悪い知らせ
『……意外と寒くないもんだな』
俺はいま、かなり高い空を飛んでいる。
飛んでいるとは言っても、ただ単純に龍の背中に乗っているだけだ。
龍はもちろん第4夫人のリリーだ。
龍になったリリーの大きさはガルガン山脈で見た成人の龍と同じぐらいだったが、赤い鱗の発色が明るく綺麗だった。
しかし、飛行はかなり荒々しい。
多分普段はもっと慎重に飛ぶんだろうと思われるが、あんな話の後だから苛立っているのだろう。
『本当は……やるせない気持ちなんだろうなぁ』
俺は目を細め、少し鱗を撫でた。
下に見えるギルムアハラント城はもう掌よりも小さい。
円周を描きながらまだまだ高度を取るようだ。
『気持ちが静まるまで、トコトン付き合うよ』
俺は彼女の心中を察し、覚悟を決めた。
リリーはかなりの高度を取って、進路を南西に向けた。
◆ ◆ ◆
数時間前。
ギルムアハラントでは、俺と、ルシフレントと、ココと、リリーが突然の来客に対応していた。
給仕係は7号がしている。
流れるような仕草でテキパキと仕事をするナナちゃんはすごく頼もしい。
いつもながらに素晴らしい仕事ぶりで惚れ惚れするが、今回の来客には特に頼もしさが倍増になる。
そう、ホルス様が訪ねてきたのだ。
ホルス様はギルムアハラントの応接室でゆったりと足を組み紅茶を飲んでいる。
その対面には俺達が座っていたが、話の内容が内容だけに一様に無言だった。
テーブルに置かれている紅茶の湯気とほのかな匂いのみが両者の間に流れる。
紅茶はナナちゃんがギルムアハラントにあるものでホルス様の好みに近いものをいれたそうだ。
そのおかげかホルス様は機嫌よく色々と話してくれた。
しかし、その内容はいい知らせではなかった。
ホルス様がティーセットに入れた紅茶を溢さない様に動かしながら残念そうに語ってくれた言葉。
それを要約すると、半年以内でリヒテフント帝国はグレートアルメラント王国に攻め込むという事らしい。
緊張した空気の中、ルシフルエントは腕を組みながら溜息をつき、言葉を発した。
「……人間共の争いなぞ妾達に関係は無い」
「関係ないわけではない。彼らが何故勝てると踏んだのか……わかるかい?」
「ギリム兄っすか?」
リリーはあっけらかんと答えた。
「ご名答」
「でも、ギリム兄以外は雑魚っすよ?」
「君たちには雑魚かも知れないが、人間にとってはどうなんだい?そして、カール君。そんな魔族がリヒテフントに寝返ったんだ、君たちは王都で言ったんだよね?魔族を抑えるって。……約束は守らないといけないんじゃないかい?」
「ふん……ぬかったわ」
ルシフルエントは少しだけ奥歯を噛み締めた。
「姉御……兄が迷惑かけるっす」
リリーはうなだれた。
「よい。黒龍はどう言っておる?」
「このあいだ聞きに行ったら、ただ一言『殺せ』って言われたっす」
「……そうか。黒龍らしいのう」
ルシフルエントは少し天井の方を見つめ、何かを考えているようだった。
「まあまあ、帝国の国内情勢も限界だったし、攻め込むのは時間の問題だったんだよ。ぜんぶ龍のせいってわけでもない」
「どういうことですか?」
「帝国の領土拡張願望は病的だ。国全体のイデオロギーって感じだね。それは皇帝であっても止める事はできない」
「でも……なんで龍が欲しかったんですか?師匠?」
「単純に強いっていう事もあるけど、彼らには独特の軍隊があるからねぇ~。それも関係あるんと思う」
「独特の軍隊?」
「空軍だよ。空軍……空の軍隊が編成上あるんだよ」
「え!!どうやって飛ぶんですか?翼が生えてる人でもいるんですか?あ……もしかして、翼竜を飼っているとか?」
この世界では空を飛ぶことは難しい。
