情報収集
今、俺の目の前には冒険者の証であるギルドカードが鎮座している。消えしまった角刈りマッチョなお兄さんのものだ。
このギルドカードには、個人データがこれでもかというほど詰め込まれている。外見はただの金属のカードでも、ステータス表示、フレンドリストにチャット機能、プレイ履歴などを管理するゲーム内で使う端末のようなものなのだ。
通常他人に譲渡できるようなものではない。本来なら角刈りマッチョが消えたと同時に、カードも消えるはずだ。なのに何故か俺の手元に残っていた。
しかも今なおログアウトできない状態が続いている。これで不安になるなと言われても、無理な話だった。
あの直後、俺たちプレイヤーは一瞬の静寂を破るようにパニック状態に陥った。全プレイヤーに向けてシステムの不具合を知らせる運営からのメールが届かなければ、今頃暴動に発展していたかもしれない。
現在復旧作業中だという運営からのメッセージどおり、10分もしない内に機能停止していたNPC住人がちらほらと動き出したおかげで、みんな辛うじて平静さを取り戻すことができた。
ギルド職員や露天商が完全に停止し村の機能が失われている中で、宿の受付NPCが動いていたのも良かったのだろう。中には村の外に調査に出て行く強者もいたが、俺を含めたほとんどのプレイヤーは村に1軒しかない宿に泊まっている。
たとえ固い木製ベッドと小さなサイドテーブルが置かれただけの質素な部屋であろうと、泊まる人がどれだけいても満室にならない宿屋のシステムに拍手を送りたくなった。
そんなわけでとりあえず人心地着いた俺はベッドの上にカバンの中身をぶちまけて、所持品チェックをしていたのだ。
その中に紛れ込んでいたのが、角刈りマッチョのギルドカードだった。
「やっぱり変だよな」
いくらカードを矯めつ眇めついじくり回してしてみても、このギルドカードにだけ運営からのメールが届いていないという結果は変わらない。
本人の手を離れた所為で機能が停止しているというなら、まだわかる。でもカード自体は普通に使えるのに、メールだけが届いていないのだ。
普通に使えるとはいってもチャットなどの一部の機能は、俺のギルドカードでも使えなくなっていた。システム異常を知らせる運営からのメール以降、プレイヤーの通信機能は全滅状態だ。外部はもちろん、ゲーム内での通信もできない。
フレンドリストを見る限り、幼馴染の雪乃もログイン中のはずなのだ。俺としては彼女の安否確認だけでもしておきたかったのだが、チャット機能が使えないのでは仕方がない。
まぁ、俺よりレベルも高いし、1人じゃないはずだから大丈夫だとは思うけど。
確か一昨日、夏期講習で会った時に『レディースクラン・百花繚乱』とかいう女ばかりのグループに入っていると言っていた。
「どっちにしろ俺に出来ることはない、か」
ギルドカードの謎も雪乃の安否も気にはなるが、結局はゲームシステムが復旧しないことにはどうにもならない。
ベッドに広げていた荷物をカバンに詰め直した俺は、昼間買ったまま食べていなかった唐揚げと宿の中庭にある井戸で汲んだ水で腹を満たして眠りについた。
***
寝返りを打った拍子に感じた眩しさが、俺の意識を浮上させていく。だが未だ寝ぼけた頭は惰眠を貪れと命令してくる。あっさりと誘惑に負けた俺は布団に潜り込もうとして、あまりの寝心地の悪さに跳ね起きた。
忙しなく首を巡らせた俺の目に飛び込んできたのは、都会ではまず有り得ない木造100%の室内だった。寝る前の出来事を思い出して、つい溜め息を漏らしてしまう。
“寝て起きたら夢だった”なんていう都合の良いオチにはならなかったらしい。
窓を開けると、早朝特有の爽やかな風がさっと吹き込んでくる。だが気持ちの良い朝だと思えたのは一瞬だけだった。
通りに面した窓から階下を見下ろすと、早朝にもかかわらず多くの住人の姿が見える。ただし動く人影は皆無だ。相変わらず行動停止したままの状態なのだろう。
雨が降ったらどうなるんだろうなんて埒もない事を考えつつ、サイドテーブルに置いてあったカバンを引っ掴む。
取り出したギルドカードを操作する俺の願いも虚しく、カードにはエラーが表示された。
「…チャット機能もログアウトも不能のままか」
システム異常が発生してから約半日。ゲーム内の1日はリアル時間では3時間だったはずだから、実際にはまだ1時間半しか経っていない計算になる。
もしシステム復旧に丸1日かかったとしたら、ゲーム内で1週間以上過ごすことになってしまう。最悪の場合はそれ以上の期間このままの状態が続くかもしれないということだ。
かつてVRゲーム開発初期に起こったシステム異常の中には、復旧にリアル時間で1週間かかったという例もある。あの時はたしかログインできなくなっただけだったけど。
開いたままのカバンの中身をちらりと横目で見遣った俺の眉間にしわが寄る。
昨夜確認した所持品は、回復薬(小)1本とブルーリーフと呼ばれる青い薬草が5枚。あとは調合と採取のスキル本が1冊づつと所持金が680マールのみ。
…俺、食料持ってない。宿も食事つきじゃないし、もしかしなくても詰んだ?
