プロローグ:異常事態発生
本日2話目の投稿です。
あの後、結局畑の持ち主と一緒に消火活動に勤しんだ俺は改めてモグーラ退治を成功させ、一応ではあるがクエストを無事に終えることが出来た。
魔法を禁じられた俺は、杖でぶっ叩くという荒業に出たのだ。空振りも含めて、これでもかというほど杖を振りまくった。そんな5匹のモグーラとの格闘はもはや“モグーラ狩り”ではなく、ただのモグーラ叩きだったが成功は成功だ。
しかも【杖術】という戦闘スキルを手に入れてしまった。杖で殴りつけた時の攻撃力が上昇するらしい。元々魔法攻撃力を強化するための武器なのに、物理攻撃力が上昇しても意味はないんじゃないかと思うのは、俺の気のせいだろうか。
このゲームはプレイヤーの行動によってスキルを習得する仕組みになっている。プレイヤーの成長も同様で、すべてはゲーム内での行動を反映する形で決まる。魔法を使えば魔力関係のステータスが上がり、魔法関係のスキルを習得するし、剣を使えばそれに関する能力が上がっていく。
それゆえに、今回の俺のように予期せぬスキルを習得してしまう事もあるのだ。そのぶん装備できるスキル数に上限がなく、プレイヤーは多彩な行動が可能となっていた。
自由度とリアリティの高さが売りだからこそのシステムなんだろうな。たまに使い道のないネタスキルもあるらしいけど。
ピンポイントで欲しいスキルがある場合は、本を読んだり人に教えてもらうことでも習得できる。もちろん使わないスキルはレベルが上がらず放置される運命だ。
なんにしても魔法攻撃主体で接近戦をするつもりのなかった俺にとっては微妙なスキルだったが、あって困るというものでもない。
燃えた畑代として減らされた報酬の代わりと思えば悪くはない。とでも思わなければ、やっていられないというのが本音だったりする。
「あ~ぁ、今日中に1つくらいは防具買えると思ったのになぁ」
報酬の200マールを受け取ってギルドを出た俺は、自分の着ている服に目を落として思わず溜息を漏らした。木綿でできた飾りっ気皆無の白いシャツと茶色のズボンは、何とも言えない野暮ったさがある。
なにより防御力の面でも、いい加減初心者丸出しの初期装備のみという状況を卒業したかった。せめて旅人用のマントが欲しいが、モグーラ退治で手に入れたドロップアイテムを売ってもまだ少し足りない。
もう1つクエストを受けるという手もあるが、イリーノ村の空は目の覚めるようなスカイブルーから哀愁漂う茜色へと移り変わり始めていた。
日が暮れてしまうと夜行性の魔物が村の外を徘徊するようになる。暗がりでは採取の効率も落ちるし、夜の討伐クエストに至っては今の俺のレベルでは心許ない。
消火活動に手間取ったせいで、思った以上に時間が掛かってしまったのが痛かった。
いくら眺めても所持金が変わるわけでもないし、宿でも取って明日に備えた方が建設的だろう。
気落ちしたまま中央通りを歩いていた俺の視界に、ぬっと影が差す。うつむき加減だったのが悪かったのか、気付いた時にはすでに遅かった。
「ぅわっ!?」
顔を上げた途端に強い衝撃を受けた俺は顔面を押さえて蹲った。ゲームの仕様上、痛みはかなり軽減されているはずなのに物凄く痛い。
やっぱり防御力底辺なのが関係しているのだろうか。
「っと、ごめん。大丈夫かい?」
「う…、はい。なんとか」
道端にしゃがみ込んだ俺を心配そうに覗き込んできたのは、角刈りマッチョなお兄さんだった。前から走ってきたこの男に気付かず、正面からフルプレートの鎧に突っ込んだらしい。
使い込まれていそうな装備品が歴戦の戦士を思わせる。明らかに初心者ではないお兄さんだが、別に珍しくもない。
始まりの地とはいっても、この村の近くには難易度の高いダンジョンがある。確か夏休み前のアップデートで実装されたんだったかな。俺がこのゲームを始める前の話だ。
「ちょっと急いでたもんだから。ほんとにごめんね」
「いえ、俺もちゃんと前見てなかったんで」
いくら相手が金属の塊を着込んでいたからといっても、ぶつかって涙目になっているのを見られるのは恥ずかしい。手を貸して起こしてくれた角刈りマッチョには悪いが、ここは早々に立ち去るべきだろう。
「あ、ちょっと待って。君…、名前は?」
