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 村のはずれには、偏屈な爺さんが一人住んでいた。


 小屋のような狭い家でただ黙々と暮らしているその爺さんは、名も知られず、いつからその家に住んでいたかもわからない。

 しかしどうやら滅法腕が立つようで、野盗や賊から村を守ることを習わしにしている様子だった。


 村の中心にはひときわ大きな屋敷があり、爺さんはときどきその屋敷の周りで用心棒のように目を光らせていた。屋敷の主は爺さんを雇った覚えもなく首をひねるばかりで、爺さんのことに詳しい者は村のなかにはいなかった。

 それでも爺さんが村を追い出されなかったのは、ひとえに爺さんの剣の腕があまりにも群を抜いていたからだという。


 爺さんの腕がどれほど達者なのかというと、天下に名高い剣法道場の師範がこの村を訪ねたとき、爺さんの噂を聞いた道場の者たちが爺さんを招いて剣術試合をしたという。剣術道場の者たちには単なる暇つぶしにすぎなかったその余興は、爺さんが一人で師範と門下生十五人すべてを叩き伏せるという結果で終わり、師範一行は屋敷の主のひんしゅくを買って追い出されたと言う。


 触らぬ神に祟りなし、と爺さんには誰も関わろうとしなかった。

 あとひとつ、爺さんに変わったことがあるとするなら。


 子も孫もいないはずの爺さんの家に、毎日のように童女が遊びにきているという噂だけが、村でまことしやかに囁かれていたそうな。






    鈴 鈴 鈴







「あ、鬼の子じゃ! 帰れ帰れ、山に帰れ!」


 石を投げられるのにも、もう慣れた。

 おれが直接何かしたわけではない。裏の山には鬼が住んでいて、時折山から降りてきては悪い子どもを攫ってゆく。そんな子どもだましの説法がこの村には根強く残っていて、おれが昔、その山に住んでいただけのことだった。


 飛んでくる石をはたき落とすことはしなかった。こんなつぶてごとき蠅を払うより容易に避けられるが、敢えて頭で受け止める。

 痛みはわずか。血が滲む程度だ。


「鬼に当たったぞ!」

「当たった当たった!」


 ふん、とおれは鼻を鳴らして無視を決め込む。石を投げてきたやつらとおれは同じ程のよわいだが、まだこの村では成人としては扱われない。睨みつけでもすれば小便をちびるだろうが、山で育ったおれとしては齢十三にもなれば立派な男だ。子どもの喧嘩なぞに付き合ってられん。


 野犬のように吠える二人を背に、村の小路を進む。

 山間に佇む小さな村だが、それなりに活気があった。村の真ん中に建っているお屋敷ではみやこの殿様の奥方が病に伏せていて、その養生のためにこの屋敷を建てたという。都と村を行き交うお屋敷一行のおかげで、この村は潤っているのだとか。

 とはいえおれは贅沢なんぞ生まれてこのかたしたことがない。買い物も粗末なものばかりだ。


「らっしゃい。おう、金の字か。今日もしかめっ面だなあ」

「うるせえ。いつもの寄越してくれ」

「あいよ。しかしおめえ、また虐められたんかい」


 青屋のおやじは野菜を袋に詰め込みながら、石がぶつかった額をまじまじと眺めた。


「虐められてねえよ」

「そうかいそうかい。でもおめえ、その腰に提げてるのは棒切れじゃあるめえ? なんでやり返さねえ」


 おやじが指したのは、おれの腰の小太刀。

 無論、玩具ではないが。


「子どものなすことに刀取り出す阿呆はいねえよ」

「子どもっても、おめえさんも同じだろうが。やり返さねえから童どもも調子に乗るんじゃねえか?」

「だとしても、同じことだろ。おれがやり返したら冗談じゃ済まなくなる」


 おれが拳を握ると、おやじは黙り込んだ。


「ま、ありがとよおやじ。おれは気丈だ」

「丈夫ならいいが、無茶はするんじゃねえぞ」


 無茶ってのはどこからいうのかまったくわからないが、おれは頷いて青屋を去った。





 村に出てきたのは数年前のことだった。

 生まれた時に親が死に、育ててくれたのは爺と婆だった。なにやらわけあって隠遁生活を送っていた爺婆は、野を駆け山を歩くおれを大事に育ててくれた。教養のあった彼らに教えられ、おれは字も書けるし少しばかりの医学もおさめていた。山の獣から身を守るため、多くの剣術も教わった。


