Hole3 全てが穴になる
「今回、私たちアメリカン・ヘルスケア社がご紹介するのは、全く新しい健康食品……ではありません。いつもの試供品のダイエットクッキーを楽しみにされていた紳士淑女の皆様、申し訳ありません」
「「「ハハハハハ」」」
相変わらず、スピーチだけはうまいハージ。あいつの研究と性格はゴミクズだけどスポークスマンとしては光る所がある。
「ご紹介するのは健康管理『システム』です」
「あっ、そこの眉間のしわをよせたあなた」
そういって肥満気味の男性研究者の方向を向いた。
「『毎晩測定しなくちゃいけないめんどくさいヤツだ』って思いましたね。そんな面倒くさがりの貴方にもぴったりなパッケージです」
「「「ハハハハハ」」」
予定通りのコール&笑いレスポンスに満足げな表情を浮かべるハージ。一呼吸置いてから、右手をスーツの内ポケットに入れ何かを取り出した。
掲げたそれは、俺がさっきハージに渡したやつと中身が似ていた。ハージが掲げたのは4センチ四方の袋だった。会場がざわついた。
「ご安心ください。ご安心ください。皆さん見覚えのある包装かと思いますが、その想像しているものではありません」
「避妊具の試供品が欲しい方は東ブロックの一番端のブースまで行ってください。たまたまですが、僕の同窓生が新商品を配っております」
うちのブースに寄ったらしい数人が、クスクスと笑った。
「私が紹介するのは」
ハージは包装紙をピリピリと破いて中からペラッペラの1枚のシールを取り出した。ホール内微風でもそよぐぐらいの薄さだ。親父が前に話していた、日本のギョウ虫検査のシールに似ている。
アシスタントらしき人が、ハージの目配せに応じて、壇上に飼育用の子豚を連れてきた。
「ぶひっ」
動きがあどけない子豚ちゃんだ。
「本当は実際に人を使ってデモンストレーションしたいところなのですが、お見苦しいのでこの子豚ちゃんでご勘弁してください」
「この子豚ちゃんを自分だと思って、僕の話を聞いてください」
「「「ハハハハハ」」」
ハージはその子豚の背後へと回った。
「使い方は簡単です。このシールをお尻の穴にピッと貼り付けるだけー」
使い方もぎょう虫検査みたいだ。
「これで貴方は健康な身体、いやお望みの身体を手に入れることができます」
「……?」
会場内はハージが何をしたのか、何が起きたのか分からず、聴衆が周りの人に尋ね合っている
「ご覧ください!」
ハージが右手を背後に向けるとディスプレイが点灯した。巨大なディスプレイにはこの子豚ちゃんの3Dの体型映像、体重、体温、視力、排便の回数といった、検体の健康情報が表示された。
「これはこの子豚の現在の健康状態を現しています。私たちはこの情報をとある改造を施した」
「大腸菌を使うことで入手しました」
「「!」」
俺とチェイスは2人して顔を見合わせた。
「そう、先ほど貼り付けたシールの上に居た大腸菌を生体内に入れることで、このことを可能にしました」
「その名も」
『Health New World』
「これがこの健康管理大腸菌の名前です。長いのでHNWと略してお呼びください」
ハージはこちらを一瞥しニヤリと笑った。
「HNWはその名の通り、私たちを全く新しい健康に満ちた世界に導いてくれます」
「HNWは生体内で私たちの身体を常時モニタリングし、そこで得た情報をサーバに送ります。送られた情報はリアルタイムでユーザーの元に届けられ、自分の健康状態をチェックすることができます」
「また、それだけではございません。このHNWは生体内で自由自在に化学合成を行うことができ、その物質を使って、ご自身の体重を設定通りに調整してくれます。勝手に」
「おおっー!」
「もう貴方は、体重計に載ることも、無理して食べたいものを我慢する必要もありません!」
「あなたの望む体型をお持ちのスマートフォンかパソコンから命令するだけ!」
「全てはこのHNWが解決してくれます!」
「おぉー!」
「パチパチパチパチ!」
会場はホール全体に響きわたる拍手喝采に包まれた。
そんな世紀の大発明で会場が湧き上がる中、俺とチェイスは他のことを考えていた。
「あいつ、やっちまったな」
「うん、そうだね」
