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第三話 2

「ちょっと、背中をつつかないでよ」


 子どもかって突っ込みたくなったけど、小学生である彼にそれを言っても、事実を突きつけている事にしかならない。でも、授業のたびにそれをやられるとうんざりする。だけどまあ、小学生の授業なんて、いまさら聞く必要も無いか。そう考えると、自然にため息が出てきた。私は今、何をやっているんだろう。


「なあ」と彼は言った。


「何?」


 私は自分の髪の毛先を見ながら答えた。あ、こんなところに枝毛がある。


「お前ってさ、何だかいつもつまらなそうな表情してるよね。何で?」


 そう彼に言われると、私の手はピタリと止まった。内心どう答えれば良いのか分からなかったけど、なんら気にしていないような素振りをしながら、嘘とも本当とも似つかない言葉を紡いだ。


「さあ、ただの癖だから、気にしないで」


 これが癖だというのならば、それは「あなた」のせいなんじゃないかしら。


 そうやって彼と私が話し込んでいると、担任の先生から名指しで注意された。それが余りにもばかばかしくて、そして何だか懐かしくて、私は思わず笑ってしまった。すると後ろに座っている彼からも笑いが漏れる。すると先生がますます怒って……そんな一連の流れが、涙が出るくらいにおかしかった。




「何だ、お前も笑えるんだな」


 下校中に彼からそうやって声を掛けられた。親友と別れた直後に話しかけられたから、たぶんずっと後ろから機会をうかがっていたんだと思う。彼の柔らかな黒髪が、薄っすらかいた汗でおでこに張り付いていた。それにふやけたような表情が付随して、飼い主と遊びたがっている子犬のように見えた。


「まあ、ね」


 そっけない感じで答える。それがどんな意味を持つのかは、私には分からなかったけど、あまり彼に深入りしてほしくないという気持ちは確かだった。


「でもさ、お前の笑い方、やっぱりちょっと他の人と違うんだよな」と彼は言った。「何だか、上手く言葉にはできないけど、楽しいから笑ってるんじゃなくて、楽しみたいから笑ってるというか……」


 そんな彼の言葉に、私は笑顔を返した。



       ○



「ねえ、私の何が不満?」と私があなたを問いただした時、あなたは「いや、君が悪いんじゃなくて、俺が悪いんだよ」と返すばかりだった。


 当時の私はそれを言い訳なのだとばかり思っていたけれど、今思い返してみると、あなたは本当にすまなそうな顔をしていた気がする。でもそれに気が付かなかった私は、あなたに背中を向けてシーツに顔をうずめて、眠ったふりをすることしかできなかった。


 真後ろにあるはずのぬくもりが、遠く遠くの宇宙に浮かぶ惑星の一つに過ぎないように感じた。


 次の日の朝、目覚ましのアラームで目を覚ました時には、あなたは既にいなかった。シーツの上にぽっかりと空いた一人分の穴は、もうすっかり冷え切っていた。


 重い頭を抱えながら体を起こすと、ケータイにメッセージが一つ入っていることに気が付いた。置手紙の代わりに送られたあなたからのメッセージには、ただ一言、「ごめん、別れよう」とだけ書いてあった。



       ○



 中学生になっても、私と彼の付かず離れずな関係は続いていた。というよりも双方の無意識が重なり、せめぎ合った結果、そのような間柄に落ち着いたのだと思う。つまるところ、私が彼との接近を拒み、また彼は私と離れることを拒んだのだ。あるいは私が勘違いしているだけで、それは逆だったのかもしれない。けれども、それがどちらだとしても実務的な違いは無く、また違うことによる弊害は何一つ存在しないのだと気が付いた時、私はそれ以上考えるのを止めた。


「ほら、あそこ。見て」


 そうやって彼が指さした先には、真っ白なひこうき雲があった。真夏の青いキャンパスに描かれた一筋の雲は、震えそうな程細く、けれどもしっかりと、そこに存在するという痕跡を残していた。


「ひこうき雲ってなんか好きなんだよね」と彼が言った。


「分かる気がする」と私が返すと、彼は嬉しそうに微笑んだ。何にも汚されていない、真新しいひこうき雲のようなその笑顔からは、「あなた」の面影を感じられなかった。


 それからしばらくは私も彼も口を開かなかった。背中を芝生に預けたまま、ずっと二人で空を見上げていた。柔らかな風が吹くと、芝生は音をたてて揺れる。そんな微かなざわめきは、若草の香りを鼻腔へと運ぶ。目を瞑ってそれらをより深く感じると、言い得ぬ気持ちが心の底で沸き上がった。




 目を開けると太陽は赤く染まっていて、既にひこうき雲はそこになかった。隣に目を向けてみると、彼は私の方に顔を向けながら気持ちよさそうに眠っていた。夕日によって照らし出された陰影は、彼の顔の半分を染めていた。


 昼間に比べて気温はすっかりと下がり、風が吹くと少しばかりの寒気さえ覚えた。


「ねえ、起きて」


 肌寒さにたまらなくなった私は、彼の肩をゆすって起こすことを試みた。二回三回と繰り返すうちに、徐々に彼は反応を示すようになり、やがて小さなうめき声と共に体を起こした。


「……おはよう」


 寝ぼけまなこ、少しはねた髪の毛。それでも彼は緩んだ笑顔を私に向ける。そんな彼を見ていると何だか私もつられて微笑みかけて、途端に視界が潤んだ。


「え、どうしたの?」


 という彼の問いに対して、私は「何でもない」とだけ返し、小さくあくびをした。だからそう。今頬を伝っている涙は、あくびによって現実に引き戻された代償なのだ。夢心地を振り払うために、私は強く目をこすって涙を拭った。


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