愛がこんなにも辛いだなんて、
※シリアス、R15表現にご注意ください。
アディル女王とレオナルド一世が結婚して数年がたち、彼らの間にはエリザベス王女、チャールズ=エドワード王子、メアリー王女が生まれていた。なかでも、アディルが二十五歳で生んだメアリー王女は現在三歳だが、レオナルドはことのほかこの王女を溺愛していた。
イザリエ王家とフレライン王家は、穏やかな日々を過ごしていたのだ。
ちょうどその頃だったという。
イザリエ王国とフレライン王国は、どちらもフィランスル教を国教としていたが、派閥は違うものだった。
イザリエ王国はフィランスル教ロジア派で、フレライン王国はフィランスル教セーナ派。二つの派閥は昔から折り合いが悪かった。
アディルとレオナルドの結婚によりいったんは沈静化したように見えたが、先日、ロジア派の最高指導者がセーナ派の最高指導者に苦言を呈したことから関係が悪化し始めたのである。
「ロジア派のコーラル司祭はなんと言っていた?」
苛立ったレオナルドの問いに、執政官は慌てて書類をめくった。
「まだなにも、報告は上がっておりません。」
「・・・くそっ、このままだとまずいことになる!」
だんっと執務机を叩き、椅子を蹴飛ばすように立ち上がると、レオナルドは窓からフレライン王国の方角をにらみつけた。
ロジア派とセーナ派の対立激化の報告を受けて、妻のアディルはフレラインに帰国していた。アディルはイザリエの王妃であると同時に、フレラインの女王だからだ。
「アディルは・・・?」
「まだ書簡は届いておりません。」
彼女もよほど手こずっていると見える。
そもそも、アディルとレオナルドの結婚が急きょ決まったことにより、お互いを静かに牽制しあっていた二つの宗派が、意見を対立させたのが始まりなのだ。
ロジア派は革新派であり二人の結婚には好意的で、セーナ派は王と女王の結婚に慎重な姿勢だった。
それを押し切って結婚したからには、レオナルドとアディルにはこの度の対立激化をおさめる義務がある。
「子どもたちのところへ行ってくる。」
「御意。」
王宮の奥まで進み、王族の居住区に入ると小さい子どもの声が聞こえてきた。庭にでているようだ。
「エリザベス、チャールズ、メアリー。」
「お父さま!」
「父上!」
レオナルドの姿を見た子どもたちは、すぐに駆け寄ってきた。
「お仕事はよろしいの?お父さま。」
小首をかしげる姿はかわいらしいが、仕事を心配するあたり、エリザベスは本当にアディルに似ている。現在八歳だが、その年に似合わぬ聡明さで教師たちを驚かせている。恐らく、今の情勢もだいたいは把握しているのだろう。
エリザベスの一つ年下のチャールズも、次期国王として十分に資質を持っている。
「おとうしゃまぁ~、あそんでください!」
メアリーの舌足らずな言葉が、レオナルドの緊張した心を和ませた。
「そうだな、メアリー、こっちへおいで。」
小さな娘を抱え上げる。日に日に重くなっていくのが、どうしようもなく愛おしかった。
「・・・父上、母上はいつお戻りになりますでしょうか。」
チャールズが不安げな表情で、レオナルドを見上げた。
「メアリーが、毎晩、お母さまは?お母さまは?と泣くのです・・・」
レオナルドは声を詰まらせた。返す言葉を、彼はもっていなかったのだ。
「・・・すぐに帰ってくるさ。そなたたちの母は優秀だからな。」
「お父さま・・・」
レオナルドの言葉に、エリザベスが眉をひそめた。まるで、お父さまは何もわかっていないのね、とでも言うかのように。
「お父さまは、信じてるんだ・・・お前たちの母を、我が愛しい妻をーーー気高き女王を。」
******
ロジア派とセーナ派の対立激化を受け、もともと国内でも反フレライン派だった貴族たちが、続々とロジア派は後見を始めた。フレライン国内でも、同じような動きがあるようだ。
大変無駄な机上の論争を貴族たちと交わすと、時刻はすでに夜中になるころだった。