 爺と婆が病気で死んでまもなく、山から降りてこの村のはずれにある小屋に寝泊まりしていた。

 当時、度重なる水害で村の井戸の水が濁ってしまっていて、おれは山で得た知識で水を飲めるようにしてやった。それ以来、この村の隅にこじんまりとした家をもらって住んでいた。

 困っている百姓の手伝いをしたり、腕っぷしを活かして質屋の用心棒の真似事をしたりと、仕事はそれなりに便宜を図ってもらっている。決して贅沢はできないが、生きていけないほどではない。家名も持たない山童には、まあ十分な待遇だろう。


「金ちゃーん! あそぼー!」


 日銭を稼ぐ生活だが、仕事をしない日もある。

 そんな日の朝はいつも青屋に買い物に行くのだが、その道程でお屋敷のそばを通るのだ。おれが通ると屋敷の門番が知らせているのか、屋敷のひとり娘――みよがおれを追いかけてくることがよくあった。


 みよはおれより二つほど年上で、齢十五といやあそろそろ見合いの話も寄ってくる年頃だ。こんな山童と遊んでていいのか甚だ疑問だった。


「ねえ金ちゃん、今日はなに買ったの?」

「芋と蕗と豆」

「ふうん。まずそう」


 屋敷住まいのみよは布袋を覗いて、理解できないとばかりに眉根を寄せた。

 何を買ってもいつも同じことを言われているので、特に何も言い返さなかった。

 歩みを止めないおれにぴたりとくっついて、みよは空を仰ぐ。


「今日はなにして遊ぼっか。良い天気だし、お花でも摘みに行く?」

「知らねえよ」

「金ちゃんにお花のかんむり作ってあげよっか」

「やめろ。おれは男だぞ」

「でもきっと似合うよ。金ちゃん、女の子みたいに綺麗なお顔してるもん。たしか金ちゃんの家の裏につつじが咲いてたっけ。つつじの髪留めとか作ってみたいな」


 みよは歯を見せて笑った。

 女顔といわれて嬉しいわけもなく、おれはみよの言葉を聞かなかったことにした。


「もう、そんなしかめっ面しなくてもいいじゃないの」

「誰のせいだ」

「ごめんごめん。じゃあ、金ちゃんはなにがしたいの?」


 川で釣りでもしたい、と言おうとしてやめる。

 みよはじっとしている遊びが嫌いなのだ。気性が合わないんだろう。

 おれはしばし考え、


「そうだなぁ。久々に千葉のおやじと稽古してえ」

「じゃあうちね! 千葉のおじ様ならちょうど道場にいるわ!」


 みよが嬉しそうに手を叩いた。

 千葉のおやじは高名な剣術道場の先代師範で、隠居したいま、ときどき屋敷に遊びに来るのだった。数日前から滞在していることは聞いていたので、剣の稽古をつけてもらおうと思ったのだ。


