リヒテフント帝国1
リヒテフント帝国の東側はグレートアルメラント王国とアスラムル宗主国と国境を接し、北側はクップメントの支配地域と接して、西側には万年雪を称えるアルデール山脈がそびえる内陸国である。
アルデール山脈の向こう側にはエルフも住んでいると言われる未開の大森林地帯が広がっている。
建国の起源は700年間前まで遡り、大帝リヒテフントが圧政に苦しむ民衆の先頭に立ち蜂起したことから始まる。
そして、リヒテフント帝国のほぼ中央にある首都ツアイス中心に初期のリヒテフント帝国が建国された。
この国には他国にない特徴がある。
学問分野の発展……特に化学に代表される科学分野や、戦術論や作戦論などの軍事学の発達が著しいのだ。
それは、この国において魔導師の出生率が極端に低い事が関係している。
他国は魔導師適正がある人間が100人に1人なのに対し、この国は1000人に1人ぐらいしか生まれなかった。
これは従来の軍編成に重大な支障をうみ、安全保障上の大きなリスクとなった。
しかし、10代目皇帝はこれを逆手に取り、学問を重視する政策に舵を切った。
初等教育の全国民義務化だけでなく、高等教育への支援や、他国に先駆けて大学を開校し、優秀な人材には奨学金のみならず給金まで与え勉強させる体制を作ったのだ。
そのため、リヒテフント帝国は戦術や作戦の徹底的な合理化や、魔法攻撃の代用として科学を利用した兵器の発達が著しかった。
また、初等教育に組み込んだ軍事教練が一般兵士の技能水準の高度均質化を促し、他国の兵士に比べて練度が非常に高かった。
そして、リヒテフント帝国は軍事強国として頭角を現す。
12代目以降の皇帝からは年々領土を拡大し、50年前にはこの大陸の3大国の一つとして数えられるまでに成長したのだった。
領土こそ帝国の力であり、拡張こそ帝国の威信になったのだ。
他国の資源を得ることで国を潤わせ、経済が発展したこともリヒテフントの国民を狂喜乱舞させる要因になった。
快感は人を惑わす。
永久に領土を拡張することなどできないのに、国民はそれを求めるようになった。
そんな時、破竹の勢いもついに終わりを迎える。
領土を得るため、周り全てを仮想敵国とみなし強硬な姿勢を保ち続ける帝国に周辺諸国が協調体制を敷いたのだ。
特にアスラムル宗主国の対応は素早かった。
唯一神アルスを崇める国々だったが、宗派の違いで15の国に分かれていたのを全て統合し、対帝国防衛戦線を敷いたのだ。
そして、主導的立場で周辺国と交渉し、相互不可侵条約と侵攻の際には相互で協力し合う盟約を結んだのだ。
数度大きな武力衝突があったが、その盟約のおかげでこの50年は領土が増えなかった。
領土拡張によって支えられた皇帝の支持は急速に悪化し、国内の不満は一揆となり、うねるように広がり、大規模な動乱の兆しが見えるまでになった。
おりしも、魔族との武力衝突も頻発し、国が亡ぶのではないかと本気で思った先代皇帝は精神を病んだ。
そして、1年前死んだ。
毒殺の可能性もある不自然な死だったが、黙殺され、精神異常で突然死したという事になった。
家族は一人残し、全員が前皇帝によって心中させられた事になった。
皇帝一家の死により、国民の反皇帝意識が下火となり、国内の動乱は終息した。
しかし、リヒテフント帝国の領土的野心の火種は燻り続けている。
一度体験した快感を人間は忘れられないもので、国民の期待通りに帝国は周辺に着々と攻め込む準備を行っていた。
現皇帝である第55代皇帝ルビン・ヒッテ・カイザー・リヒテフントは首都ツアイスの中心にある皇帝の居城モルトの玉座の間で肩肘をついてどこか遠くを見ていた。
代々リヒテフントの血筋は緑色の髪をしている者が多く、彼女も皇帝にふさわしい鮮やかな緑色の髪を額の真ん中から分けて、左右に流すように生やし、肩の辺りまで伸ばしていた。
顔立ちも端正で、とても16才とは思えない大人びた顔立ちと、背丈を持っていた。
しかし、体つきは細く、華奢であり、胸などの各部を抑えれば、華奢な男性としても通用しそうな体つきだった。
彼女は昨年まで国外を転々と留学し経験を積んでいた。
しかし、騒動によって唯一の直系となったので呼び戻され皇帝という地位に就かされた。
そんな彼女はどこか儚げで陰鬱そうな顔をしていた。