自室に戻ってソファにどかりと腰を下ろすと、一気に力が抜けた。精神的な疲労が酷い。
「アディル・・・」
こんなときに、愛しい妻に会えないのは辛かった。はぁ、とため息をこぼして前髪をかき上げ・・・目の前の棚を、正確には棚に隠された隠し通路を睨んだ。
「・・・何者だ。なぜその道を知っている。」
ゆっくりと棚がうごくと、艶やかな栗色の髪が現れた。サファイアの瞳と、目が合った。
「アディル・・・?」
ここにいるはずがない。しかしそこにいるのは、紛れもなく彼の愛しい妻だった。
「レオナルド!」
アディルが走り寄って、レオナルドの腕のなかに飛び込んできた。その華奢な身体を強く抱きしめる。
「アディル、アディル、会いたかった・・・!」
「わたくしも、会いたかったの・・・」
ぎゅっと抱きしめ、お互いの存在を確かめるように、口づけを繰り返した。
「アディル・・・」
「レオナルド。」
会えない時間をうめるように、強く抱きしめて深く深く口づけをした。
なぜアディルが隠し通路から現れたのか。ーー隠れてイザリエに来るため。
なぜイザリエに来なければならなかったのか。ーーなにか伝えなければならないことがあったから。
では、いったい何を。
「アディル。」
彼女の静かな瞳を見たときから悟っていた。
「アディル・・・君の力をもってしても、反乱は避けられなかったかい?」
アディルの肩がぴくりと震えた。見上げてくる彼女は、叱責を恐れる子どものようであり、どんな叱責も意に介さないという傲慢さももっていた。
「貴方こそ・・・。」
「あぁ。」
ロジア派とセーナ派の対立激化は止められなかった。イザリエでもフレラインでも、お互いに不満をもつ風潮が高まっており、あちこちで暴動が起きてはそれを抑える毎日だ。そろそろ、限界が近づきつつあった。
「・・・開戦かい?」
「そうね・・・」
レオナルドとアディルは、どちらともかく身体を離した。
「いつか言ったわね、貴方、妻を殺す覚悟はあるの?と。」
「あぁ。そして、私を殺す覚悟はあるのか、とね。」
お互いの表情が歪んだ。
「あの頃は、大丈夫だと思っていたの。愛や恋なんて、知らなかったから。でも、でもっ!」
アディルの美しい青い瞳から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。アディルがこれほど泣くのを、レオナルドは初めて見た。
「今は、分かるの!こんなにも、辛いだなんて!貴方に刃を向けることが、貴方の傍にいられないことが、こんなにもーーー」
レオナルドはアディルに乱暴に口づけた。すべてを貪るように。
「・・・なんて情熱的な告白だろうね。うれしいよ、アディル。」
愛する者を失う恐怖におののくお互いの身体に手を這わせ、二人はソファのクッションに沈んでいく。
ーーー幼い子どもを残して死にたい母親などいないわ。
いつかアディルが言っていた。
ーーーたとえ離れ離れになっても、わたくしは貴方をずっと想っているの。
いつかアディルが言っていた。
「・・・アディル、今夜は・・・今夜までは私の妻でいてくれ、明日からは敵国の王だったとしても。」
窓の外は大雨のようだった。
お互いの心がずたずたと引き裂かれていく音が聞こえるようだ。
それでも、それでも。
ーーー私は貴女を愛しているから。
******
触れ合う素肌は暖かかった。
アディルは自分をゆるりと抱きしめる腕に頬をすり寄せる。眠っている夫の目を閉じられていて、アディルお気に入りのアディルよりも濃い青の瞳が見えないのが残念だった。
「レオナルド・・・わたくしの大切な夫、愛しい夫。」
わたくしの愛しい夫で、これからは憎い敵国の王。
ロジア派とセーナ派の問題解決に奔走しながらも、アディルの心からレオナルドが消えることはなかったのだ。
「愛・・・愛するということ・・・」
大切な子どもたちも。
夫も。
わたくしは自分の手で、手放すのだ。
まとまってな~い。