「金ちゃんはほんとに千葉のおじ様が好きね」

「ああ。強いからな」

「金ちゃんより強いひとなんて、おじ様以外にいるのかなあ」


 そりゃあ都にはいるだろう。都はこの村を何百と集めても敵わない広さだという。おれもいずれ訪れるつもりではあるが、いまはここで生きていくので精一杯だった。


 そうと決まれば足早に帰って買った野菜を家に置き、踵を返して屋敷に向かう。

 道中、いつも石を投げてくる童どもとすれ違った。


「また鬼の子だ!」

「鬼の子だ鬼の子だ! やーいやーい!」


 そう言って石を拾おうとしたとき、おれの後ろにいたみよが物凄い剣幕で叫んだ。


「あんたら! 金ちゃんになんてこと言うの! それでも男かい!」

「うわっ」


 童どもは驚いて石を落とした。

 まさかみよが一緒にいるとは思わなかったのか、困惑した表情で後ずさり。


「いくら金ちゃんが他所から来たからって、言って善いことと悪いことがあるんじゃないの! そんなことしてたら櫛形様の罰が当たるよ!」


 櫛形様、と言われた途端に困惑した童ども。

 たしか、この村で奉られている神様だったか。


「金ちゃんも金ちゃんだ! 言い返してやんな!」


 みよの怒りがなぜか飛び火した。

 正直、こういうのは苦手だ。


「おれは、子どもの喧嘩はしないんだって」

「喧嘩じゃない! 説教!」


 そう言って、みよの説教が道端で始まった。

 半刻ほどの長い説教だったが、それが終わるころには童どもも半べそをかきはじめていた。もう二度とやりません、とみよに約束させられた童どもだったが、最後におれを見る目は前よりも一層憎々しいものになっていたのだった。


