許してもらえるとは思ってない。お前らにも国防省にとっても許されないことをした」
「うちは新たな兵器が手に入ったので看過するが」
俺とチェイスは背中を向けたままのジョン・ホールとハージを見比べた。
「んっ、まぁとにかくだ。今回のことも踏まえて俺はやはり、研究者に向いていないことがよくわかった。いや、本当はあのコンテストの時から感じていたのだが」
「そう? あのときは優勝したのに?」
「俺はシャーレの一枚もピペットマンの一本も握らなかった」
「わーお」
「優秀なのはこの口だけだ」
「えっ、審査員のおっさんどもにブロージョブしたの!?」
俺とジョン・ホールは椅子を下げ、チェイスは机にかじりついた。
「違うわ! ただのスポークスマンでしかなかったってことだ」
「そいつにシーフ(盗人)も足しとけ。チェイスのアイデア盗みやがって」
俺は容赦も慈悲もないので、落ちこむハージをさらに蹴落とす。
チェイスの研究室のデスクに、ジョン・ホールのキーボード音だけ響いた。
「だっ、だけど! ハージのその能力は僕らにはないものだよねっ。なんなら、アルフの会社で雇ってあげたら? このプロパガンダを打ち切ったら、アラジン社の宣伝も足りなくなるでしょ」
チェイスが落ちこむハージにフォローを入れた。
「たしかにそうだなぁ」
俺はチェイスの方に振り向いた。
「チェイス、うちに来るか? どうせ今回の件でヘルスケア社のほうはクビだろうし」
「いいのか?」
「その代わりこき使うからな」
「覚悟しなよ〜、アルフのとこはブラックだからね〜」
「ありがとう! 心の友よ〜」
でかい図体のハージが泣きながら抱きついてきた。日本のアニメでこうゆうシーンを見たことあるなぁ。お山の大将が改心するやつ。
「寄るなっ、チェイスみたいなマネするんじゃねえっ」
3人で談笑する不思議な空間。まるで学生時代の、俺たちがいがみ合う前に戻ったようだった。
「ピコーン」
アナログな電子音がジョン・ホールのパソコンから聞こえた。
「残り1人」
ジョン・ホールは電子音と共にパソコン上に表示されたポップアップを読み上げた。
「HNWのユーザーが残り1名になりました。登録情報記入済みユーザーです」
「「おぉー!」」
ジョン・ホールは淡々と登録情報を読み上げ始めた。
「性別:男性」
「年齢:35歳」
おっ、俺らと同い歳だな。
「出身大学:ANAL.Tech.大学」
大学まで一緒だ。ジョン達の力を使わず、ローカルな方法でもアポイントメントとれそうだな。
「注意:ダイエットソフトウェアのインストール履歴があります。生命維持のリスクが高いユーザーです。早急に対処が必要です」
これはやばいんじゃないか。俺らの恐れていた命に関わるケースに陥っているかもしれない。最後の最後にどでかい仕事が来やがった。
「いったい、どこのどい……」
俺は身を乗り出して、ジョン・ホールからパソコンのディスプレイを奪いとった。
「名前:ハージ・ティーズ」
アメリカン・ヘルスケア社、健康生命情報管理部長。
「がたっ」
ドアへ向かってクラウチングスタートを仕掛けたハージ。
「ガシっ」
を、いつの間にかドアに移動していたチェイスが優しくハートキャッチぷりきゅあ♡
「い、嫌だっ、俺は絶対、ぜったい! ノーマルなんだ!」
「ハージ、アラジン社の最初のお仕事だ、1ページ前で宣言したとおり、さっそく『こき使わせて』もらおうか」
俺は離れたチェイスに向け最初の業務命令を出すことにした。
「チェイスに」
「初めてだから、優しくしてあげるね♡」
ハージの耳元でやさしく囁くチェイス。
羽交い状態になったハージの無駄な抵抗にも、チェイスは微動だにしない。こう見えてチェイスは筋肉質なのであーる。
「かっ、かっ、かっ」
俺はゆっくりとハージの元へ近づいていった。
ハリセンボンのように笑いをこらえる俺とチェイスは打ち合わせなしに声をあげた。
「「ようこそ!」」
「「A Whole New World(全く新しい世界へ)!」」