プロローグ1
「人にはそれぞれ生まれた意味がある。だから長い人生の中で、それをたった一つだけ見つければよい」
昔誰かがそんなことを言っていた気がしました。この言葉が本当だとしたら、私はいったい何のために生まれてきたのでしょうか。腹部から溢れてくる血の海に沈みながら、私はそんな事を考えていました。
○
夏は暑くて、冬は寒い。春には桜が咲き、秋には山が彩られる。今日を生きるということはそれくらいに当然の事と思っていました。
だから私は今朝も普段通り登校しましたし、作り笑いを顔面に張り続けましたし、二度と見返すことのないノートを律義にとったりもしました。そうしていつもと同じように下校している最中、通りすがりの不審者に腹部を刺されたのは、ある種の変化といえるのかもしれません。
けれどもそれは、常日頃から変革を求めていた私にとって、最大級の皮肉と称しても差し支えないでしょう。
初めて見る真紅の動脈血は、夕日の明かりを目一杯受けて艶めかしく輝いていました。かつて、そんな不思議な魅力を持つ輝きを、どこかで見たことあるような気がしたのですが、残念ながらその全容が見得る前に、次第に狭まっていく視界が思考を停止させました。
体から血液が抜けてくごとに、世界がモノクロに変容していくのは、頭の中から色彩が抜け落ちるという観点で考えればある種当然の理なのかもしれません。
なんて、それらしいことを考えてセンチメンタルに浸ってみたりもしましたが、それも長くはもちませんでした。
ボーっとしていく私の頭はいつしかそんな戯言よりも昼間食べ損ねたメロンパンの事でいっぱいになりました。果たしてそれはメロンパンでなくても良かったのかもしれません。
来週食べる予定だった誕生日ケーキや寿司、いつか食べてみたかったキャビア、フォアグラ。選択肢は色々ある中でメロンパンが頭に浮かんできたのは、所詮私がその程度の女だったという事なのでしょうか。
そう思うとどこか口惜しく感じ、内臓から湧き出てきた鉄の味では少々役者不足であるように思われました……。
○
そうしてこうして気が付いたら周りが真っ白、なんてのはとある界隈では常識とされていることのようですが、よもや私がそれに巻き込まれるとは思っていませんでした。
「それでねーあなたの転生先についてなんだけどー」
と言っている彼女は状況から察するに天使様か何かなのでしょう。あざといほどに巻いてあるブロンドヘアや、昭和アイドルのように純白のワンピース姿に、金色の輪っかを頭上に浮かばせながら楽し気に微笑んでいる人が、ただの女子大生だったりするはずがありません。
「何か希望はあるー?」
希望……はて、希望ですか。私は彼女が更なる説明をなさると信じてしばし待っていたのですが、彼女のマシュマロのように甘く柔らかい笑顔を見ていると、そこまで頭を回していないように思えます。
「突然そう言われましても……例えばどのような転生先があるのですか?」
この質問が妥当なものであるのかどうかは分かりません。本来ならもっと本質的な質問――例えば転生とは何かとか、もっと単純に「私は死んだの?」とか――をするべきなのでしょうが、そうすると話が長くなってしまいそうなので止めておきましょう。
「えーっとね、色々プランがあってねー」
ふむふむ。
「中世ファンタジー風の世界に転生して奴隷を使役して国家統一を目指したりだとか……」
「却下」
か弱い乙女(自称)に対して彼女は何を求めているのでしょうか。
「悪役令嬢になって……」
「止めておきましょう」
恋愛ものというのは分からんとです。箱入り娘? なんですか、それは?
「えー? ……だとすると冒険者ギルドに入ってー」
「私インドア派なのでー」
「うぅ……だったらどんなのが良いの?」
ここで「それを考えるために色々と選択肢を聞いているのですー」と言ってみたかったのですが、それを口にしてしまうと彼女は泣き出してしまう気がしたので憚れました。いくら相手が私と同年代位でかつ舌っ足らずで男受けが良さそうな人だったとしても、泣かせて良い道理はないのです。
「必ず転生先は決めないといけないのでしょうか?」
「それは……ノルマがあるので困ります……」
この言葉を皮切りに彼女の声は段々と小さくなっていきました。ただでさえ大きい目にはこれでもかというほど大粒の涙をためて、宝石のように光を乱反射させています。なんとまあ、私はどこかで選択肢を間違えてしまったようです。
「私、営業の成績悪くて、あなたが、転生を望んでいないことも、分かってるんですけど……」
そう言って肩を震わす彼女の姿を見て、半信半疑な心持ちになってしまうのはこの真っ白な世界と違って人間界が薄汚れている証拠なのでしょう。
しかしながらどんなに性格が歪んでいる私でも、やはり目の前で可憐な女の子が泣いているのを無視するのはできないようで……、いや、負けを認めましょう。こうも清々しく泣かれると、それを信じてみたくなるのは人の最後の良心なのかもしれません。
私が最後に声をあげて泣いたのは、一体いつの事でしょうか。そして一体、何のために泣いたのでしょうか。私は光に群がる虫のごとく、彼女の純心さにすがることで清らかな世界を夢みたいのかもしれません。
あるいはそれにすがることで自身も純粋であると錯覚したいだけなのでしょうか。どちらにしろ私は彼女の涙を無下にすることはできず、戸惑いと微かな期待を持ちながら彼女の事を慰めるのでした。