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 村のはずれには、偏屈な爺さんが一人住んでいた。


「ほんに、おぬしは弱いのう金助」

「うるせえ」


 幼い頃の美しかった顔もいまでは皺だらけ。無論、火事のときに顔の半分が焼けてしまったため、右側はその頃から爛れているままだ。

 声も低くてしわがれており、不気味な爺さんだと村人たちが懸念する理由も頷ける。


 だが怖がることはない。たしかに偏屈で頑固で腕もとびきり立つため、力ずくでどうこうできる相手ではないが、碁に負けると拗ねて碁盤に背を向けるところなどは、少しかわいらしい。

 ついいじめたくなる。


「剣の腕がいくら立とうが、碁もろくに打てぬとはああ退屈。退屈じゃ」

「悪いか」

「くわえて不愛想ときた。少しは笑ったらどうじゃ」

「不満なら他所へ行け」

「なんじゃなんじゃ。こんな麗しい童女のわしになんてこというんじゃ。罰が当たるぞ」

「童女はてめえの化け姿だろうが櫛形」

「これ、様をつけぬか様を。これでも神じゃぞ」


 わしは金助の頭をぴしゃりと叩く。

 わしが初めて櫛形様と呼ばれ始めたのは、もう千年も前の話だ。はじめは地母神として祀られ、いつしか縁の神として社まで賜った。敬意もなく呼ぶのは、この金助くらいしかいない。


「金助や。おぬしも何十年とこの地でわしに守られておるのに、なぜそう敬わぬのじゃ」

「毎日毎日タダ飯食いにきてるだけのくせに、なにが敬えだ」


 金助はわしを睨み返した。


「それに、金助は幼名だ。いまはとっくに公時きんときだ。なんべん言ったらわかる」

「わしの生きた時に比べれば、おぬしなんてまだまだ子どもじゃ。何度言えばわかる」


 千年。

 この地に縛られて生きてきたその長さに比べようなんて、片腹痛い。

 金助はわしと怒鳴り合うのにも飽きたのか、小太刀の素振りを始めた。

 都合が悪くなればすぐに剣を振る。金助の悪習だった。


「しっかし何年経とうが変わらんの。おぬしは」

「うるせえ」


 何年経とうと変わらない。

 それは金助にとって、どんな意味を含んでいるのだろうか。


 あの日から金助の暮らしは同じ時を刻み始めた。

 己を鍛えんと剣を振り、用心棒の真似事をし、幾ばくかの食糧と金銭をもらう。

 いつしか誰にも関わろうとしなくなった。


 そうやってずっと同じ日々を過ごしていた。

 みよという娘に見捨てられ、それでもなお自分はみよを守ろうとしているように振る舞い、屋敷を――この村を守り続けた。

 まるで意固地になっているようですらあった。


 そりゃあわしも最初は興味があった。

【悲恋の鈴】を無為に還したこの頑固な男は、どんな人生を歩むのだろうかと。

 そんな好奇心は、同じ暮らしをしているうちにやがて呆れに変わり、余計なお世話と思ったが何度も何度も口を出した。


 もう自由になればよかろう、と。

 だが金助は変わらなかった。「これがおれの自由だ」と、譲らなかった。

 しまいにはわしが観念したのだった。その頃にはもう金助も三十を超える歳になっていて、変わりようにも変われなくなっていた。否、変わる気はそもそも、一片も持ち合わせていないようだった。


