不審なメール
本日2話目の投稿です。
イリーノ村の出入り口は2つある。1つは村の東に広がる草原地帯に出る正門。隣町へと続く街道が伸びるこの草原エリアには、野ウサギを始めヤギやヒツジといった草食動物の他、リスを模した小型の魔物がうろついている。
もう1つは今俺がいる森に出られる裏門だ。
村の北側に位置する小さな森で奥に入らない限り、危険はほとんどない。村の子供たちですら薪拾いに来ているくらいだ。初心者向けの採取地呼ばわりされるのも頷ける。
ただし、夜になると夜行性の魔物が徘徊する危険な森へと姿を変える。
まだ朝だし、今は関係ないけどな。
小鳥のさえずりと木漏れ日の穏やかな温もりが、異常事態発生中だという事をしばし忘れさせてくれる。そんな癒しの森で、俺が狙うのはただ1つ。
ピオーニュの採取だ。青いこぶし大サイズの果物で、食べるとブドウに似たフルーティーな甘酸っぱさが口に広がる。
満腹にはならなくても、腹の足しにはなるだろう。朝食代わりには良いんじゃないかな。野ウサギも狩れたらいいんだけど、ここは森の中だ。昨日の畑炎上の二の舞になりそうで怖い。
杖術スキルで撲殺という手もあるけど、なんか視覚的に嫌だ。魔物みたいに襲い掛かって来るならともかく、つぶらな瞳で草を食む野ウサギ相手にそんな非道な真似はしたくない。
やるならせめて魔法で1撃で仕留めたい。移動するのは面倒だけど、野ウサギは後で草原で狩ろうと思う。
そんなこんなで、戦闘など一切せずにピオーニュの実を10個ほど集めた。ついでにブルーリーフの葉も15枚採取した俺は、一旦宿に戻ることにした。
昼からは草原に出て野ウサギ狩りだ。
思った以上の収穫にほくほく顔で踵を返そうとした矢先に、俺の視界を茶色い巨体が横切った。踏み出そうとしていた足をそろりと下ろして首を右斜め前方に向けると、茶色い巨体の持ち主と目が合ってしまった。
その瞬間、子供の頃に歌った事のある童謡の一節が俺の脳内に再生された。ここは花咲く道でもないし、俺が出会ったのは落とし物を届けてくれる心優しいクマさんじゃなかったけどな。
採取に夢中になり過ぎて、いつの間にか森の奥まで入り込んでいたらしい。
厳つい咆哮を上げるクマさんと、硬直する俺。勝負は出会った瞬間に決まっていたようだ。クマさんこと、フォレストベアの強烈なボディブローを受けた俺の身体が宙を舞う。
背後の木に叩きつけられた時には、俺の体力はレッドゾーンに突入していた。慌ててカバンから取り出した回復薬(小)を飲み干し杖を構えたけれど、フォレストベアはすでに太い腕を振り被っていた。
***
呆気なく死に戻りした俺は、宿に戻ってピオーニュの実を齧りながら今後どう行動するかを考えていた。
現在デスペナルティでステータス半減中なのだ。この状態で狩りに行っても、魔物に遭遇したら逃げ切れない。また死に戻りしてしまう。
幸いなことに採取したピオーニュとブルーリーフの葉も8割以上が手元に残っていた。『アルマーの大地』では死に戻りするとフィールドやダンジョンに入ってから得たアイテムの2割から3割前後を失うのだが、今回は運が良かったらしい。
食糧不足が解消されたわけじゃないけど、わざわざデスペナルティ中に採りに行くほどではない。
それよりももっと切実な問題がある。回復薬(小)だ。チュートリアル用のクエストで手に入れた5本の内、4本は使用済みだった。
そしてついさっきフォレストベアに襲われた時に、最後の1本を使ってしまったのだ。
手持ちの回復薬ゼロはちょっとどころでなく厳しい。回復薬(小)は1本50マールだ。そんなに高い物ではないけど、今はNPCの店が使えない。
さらに生産系のプレイヤー達が露店を開くのを躊躇っているようで、たかが回復薬といえども入手困難な状態だ。
だがしかし、俺は最初から薬術スキルを持っている。買えないのなら自作すればいいのだ。たぶんシステムが復旧するのを待つより、その方が早いだろう。
そうと決まれば早速、調合を…と言いたいところだけど、材料は限られている。薬術スキルも低い。ここは調合方法を見直すくらい慎重にいこう。
決してデスペナ中で暇な訳ではないと独り頷きながら、俺はチュートリアルで手に入れた調合用の本『初めての薬調合』を読もうと、カバンに手を伸ばした。
本を読み始めて10分もした頃だろうか。読書に集中していた俺は、ふと顔を上げた。
「今、なんか聞こえたような…」
メール機能の着信音に似ていた気がする。持っていた本を放り投げる勢いでサイドテーブルに置いて、ギルドカードを確認してみたが特に変化はなかった。
相変わらず、通信機能は使えないままだ。
「気のせい…か?いや、でも…」
確かに聞こえた。ただし、随分と小さな音だった。そこまで考えて、俺は自分がもう一つギルドカードを持っていることを思い出した。
あの消えた角刈りマッチョのギルドカードだ。カバンを漁ってカードを取り出すと、外部からのメール着信を知らせるランプが点滅していた。
勝手に他人のメールを見るのは気が引けるけど、非常事態という事で許してもらおう。
「えーっと、差出人は…C&S緊急回線って、なんだこれ?」
表示されたメールの差出人を確認した俺は、思わず呟いていた。C&Sはわかる。このゲームの運営会社だ。たしか“Connection&Smile”の略で、雪乃が人の繋がりと笑顔がコンセプトとかなんとか言っていた気がする。
でも緊急回線ってどういう事だ。
あの角刈りマッチョって、実は運営会社の関係者だったのか?それにしては連絡が遅すぎる気がするけど…。
「…運営会社からなら見ても問題ない、よな。たぶん」
角刈りマッチョと運営会社の関係はともかく、彼が消えてしまった事は知らせておいた方が良いような気がする。
少し悩んだ末に、結局俺はメールの内容を見ることにした。
***
『このメールを見た方へ。
現状確認のため、出来るだけ詳細なゲーム内の状況情報を求めています。
返信のご協力をお願いいたします。
警視庁サイバー犯罪対策課・支倉直樹』
………訳が分からん。
なんでゲーム運営会社の緊急回線で警視庁からメールが届くんだ?サイバー犯罪対策課って、どういう事?
しかもこのメールの内容だと、ゲーム内の状況を全く把握してないような印象を受ける。
異常発生直後に復旧作業中だっていうメールも届いてるし、かなりゆっくりではあるけど実際に復旧し始めてるのに、そんなこと有り得るのか?今朝だって、ギルド内のNPCが1人動き出したらしいのに。
なんか…、胡散臭い。だけどシステム異常によってログアウト不能に陥った相手に対して、このイタズラは性質が悪すぎる。
それに、もし本物だったら外部と連絡を取れるかもしれない。
どうしたもんかな。