極々一部の魔導師は飛ぶ魔法も使えるらしいが、短時間かつ膨大な魔力を使うため実用的ではない。
なので、基本翼竜などの飛行できる動物等の背に乗り飛ぶのが一般的だ。
「ぶっぶー!正解は気球船というのを使う。私も木偶の報告で一度しか見てないが、巨大な風船に、浮かぶ空気を詰めて人を乗せていた。一度に50人は乗れる大きな物だったよ」
ホルス様は両手いっぱい広げて語る。
「気球……船?」
俺達も少し考えてみたが、想像がつかなかった。
「あと飛行機なる小さい布張りの機械も存在するらしいが、詳しい事はわからん」
「そうですか……空か。そんなので上から攻撃されたら大変だな」
「魔法で攻撃できないんですか?師匠」
「噂では雲が飛んでるところまで飛べるらしいからね……私達ならまだしも王国の魔導師だったら、大半は魔力が維持できんで届かんだろう」
「厳しい戦いになりそうですね」
「そういう事だ。そんな空軍に龍が加わってみろ……大損害は確実だ」
「耳が痛いのう~。大損害の原因が魔族の内ゲバじゃからのう」
ルシフルエントの眉が吊り上がる。
「……申し訳ないっす」
リリーも珍しくシュンとしていた。
「対地戦闘でも、空の上での戦闘でも龍の能力は高い。それが4体も帝国側にいるんだ、王国から救援を要請されるのは確実だよ?まあ、私には関係ないけどね。翌々考えて行動するべきだね……カール君?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるホルス様。
「……はい」
俺は、そう答えるのが精いっぱいだった。
そのあと、雑多な事を少し話してホルス様は颯爽と帰っていった。
ホルス様が帰った後、リリーはルシフルエントに散々頭を下げていた。
そして、俺のところに来て、こういった。
「ちょっと付き合って欲しいっす!」
リリーは鬼気迫る顔で俺に凄む。
「ああ……何するの?」
俺は苦笑いを浮かべて返答する。
「気分転換っす!!」
ハッキリとした声で叫ぶリリー。
まあ、龍の背中に乗って飛ぶなんて初めての経験だし、リリーも悩んでるようだったので旦那としては付き合う以外選択肢がなかった。
◆ ◆ ◆
しばらく飛ぶと、小高い山が見えてくる。
南西側は広い平原。
山を挟んで南東側も地平線まで平原が広がっていた。
「ゲート山脈だ!」
俺は思わず叫んだ。
標高が低い山々が連なるここはゲート山脈と呼ばれる。
だいたい山々を中心に西側がリヒテフント帝国、東側がグレートアルメラント王国なのだ。
いわゆる国境の目印の山々なので、ゲート山脈と呼ばれる。
ちなみに、Y字に広がっており、北側の一部は王国と魔界の境界線にもなっている。
この辺の緯度は温暖で雨量も多く、穀物も良く育つ場所である。
なので、東西に広がる平原を利用して、帝国も王国も穀倉地帯として開発している場所でもある。
現在は収穫期なので、黄金色の麦がところどころ見えた。
リヒテフント側には石で作られた長城が見えた。
その細長い城は国境に沿ってはるか遠くまで続いている。
『築城してまだ日がたっていない感じだ……でも、兵士があちこちにいる。戦いが近い証拠か』
俺は少しだけ憂鬱な気分になった。
「……ギルム兄っす」
リリーが低い声で言う。
俺は驚き周りを見渡すと、ちょうど長城の拠点付近から円周を描いて高度を上げている龍が見えた。
高度をあげつつ、こちらに向かってくる赤い大きな火龍。
リリーの言ったことに間違いないだろう。
『戦闘は無いだろうけど……緊張するなぁ』
俺は少しだけ緊張した。
リリーは滑空をやめて、ホバリングする。
ギリムとおぼしき龍もゆっくりと近づいて来た。
「久しいな……リリーよ」
若い男の声でギリムが喋る。