 本当に妙な男もいたものだ。

 わしは金助の顔をまじまじと見つめる。


「……なんだ。おれの顔になにかついてるか」

「いいや。ついていないから、見るのじゃ」

「変なやつだな」


 わしは座布団に胡坐を掻いて、剣を振る金助の姿をじっと見つめていた。






「そろそろ雨の季節かのう」


 このごろ晴れ間が少ないな、と金助がつぶやいたので、わしは窓から外を眺めた。

 白い雲が空を覆っている。

 視線を家の中に戻す。金助は囲炉裏に火種を落としていた。


「おぬしが天気の心配とは珍しいのう」

「阿呆。畑の野菜を心配してるんだ」


 なんでそんなこともわからねえんだ、とばかりに呆れた金助。


「そうはいっても、おぬし畑なぞ持っておらんじゃろ」

「村のやつらが仰山もってるだろうが」


 ああ、そうか。

 こいつはそういうやつだった。

 とはいえ、その心配は見当違いというものだ。


「わしを誰じゃと思うておる。五穀豊穣を司る、櫛形ぞ。大船に乗ったつもりでおるがよい」

「だから心配なんじゃねえか」


 金助は大仰にため息をつく。

 これにはわしも憤慨した。


「なんぞなんぞ。それほどまでにわしが信用ならんというのか。この、神を、前にして、そのようなことをのたまうか」

「じゃあ聞くが、おれの前で神様らしい行いをしたのか」

「それは……」


 ふと思い返してみる。

 わしが金助のそばにいるようになってから、多くの時を過ごした。少なくとも、金助が孤独を選んだ人生のほとんどを共に過ごしてきただろう。

 だが考えてみれば、わしにとって自分が地母神であるということは当然だが、金助にとっては家を訪れるただの童女でしかない。


「……まあ、そうじゃな。何もしとらんな」


 無論、【悲恋の鈴】のことは口には出さなかった。村に住む者のために生んできたあの鈴は、金助にとっては苦痛の種にしかならなかったのだから。

 黙り込んでしまったわしの顔を訝しげに伺って、金助はひとつ質問をした。


「櫛形、おまえはなんでおれの元へ来るんだ。こんなつまらねえじじいの元に、懲りずになんべんも。とうの昔に用は済んだだろう。なのになんでだ」


 それは、とても難しい質問だった。

 きっかけは鈴だった。他の人間がなすように、過去に戻ったり悩んで捨てたりすればわしも金助に興味は抱かなかっただろう。きっかけは単純だった。

 だが理由となると、じっくりと考えなければならなかった。

 だからわしは短く答えた。理由の、ほんの一粒だけ。


「楽しいからじゃ」

「楽しいのか。変わり者のおれが」

「ああ。楽しい。なぜかわからぬが、楽しいのじゃ」


 金助が変わり者だからかもしれない。

 きっと金助は、いまでもみよのことを想っているだろう。想い続けなければならないと自分の心に枷をかけてでも。


 みよのことだけじゃない。いまでは親しい者などいなくなったこの小さな村を、ただひたすらに守り続けている。わしのように守り神でもなければ、村に生まれたわけでもないのに。


 そんな金助を見ていて、わしは居心地がよかった。

 ずっとそばにいたいとすら、思ってしまう。


「金助はどうじゃ。わしがいては迷惑じゃったか」


 一度も歓迎されたことはない。

 それくらいはわかっている。

 だからもし「迷惑だ」と言われても、何も言えなかった。

 それくらいはわかっていた。


 だが、なぜか、金助が口を開くまで少しばかり緊張した。

 金助はわしに背を向けた。


「……まあ、悪くはねえ」

「そうか」


 わしは安堵した。

 安堵するほどには、どうやら嫌われたくはなかったらしい。


「そういえば櫛形。少し眠いから横になりたい」

「昼寝か、珍しいの。わかった。少し待たれよ」


 わしはすぐに襖から布団をだして、床に敷いてやった。

 金助はごろんと横になり眠り始めた。


 金助の背中が見える。

 年老いても鍛え続けているはずの背中が、やけに小さく感じた。ふとその背中に触れてみたいと思ったが、あまりに無防備だったので、手を伸ばすのはやめておいた。


「……退屈になってしまったのう」


 手持無沙汰になり、わしは囲炉裏の火をじっと見つめた。

 窓の外から、ぽつぽつと雨の降る音が聞こえ始めた。





「おい起きぬか金助」


 陽が昇れば金助の家に足を運ぶ。

 それが日課になったのは、金助が二十になった頃だった。


 屋敷の娘――みよが旦那との間に授かった赤子を産み、その出産の後に具合が悪くなり亡くなった。その報せが金助に届いたのは、奇しくも金助が二十歳になった日だった。


 金助はすぐに屋敷を訪れ、追い出そうとする用心棒たちを無言ですべて叩き伏せ、一輪の花を仏に供えたことがあった。

 わしもその時こっそり金助の後ろについていたので、その始終を見ていた。

 みよの母親――奥方が家臣の静止を無視して、金助にみよの息子を抱かせたのだ。その時二人のあいだには会話はなかった。ただ赤子は金助の腕に抱かれるや否や、大声で泣き始めた。剣しか持てない武骨な腕は、たいそう居心地が悪かったのだろう。