 余計な寄り道をしてしまったが、屋敷に着いたときにはまだ陽も高く、話通り千葉のおやじが道場で胡坐を掻いていた。


「誰かと思えば金坊じゃねえか。久しぶりじゃのう。元気そうでなによりじゃ」

「うん。おやじも息災か」


 千葉のおやじは口角をかすかに上げて笑った。


「この老いぼれに息災を問うか。残念だが、肺が悪くてな。酒も辞めた」

「そうか……」

「だがまあ、剣の腕はなんら変わらぬ」


 千葉のおやじは手元にあった木刀をおれに投げてきた。

 ゆっくりと立ち上がるその姿に一分の隙もなかった。記憶のなかと寸分違わぬ威圧感が、おれの眉間を震わせてくる。


「稽古、つけてほしいんじゃろう」

「ああ」


 ごくりと唾を嚥下して、おれは木刀を手に立ち上がる。


「本気でかかってこい、金坊」

「おやじこそ、今度こそ打ち負かしてやる!」


 気を集中させ、おれは床を蹴った。






「いてててて」

「もう、金ちゃんってば無茶しすぎなんだから」


 打ち痣だらけで床に転がったおれを、みよがため息とともに見下ろしてきた。

 しこたまおれを打ちのめした千葉のおやじは、用があるとかで都にまた帰っていった。

 気づけば数刻を道場で過ごし、空の陽も傾いていた。


「今度こそ、勝てると思ったんだけどなあ」

「あのね金ちゃん、千葉のおじ様はいまでもお国で一番の剣士様だって言われてるの。その人に勝ったら、金ちゃんがお国で一番になっちゃうよ」

「国一番か……遠いな」


 長い打ち合いで、二、三度は体に届くと思った。

 だが剣先がおやじを掠めたのはたったの一度。しかも、服の先にしか当たらなかった。

 まだまだ先は長い。


「でも、おれはまだまだ強くなれる」

「そんなに強くなってどうするの」


 呆れるみよにはわかるまい。

 男っていうのは、強く在りたいのだ。


「……えいっ」

「痛ええええ!」


 なぜか痣を力いっぱい押された。

 おれは涙目でみよを睨む。


「なにすんだ! 痛えだろうが!」

「なにが強く在りたい、だ。こんな平和な時代に強くたってね、なーんの役にも立たないよ。金ちゃんのあーほ」


 みよはそう言って立ち上がり、おれに背を向けた。


「うるせえやい。言い逃げすんじゃねえ」

「打ち身の薬取ってきてあげようっていうの。まったく本当に阿呆なんだから」


 おれのどこが阿呆だ。

 そう言い返してやろうと思ったが、もう道場から出てしまったので声も届くまい。

 冷たい床板に痣をあてて冷やしていると、ふと道場の隅に人影があることに気付いた。


 いつからいたのだろうか。歳がわずかに下ほどの童女がじっとこっちを見ていた。


「……おまえ、誰だ」


 少なくとも見覚えはない。

 人形のように白く整った顔立ちをしているが、どこか妙な雰囲気を感じる。

 童女はおれの言葉にむっとしたのか唇を尖らせた。


「おぬしこそ誰じゃ」

「おれか。おれはただの小僧だ」

「そうか小僧か。名も無い小僧か」


 そりゃあおれにも親がつけてくれた立派な名はある。

 見も知らぬ生意気な童女に教えるほど、おれは優しくないだけだ。

 童女はおれのかすかな敵愾心にさしたる関心はなさそうだった。


「それで小僧、おぬし、ただの小僧にしてはいささか腕が立つな」

「おまえにわかるのか」


 まだ毬で遊ぶほどの歳頃だろうに、剣の道に通じているというのだろうか。

 童女は憤慨したような表情を浮かべた。


「少なくともおぬしよりは通じていような」

「ほう。おまえ、強いのか」


 さきほどから感じる妙な気配はそのせいか。

 見た目は童女だが、見てくれに騙されてはいけないのかもしれない。爺婆からの教えには『思い込みが油断を生む』というものもあった。童女だからと決して侮ることなかれ。

 おれは木刀を童女に投げて立ち上がった。

 気を集中させて、木刀を構える。

 すると童女は驚いたのか目を丸くして、


「こりゃ、とーんときたね!」

「……は?」


 腹を抱えて笑い出した。上下に肩を震わせる。


「や、や、冗談じゃ。おぬしが強いことなど誰でもわかろうて。少なくとも、おぬしの刀捌きは人の目には止まらぬ速さじゃからのう」

「ならなんで笑ってんだ」

「そりゃあ、わしに刀を投げるやつがあるか。この姿を見てみろ。ほれ、おぬしより明らかに手も足も短い童じゃぞ。しかも女じゃ」


 そりゃあまあ、そうだが。


「だが、童でも強いかもしれねえだろ」

「けったいなことを言うな。そんな理屈でおぬしに殴られでもすりゃあ、この小さな体どころか大人でも死んじまう」

「……まあ、それもそうだがな……」


 冷静になって考えてみりゃあ、童女に刀を渡すなんてどうかしている。

 おれは恥ずかしくなって床に座り込んだ。


「いやはや、こんなに笑うたのは久方ぶりじゃ。おぬし、面白いやつじゃの」

「喧嘩売ってんのか」

「素直に褒めとるんじゃ。誰かを褒めるのも何年ぶりかわからんが」

「……婆臭い台詞だなあおい」

「婆で済めばよいがのう」


 わけのわからないことをいう童女。

 あまりまともに相手をしないほうがいいかもしれん。

 笑みを浮かべておれの顔を凝視してくる童女から視線を逸らして、道場の外に見える空を眺める。

 雲が出てきた。夜は雨が降るだろうか。雨のにおいがしてきたら確信になるのだが、いまはまだ空気も乾いている。


 おれは剣の腕が立っても、他はさっぱりだった。おそらく他の人よりもできることは少ない。鬼の子と呼ばれることは認めたくないが、それでも余所者だという自覚はある。この村で生きていけるのは山で得た野生の知識と、あとは屋敷の娘――みよのおかげだ。


 みよのおかげで、おれは独りではないと思うことができている。

 有り難い。有り難い。

 だがおれには、そんな感謝の念を言葉にできるような器量はない。せいぜいみよの我が儘に付き合ってやることくらいでしか、恩を返せていないのだ。


「金ちゃん、待った?」


 みよが薬を手に道場に戻ってきた。

 おれは「いんや」と首を振って、そこで気づく。

 さっきまでいた童女がいつの間にかいなくなっている。


「ほら、怪我したところだして。この薬効くんだから」

「なあみよ。ひとつ聞いてもいいか?」


 おれの腕や足に薬を塗っていくみよに、おれは問いかける。


「おまえ、妹いたか?」

「なに間抜けたこと言ってんの」

「いや……なんでもない」


 これ以上言っても、また阿呆と言われるだけだってことくらいわかっている。

 なら、一体さっきの童女は誰だったのだろう。

 おれはそんなことを思いながら、流れていく雲をぼうっと見上げるのだった。





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