Hole1 若さとは穴を振り返らないことである
「第3回、大腸菌工学コンテストの優勝チームは……」
「ハージ・バイオテクノロジーズですっ!」
「Yeah!」
「さっすがハージっ!」
「あなたについていきて良かったわ〜」
華やかなライトアップとともに抱き合っているのは、俺らとは関係ない、そして一番近しいチームだった。同じ大学から出場しているハージ・ティーズのチームだ。その煩い歓声をまともにキャッチしないよう右から左へ全て受け流した。
これは親父の国の言葉で「馬耳東風」というらしい。
「だめだったね……アルフ」
横に居るチェイスは手をまごつかせ、機嫌を伺うような視線をちらちら向けた。
「僕が、もっと生物分野のことを勉強していたら、もっといいエンジニアだったら……」
「いや、お前が用意した通信モジュールは完璧だった。最強のエンジニアで、最高の納品をしたよ」
20世紀のこの時代に、腸内の大腸菌にpingコマンドを打たせて体外へ送るための、通信モジュールを作れるのはお前くらいだ。そう、俺らの描く21世紀を考えるならば、これは偉大なる一歩なんだ。たとえ通信確認コマンドしか打てなかったとしても。
橋本アルフレッドは会場のテーブルに並んだオードブルに手をつけ、ビールをコップに注がず、瓶で飲み始めた。
「他の全てのチームの発表を見たが、やっぱり俺とチェイスで作った、大腸菌が一番クレイジーで、一番未来を描いていたよ。『全く新しい世界』に早起きし過ぎただけさ」
そう言うとチェイスはかっかと笑い、1限に起きた試しのないアルフがかい? と珍しくジョークを飛ばした。
「乾杯しようぜ」
ビールが飲めないチェイスは慌てて、テーブルの上にあった空のコップにコーラを注いだ。
「「乾杯」」
会場の隅の、スクールカーストの底辺の角の、大腸菌ぐらい非常にミクロな祝勝会だった。
いいさ、時代が来れば俺らの発明はもっと大きな舞台で祝福され、認められる。
そう、そういう小さな達成感に浸れるだけでじゅうぶんだったのに。
「おやおや〜なんで君たちそんなに笑っていられるの〜? 乾杯していられるの〜?」
そんなささやかな居場所さえ認めない、そういうやつが居ることをすっかり忘れていた。
ハージだ。
「もっと暗くなれよ〜、落ち込めよ〜、コンテストに出場してごめんなさいって顔をしろよ〜」
ハージは首を120度傾け、歪んだムカつく顔を俺に近づけてきた。
「君たちさっ! 負けたんだよ。優勝、金賞、銀賞、銅賞の中の銅賞! わかる〜?」
ハージの後ろでその取り巻きたちがクスクスと笑っていた。このカスカスカースト野郎供めっ。
「まぁ、でもブロンズは君たちにはぴったりなカラーだよね、なんだっけ君たちの作った大腸菌の名前……」
ハージは人差し指をぴーんと上に立て、わざとらしく思い出したリアクションをした。
「あっ、『アナル・ワールド』だ〜! 君たちの、な、ま、え。別に、結果までブロンズにしなくてもいいのにね〜」
「「「ハハハハハ」」」
会場がどっと笑いで溢れかえった。
胸糞悪い。
ハージもハージのチームも、この構図をいつもの光景として眺めるやつらも。このクソッタレな世界をひっくり返すために始めたっていうのに。相変わらずのクソ扱い。
「ほ、Hole New Worldだよ〜」
チェイスが力のない声で反論したが、だめだ。それはあいつらの酒の肴にしかならないんだ。
「え? なんだって〜? ホモ野郎の言う声はよく聞こえんなぁ〜。ケツからちゃんと声だせよ〜」
ここぞとばかりに用意していた悪態をつくハージ。
「「「ハハハハハ」」」
それを是と見なすグループ、空気。
「帰るぞ」
俺はチェイスの腕を掴み、会場の出口へ早歩きで向かった。
「……おいお〜い! Holeでしごくには、まだお日様が高過ぎるんじゃないかな〜」
遠くから俺たちを揶揄するハージの声と盛り上がる会場が、汚い影のように僕らに覆いかぶさった。
チェイスが本当にそういうやつなので、いまいちハージに言い返せねぇのもムカつく。
でも、ホモであることを差し引いてでも、そもそも引くものでもねぇけど、こいつの技術は半端ねぇ。
そういう意味ではなく、エンジニアとして。
手を掴まれて頰を赤らめるチェイスに冷や汗をかきながら後にした。
きらびやかなホールからは、きらびやかな大学生達と蝶ネクタイを締めたお偉いさん達が、なごやかに談笑しているが見えた。遠くから。
そして極め付けは流れているBGMが千夜一夜物語のテーマソングだったこと。BGM的には俺らの方がぴったりだろ。
なのに俺らは何もない白い冬の街に、追いやられるように走り出した。いや、追い出された。
そんな学生時代の嫌な思い出。……思い出?