「ルビン……また、そのような顔をして……皇帝としての品格を問われますよ?」
玉座の後ろに立つ中年の男性が言った。
彼は摂政であり、宰相でもある、叔父のハウント・マルクルブ・リヒテホーヘンである。
彼は典型的な王室ルックをしていて、茶色の髪をおかっぱ頭に切りそろえていた。
顔は、頬は少しこけており、目じりの皺も年相応のモノを漂わせていた。
「そうはいっても……叔父さん」
ルビンはそこまで言ったらハウントに睨みつけられ言葉を遮られた。
「叔父さんではありません。今は摂政様と呼びなさい」
ハウントは強い口調でハッキリ言った。
「……はい。摂政様」
雰囲気にのまれ、思わず言ってしまった。
沈黙が続く。
ルビンは時計を見ると、夕食の時間になっていた。
「摂政様。夕食の時間なので、私は食事をとって今日は部屋で休みます。よろしいですか?」
「……いいでしょう。明日も早い。ゆっくり休みなさ」
無表情のまま淡々と言った。
「はい。では、ごきげんよう」
ルビンは立ち上がり一礼し、食事の部屋に向かった。
ルビンは心の中ではそこまでお腹が空いているわけではなかった。
『朝から晩まで座りっぱなしでどうやったら腹が減るんだろう?』
そんな事を思っていた。
その上、この国の料理は基本的に不味い。
そのことが、ルビンの食欲を余計に遠ざけていた。
帝国のどこでも、大麦を乳で煮込んだ粥料理であるオートミールが主食の上に、メインの料理が基本蒸し料理。
味付けはされど岩塩のみで、非常に薄い。
質素倹約、常在戦場。
それが、リヒテフントの帝王学であり、それは皇帝という地位においても関係なく発揮される。
『……王国の料理は庶民料理でもここの10倍は旨かった』
ルビンは食事の度にそう思っている。
さっさと食事を済ませたルビンは、ひとり居室のベッドに横になった。
「なんでこんな事になったんだろ?」
ルビンは思う。
政が忙しくいつもイライラしていた父。
そんな父に愛想を尽かし、コソコソとハーレムを作っていた母。
次の皇帝の座を争っていた二人の兄。
そんな人たちに振り回される人生はハッキリ言って迷惑以外なにものでもなかった。
政略結婚させられそうになったので逃げるように留学を希望したルビン。
聡明で科学等に精通した彼女は、国外のどこの大学でも重宝され可愛がられた。
そんな国外の生活は毎日が楽しくて、一生リヒテフント帝国に帰る気なんてさらさらなく、国外の研究者としての道を模索していた。
そんな自分が皇帝になるなんて誰が想像しようか?
帰国してからは毎日が陰鬱でやる気が出ない。
ルビンからしたらあの玉座に座って何かすることは、ストレス以外なにものでもない。
だから、気持ちが態度と行動で出てしまう。
さっきの態度がまさにそれだ。
「……本当に侵攻作戦は行われるんだろうか?」
最近、近くの大人たちは口を開けば侵攻だ!とか、戦争だ!とか言っている。
戦争の何が良いのかよくわからない。
大勢の人が怪我したり死んでしまったりするだけではないか?
しかし、摂政である叔父さんは非常に乗り気で困る。
『……どーせ私は傀儡女帝ですよ~だ』
ルビンのモチベーションはまた下がっていった。
摂政であり宰相でもある叔父さんに逆らえるわけがない。
ましてや、私は女帝であり、未成年だ。
『政治の何がわかる!!』と叔父さんに吠えられて終わりだろう。
怒られるのはあまり好きではない。
しかも、あの叔父さんは怒ると超絶に怖い。
まるで、ヒステリーになった父と同じで喚き散らし、私は動けなくなってしまう。
医学的に言うと心因的外傷というやつらしい。
「はぁ~……やだやだ。誰か変わってくれないかなぁ?」
そんな事を思いながらルビンはふて寝をしていた。
そんなとき、窓の外からバッサバッサと大きな羽ばたき音がする。
あまりに音が近いので、ルビンは思わず飛び起き、窓まで走って外を見た。
そして、その光景を見て驚いて腰を抜かした。
そこには伝説の赤い龍が5体も空を飛び、こちらに向かっていたからだ。
『しゅ!!襲撃!!』
ルビンは這って外に逃げようとした。
しかし、力が入らずへたり込む。
そろそろ、龍がこの城に着くころだ。
ルビンは頭を抱え、そのまま伏せた。
『ああ……私の人生もこれで終わりか、もっと遊びたかったなぁ』
ルビンはそんな事を思いながら神に祈った。
そして、覚悟を決めた。