「ギリム兄……いや、裏切り者」
リリーは短くそう呟いた。
その言葉は単調だが、いつものあっけらかんとしたリリーの口調ではなく、強い憤怒と殺意が感じられる声音だった。
「ふん……なんとでも言え。俺は帝国西方にあるアルデール山脈にコロニーを作った。今は帝国とは盟友関係だ」
少しだけ、リリーの声音に緊張を隠せないギリムだったが威張るように言い返した。
「勝手にするっす。ただ……じーちゃんからの伝言を言っとくっす。」
「なんだ?」
「『死ね』以上っす」
「そうか……まあ、あの爺が出てくるとは思わんが」
「その役目は私っす。この牙で喉を掻っ切って苦しみながら殺してやるっす」
ハッキリと淡々と言うリリー。
「では、次に会いまみえたときは敵同士だ……最後に質問させてくれ。その背中に乗ってる人間風情は誰だ?」
「俺はカールだ!魔族の長であり、このリリーの旦那でもある」
俺はリリーが紹介する前にハッキリと叫んだ。
「カール……あの、ホホロン様を殺した勇者か?」
「そうだ!」
「ふむ……爺も耄碌したか?……そんな人間に大事な妹を娶らせるなど狂気の沙汰だ」
ギリムは呟く。
「なんとでも言っとけ!!俺は魔族の長として貴様を許すわけにはいかない!!必ず報いを受けてもらう!!」
「そうか……次ぎに会う時が楽しみだな。では、さらばだ」
ギリムはそう言うとひらりと身を翻し、陣地に戻って行った。
「……帰るっす。胸糞悪!!」
リリーも、そう言うと身を翻し、ギルムアハラントの方に進路を取って飛んだ。
◆ ◆ ◆
ギルムアハラントに戻り、食事を済ませ、寝るために居室に戻る。
居室には今日も来訪者がいて、それはリリーだった。
彼女がこの部屋に来るのは初めてであり、俺は少しだけ緊張する。
リリーも勝手がわからないのか、応接用の椅子に緊張した様子で座っている。
俺はお互いの緊張をほぐす為、対面に座り話すことにした。
「リリー?」
「……ギリム兄が迷惑かけるっす」
小さくそう呟いた。
「気にしないで……でも、本音を言えば話し合いで解決したかったけど、こうなったのは俺も残念でならない」
「裏切り者を殺す役目は私がやるっす!いくら旦那でも手出し無用っす」
「……わかった。でも、怪我とかない様に見守らせてほしい。それはいいかな?」
「了解っす」
座ったまま小さく敬礼をするリリー。
「じゃあ、俺は寝るけど……リリーはどうする?」
「え?」
ポカンと小首を傾げるリリー。
「他の夫人達から聞いてないの?」
「はいっす!ちょっと相談があったから来ただけっす」
あっけらかんと答えるリリー。
どうやら夜の休息日に、たまたま偶然に寄ったようだった。
俺はどうやら勘違いをしていたようだ。
いつものように、この後の展開を妄想していたので非常に気恥ずかしい。
顔も火照ってきた。
「そ……そう」
俺はそう答えるのがやっとだった。
「怪しいっすね?……姉御たちはこの後なんかするっすか?……あ!もしかして、洞窟の……」
バレた。
「あ~……ゴホン!……ちなみに、リリーは何処まで知ってるの?」
「実のところさっぱりっす。教えて欲しいっす!!」
キラキラした目で俺に詰め寄るリリー。
「まあ……知識は必要だよね」
そう思った俺は、当たり障りのないところから教えることにした。
しかし、正直言うと俺は甘く見ていた。
リリーの食いつきが尋常ではなかったのだ。
終始鼻息荒く、頬を染めながら質問攻めにあった挙句、話が終わるころには日も上っている始末だった。
その上、満足したのか話が終わるとリリーは背伸びをして自分の部屋に帰ってしまった。
俺は、ぐったりしながらそのまま寝る羽目になったのは言うまでもない。