「……ゃくさん」
「お客さん! ここ真っ直ぐ行っていいの?」
「んぁあ、すまん。オーケーだ。もう少し行ったところに駐車場があるはずだから、そこで降ろしてくれるか」
嫌な夢というか思い出を再生したうたた寝。
「はーい」
俺はすぐさまカーレディオに耳を向けた。案の定、そこから流れていたのはあの歌だった。
「これ、今年のスケートのグランプリファイナルで優勝した娘が使っていたんですよ。いい曲ですよねぇ。僕が子供のときかなぁ、アニメ映画で使われていた曲でね。その作品の元ネタ知ってます? 千夜一夜物語っていうイスラムの説話集なんですけど、この話自体は元々……」
「その……、音? 小さくしてくれません?」
俺はドライバーの話を遮り、バックミラー越しにボリュームチューンを回すジェスチャーをした。
「え? あぁ、はい、いいですけど」
タクシードライバーは渋い表情を浮かべながら音量を下げた。
「ちっ」
せっかくやぶった沈黙に水を差すような行為をしたため、運転手は無口から不機嫌にグレードダウン。
車の外は色味のないモノトーン。
薄っすらと雪が残り、空も白い蓋をした街と同様、車内もひんやりひっそりしてしまった。
結露したカーウインドウに長方形にべん毛が生えた生き物を描きながら、悪夢から思い出に変わろうとしている記憶に思いを馳せた。
詰め込みB級映画じゃないが、天気も場所も音楽も登場人物もあのときと重なる今日の現場。違うのは今やっているお仕事。今は、やっている人達を助けるお仕事。
急に身体がガックンと前後に振動した。
「着いたよ」
すっかり機嫌を悪くした運転手はわざとらしく、キッとブレーキを踏んで車を停車した。
「悪かったな、気ぃ悪くして」
予想外の言葉が来て驚いたのか、彼は目をまん丸くして、慌てて会釈した。
「こっちこそ申し訳ねぇな。せっかくの帰郷なのに」
「わかるのかい?」
「わかるよ、あんたのその訛りはこの街に一度漬けられたヤツだ。プンプン匂いやがる」
「10年経っても抜けてないのか、…ぁあ、なんて酷い樽だ。これじゃあ、臭くて女房に家に入れてもらえないな」
「ちげーねー」
半ドアの車内でふたりして笑って、いい雰囲気の会計に納まった。
「あっ、女房といえば」
俺は今回の仕事を思い出し、カバンに手を突っ込んで奥に入っている白い箱を、運賃といっしょに手渡した。
「ところでおじさん、コンドームは足りているかい?」
「チップ代わりにもらっていってくれ」
「おいおい俺に、今晩バイソンと決闘しろっていうのかい?」
「そう言わずに貰っておくれよ。会社のノルマなんだ。出張中に全部配り切らなきゃいけなくてね」
「Aladdin」とプリントされた包装箱を押し付けて、俺は逃げるように運転手にさよならした。
箱の説明と厚さにしかめっ面する運転手を尻目に、俺はイベント会場に向かった。場所はあのときと同じ、イーコリ・サイエンスホール。
そう、お尻の穴からIoTデバイス突っ込むコンペで下克上を狙ったが失敗し、穴の空いたコンドームで避妊に失敗してできちゃった婚。研究ポストがあくまでの腰掛け企業に永久就職。毎日穴に抽送するための避妊具の開発、ときどきセールス。
それが橋本アルフレッドのこれまでの人生だ。これまでといったがこれから何か起こる予定はない。
とにかく俺は。
穴というものについていない。