 だが、金助は微笑んだのだった。

 後にも先にも、金助が笑ったのはこのときだけだったと思う。そんな顔もできるのかというほど、優しい笑みじゃった。


 わしはそれから金助の家に入り浸るようになった。子細な理由はもう忘れた。そういうことにして、金助の遊び相手になっていたのだ。

 家を訪れて何十年。もう金助より年老いた者は村にもいない。

 だから、こんな日がくることはいつかわかっていた。


「金助、起きるのじゃ」


 布団で横たわる金助の体をゆする。

 いつもは触れた途端、即座に剣を抜いて飛び起きる。

 そんな男が目を閉じたまま、動かない。


「なあ金助。わしが来たぞよ」


 人間誰しもいつか訪れる日が来た。

 それだけのことだった。


「金助や、いつもの気概はどうしたのじゃ」


 わしは千年もの間、生きてきた。

 この村の中で起こった最期の時を数え切れぬほど見てきた。


「返事をしておくれ……のう、のうってば」


 わしの言葉にしかめっ面で「うるせえ」と答えるいつもの金助。

 そんな金助をしばし待った。


「……金助……」


 時が過ぎることに苦痛を感じたことはなかった。

 人々の人生を眺め、時には手助けをしてきた。

 それが自分の在り様だった。

 いまでもそうすることが、自分の役割だと。

 そう思っている。

 なのに。


「……金助。わしはどうしたのかのう。どうしてしまったのかのう」


 金助の冷たくなった体を見つめて、わしは膝を抱えた。

 どうしていいのかもわからずに、まるで本物の童女のように。

 ただ膝を抱えて金助の言葉を待った。


 いつまで経っても、返事は来なかった。






 金助の葬儀は行われなかった。

 村の子どもたちが金助の家を訪ねてきてようやく、金助が死んでいることが村中に知れ渡った。大人たちが金助の遺体を墓地の端に埋め、情け程度の卒塔婆を立てた。


 それだけで、金助の存在は村から消えた。

 この世から消えてしまった。


 わしは誰もいなくなった金助の家で、ただ窓の外を眺めている。

 ただ一人の人間がいなくなっただけで、なぜこうも思考がまとまらなくなるのだろう。

 この気持ちを、なんと呼ぶのだろう。

 人間なら理解できるのだろうか。否、できないに違いない。


「はあ」


 大きく息を吐き出した。

 その時、わしの袖に少しばかりの重みが生まれた。

 取り出してみると、それはひとつの木箱。見慣れた木箱だった。

 開けてみると予想通り、赤い紐がついた鈴が入っていた。

 まごうことなく【悲恋の鈴】だった。


「なんでこんなものが、でてくるのじゃ」


 ここ最近、悲恋の縁を感じた覚えはないはずなのに。

 少し調子が悪いかと、笑って捨てることができればどれだけよかっただろう。

 だがわしはその鈴を、手離せなかった。


 その鈴は、たった一度のやり直しの機会だ。恋を成就させるために使っても、よりよい恋を探すために使ってもよい。もちろん使わなくてもよい。すべては自らの手にゆだねられている。


「わしは神じゃ……たとえ戻っても、どうにもならぬ……」


 それくらいわかっている。

 でも、鈴を捨てることはできなかった。

 もう一度。

 もう一度でいい。


 金助と過ごした日々を、あの退屈な毎日を過ごしたい。

 わしは鈴をてのひらに乗せる。

 三度鳴らせば、望んだ時へと戻ることができる。

 金助が生きた日々に戻ることができる。


 たった三度、鳴らすだけ。

 それだけだ。


 わしはゆっくりと目を閉じた。


 想いを寄せる。金助の幼かった頃から、爺さんになったその時まで。そのすべてを噛みしめるように、手繰り寄せるように。

 金助が選んだ生き様を、思い浮かべて。





 凛。

  凛。





おしまい。

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