すでに小腹が空いてきている。ゲームの設定では空腹状態でもステータスが半減するだけで死ぬことはないけど、システム復旧まで飢餓状態なんて嫌すぎる。
いやいや、まだ可能性はある。そう、NPCの店だ。昨日は機能停止していたが、今日もそのままとは限らない。
「とりあえず、情報収集だな」
一縷の望みを託して、一番店が多い中央通りに向かう事にした。
情報を求めて中央通りへとやって来た俺を迎えてくれたのは、停止したままのNPC達だった。ゲームを始めてからこの通りには何度も足を運んだが、ここまで静まり返っているのは初めてだ。
昨日は他のプレイヤー達が居たぶん、もう少しざわついていたのに…。
「やっぱり駄目か」
食糧を手に入れることも出来ないまま大通りを歩き続けた俺は、冒険者ギルドまで行き着いたところで力なく肩を落とした。
ここまでの道のりでも動く人影を目にすることはなかった。早朝だからか、他のプレイヤーの姿もない。
これだけ“人”がいるのに、誰も動かない。それがより一層気味の悪さを際立たせていた。夜には絶対に出歩きたくない光景だ。ホラー系が苦手な人は昼間でも村の中を出歩けないかもしれない。
このぶんではギルド内も同じだろう。それでも一応確認だけはしておこうと、扉に手を掛けた途端、勢いよく扉が俺に向かって迫ってきた。
ゴツッという鈍い音と共に、鼻っ柱に強烈な痛みが走る。
「もう嫌だーーーっ!おばけ怖いっ!!」
声も出せずにその場で蹲った俺の横を、誰かが野太い叫びを撒き散らしながら走り抜けていった。たぶんプレイヤーだと思うが、今の俺に確認する余裕はない。
「あ~ぁ、行っちゃったよ」
「馬鹿、なに暢気なこと言ってるのよ!あの、大丈夫ですか?」
声を掛けながら俺の背に優しく手を添えてくれたのは、昨日ギルドで見かけたエルフっぽいお姉さんだった。
エルフのお姉さんは痛みから回復した俺を金髪剣士に任せて、走り去ってしまった仲間を追いかけて行った。
俺としてはお姉さんが残ってくれた方が嬉しかったのだが、初対面の男相手じゃ仕方のない人選だ。状況が状況だしな。
「悪かったな。なにせホラー系は大の苦手って奴だから、この状況に怖がっちまってさ」
「じゃあ、やっぱりギルドの中も…」
「おぅ、“不気味な蝋人形の館”って感じだったぜ。しかもアイツの真後ろにいたNPCが急に動き出しちまってよ」
「それは…、苦手じゃなくても怖いですね」
恐怖に耐え切れず飛び出したところに、運悪く俺がいたわけか。昨日からこんなのばっかりだな。そこまで運動神経悪くなかったはずなのに。球技以外は、だけど。
っていうか、この人たちのもう一人の仲間ってスキンヘッドのおっさんだったよな。気の毒というか、いろんな意味で痛々しいな。
「まぁ、動き出したNPCも1人じゃギルド再開は無理とか言ってやがったし、なによりアイツがあんな状態だからな。村の外に食糧調達くらいは行くけど、俺達はしばらく宿に籠りっきりになりそうだ」
「外に出ても大丈夫なんですか?」
「あれ、聞いてないか?システム異常の後、フィールド調査に出てた奴らが夜中に戻ってきてな。たまに固まってる魔物もいたけど、狩りは普通にできたってよ。採取も釣りも大丈夫らしいぜ」
夜中か。熟睡してたな。それにしても良い情報を聞いた。狩りは自信ないけど、採取ならなんとかなりそうな気がする。釣りは…、竿も餌も持っていないから問題外だな。
礼を言って金髪剣士と別れた俺は、食料を求めてさっそく採取に出かけることにした。