俺らは言葉を交わさずに、事のヤバさを理解した。
寸前までは、ハージが俺らの開発物をパクったことに対して腹わた煮えくり返っていたが、今はすごく冷静、を通り越して冷や汗が吹き出しはじめた。
昼飯用に買ってきたトルティーヤがさっきから咀嚼され続け、一向に喉を通らない。
ハージは禁忌の中でも一番やらかしてはいけないことをしでかしてしまったのだ。
「俺たちと同じ大腸菌株を使ったのかだけ確認しておこうか」
チェイスは悲しみの眼差しで壇上を見つめながら言った。
「アメリカン・ヘルスケアの新商品、Health New Worldをよろしくおねがいしまーす!」
そう、自分の発明品が人を殺す道具に使われることを知ってしまったからだ。
発表を終えたハージは壇上から降りて来ると、真っ先に僕たちのもとに来た。
「やぁ、どうだった? 僕のセールストークは、とちってなかったかい?」
ニカニカしながら、俺とチェイスの顔を見比べている。
「完璧だったよ」
「そうでしょうとも!」
「トークだけはな」
「いやいや、完璧だったのはむしろうちの商品の方でしょ〜」
「君たちが踏み出せなかった領域に、君たちのアイデアと菌を使って到達した、この開発力」
「チェイスのあっちの開発力には敵わないけど」
ハージはチェイスを指差しながらほっぺたを膨らませて笑った。
チェイスはうなだれた肩でただただ悲しい顔でハージを見つめた。
「コンテストのときに主催者に提出したお前らの開発した大腸菌株から作ったんだ。あのコンテストはうちの会社が主催したものだから、文句言われるいわれはない。どうしてもというなら法廷で争ってあげよう」
「おいっ!」
「ハージ! てめぇは気づいていないのかよ! 博士課程で大腸菌工学の何を学んだ! あれが生体内に入り込んで、俺らの手から離れてしまったら、ダイエットは栄養吸収阻害。人を殺すんだぞ!」
気づくと俺は、ハージの胸ぐらを掴んで、ステージ裏の壁に叩きつけていた。
「アルフ……」後ろから聞こえてくる、チェイスの声がしみるほど痛かった。
俺らだって何度も考えたさ。生体内で俺らの大腸菌が活躍し、全く新しいやり方というか概念で、健康管理、自己管理をする世界を。でも、まだ今じゃないんだ。除かなくてはいけない障壁が多すぎる。
少なくともこの分野の論文はチェイスがトップランナーだ。そいつがまだ生体内デバイスの壁を取りきれていないということは、ハージの会社がリスクを背負った商品を、査読付き論文雑誌を通して安全性を認められていない商品を、セールスするということを意味する。
「大丈夫、天下のアメリカン・ヘルスケア社が売り出す商品だよ。そんなこと起きるわけがないさっ」
ハージの視線は宙を向き、声は半音いつもより高かった。お前も考えたんだろ、その可能性をさ。
ハージは俺の手を胸元が引き離し、襟を整えた。
「とにかく! お前らが手をこまねいているうちに、僕が、僕こそが全く新しい世界のドアを開いた!」
「負け惜しみはもう、じゅうぶんだぁ」
目をカット開き、俺たちを無理やり説き伏せる調子で、ハージは言った。
「残念だったね、君たちが開発したコンドームの機能も、遅かれ早かれ僕たちのデバイスでサポートすることになるだろう」
「なるべく早く、生産ラインの停止命令を出したほうがいい」
そう言い残してハージは去って行った。
隣のチェイスは憐れみの視線を離れていくハージにじっと向けていた。
「ハージ、今の会社に入って苦労していたみたいでさ、名門大学から来たもののずーっと、新商品の開発に失敗していてさ」
「元気づけようと、学会で会ったときは声をかけるようにしてたんだけど……」
「恩を最悪の仇で返されたな」
「……」
「どうするんだ?」
「とりあえず、僕の株がソースになっているのがわかったからね。準備はしておくよ」
「そうだな。チェイス頼んだぞ。プラントはうちの会社の使っていい。俺からも言っておく」
何が何やら何の因果で何の因果か俺たちは、ハージの会社のケツから導入するデバイスの、尻を拭く準備を始めることにした。
俺たちは頭が良く、次に来る世界がよくわかる。
わかりすぎて困るのも報われないのも昔から変わらない。