「ハルトですけど」
歩き出そうとしたところで角刈りマッチョに呼び止められた俺は、急いでいたんじゃなかったのかと首を傾げながら、ゲーム内での名前を答えた。といっても、俺の場合はリアルでの名前と変わらない。
名前を考えるのが面倒臭かったのだ。フルネームじゃないから別に問題はないだろうという安直な考えだったりする。それを知った雪乃には怒られたが、今更名前の変更はできないし、アバターを作り直す気もなかった。
ちなみに髪型以外は外見もほぼリアルのままだ。
あー、いや…、ちょっとだけ身長を水増しして、ぽっちゃり気味の頬とお腹をスリムにしたような気がしないでもない。
それはともかく、なんとなく魔術師のイメージだというだけで、黒に近い濃紺の長い髪を皮紐で縛って後ろに垂らしているのが、今の俺の特徴だろう。もう少し怪しげな雰囲気になるかと思ったのだが、意外に違和感がなくて不思議だった。
これが目の前の角刈りマッチョのお兄さんだったら、あまりの不自然さに笑っていたかもしれない。その角刈りマッチョは人を呼びとめておいて、なにやら考え込んでいる。
「あの、俺になにか?」
「ん?あぁ、ごめん。ちょっと探し物をしてるんだけどね。“血塗られた天使”って言葉に心当たり…ないよね」
「はぁ」
なんだ、その物騒な探し物。謎解き系のクエストでもしているのだろうか。そんなの初心者丸出しの俺に聞いたところで、知っているわけがない。
本人もそう思ったのか、角刈りマッチョはざっと俺の身を包む初心者装備に目を走らせたあと、困ったような笑みを見せて頬を掻いていた。
良い人そうではあるけど、見た目と違ってちょっと頼りない感じだ。
その角刈りマッチョの頬の一部にブロック状のモザイクのようなものが浮き出ているような気がして、俺は思わず目を瞬いた。
目を擦ってみる。…消えない。それどころか増えている。
「あ、あの、大丈夫…ですか?」
見間違い、じゃない。俺の目が変なわけでもない。目を擦っても消えることのなかったモザイクは、たまに電波状況の悪いテレビで見られる“ブロックノイズ”と言われる現象だ。
本人は気付いていないのか、俺の反応に不思議そうな顔をしてから自分の身体を見回し始めた。俺は俺で、みるみるうちにノイズが酷くなっていく目の前の出来事に頭がついていかない。
ノイズが手に及んだところで角刈りマッチョも気付いたのか、慌てて自分のギルドカードを取り出した。
「これはっ…!?君っ、今すぐログアウトするんだ!」
「えっ」
「早くっ!」
なにがなんだか分からないまま、豹変した角刈りマッチョの迫力に気圧されてログアウトしようとした俺のギルドガードには、エラー発生の警告が表示されるだけだった。
明らかに異常だった。何度ログアウトしようとしても、エラーの表示しか出てこない。目の前にいる角刈りマッチョのブロックノイズもどんどん酷くなり、すでに全身に及んでいる。
そんな中、事態はさらに悪化の一途を辿ろうとしていた。
ざわめき始めた周囲に視線を上げると、夕焼けに彩られた通りでは数多くの人々が不自然に動きを止めていた。
歩きかけの人、リンゴを手に取ったままの買い物客、そして客を呼び込むために声を張り上げていたらしい今朝ソーセージを売ってくれた屋台のおっさん。瞬きすらしていないその姿は、まるで一時停止した動画のようだった。
完全に停止してしまった人々に埋もれるような形で、戸惑いも露わにキョロキョロしているのは他のプレイヤー達だろうか。
呆然とする俺の目の前では、辛うじて人型だと分かる程度に成り果てていた角刈りマッチョがなにか叫んでいる。聞き取ろうにも、ぶつ切り状態の音声では何を言っているのか分からない。
男の手らしきものが俺に向かって伸ばされる。その手を取ればいいのか、振り払えばいいのか。不安と恐怖に苛まれた俺は何も考えられずに、ただ突っ立っていることしかできなかった。
伸ばされた手が俺の右腕に触れたと思った瞬間、強烈な光が弾けて俺はとっさに目を閉じ顔を背けた。
目を開けた時には、すぐ近くにいたはずの角刈りマッチョの姿はどこにも見当たらなかった。
夕食前のこの時間、1日の内で一番活気づいていたはずのイリーノ村中央通りは、不気味な静寂に包み込まれていた。