036. 選択
「アトロス・・・あなた・・・」
母は、何か考えている。
そして、アトの顔をみて、腕を見つめた。
「アトロス、今日はどうやってここに来たの?」
「え」
アトは、素直に、真夜中に目が覚めて、妙な気配を追って、鏡面を通って・・・と、事の経緯を話した。
暖炉の方から、幼い声が聞こえた。「□**+・・・・ イシュデン △◎・・・」
「あ、クリスティンよ。」
アトは暖炉をじっと見つめた。これは・・・一体何だろう? イシュデン、という単語が聞こえたが・・・あとは何をいっているかさっぱりだ。
「ちょっと待ってて、アト」
母は、また、暖炉に向かって話し出した。
「☆△+○・・・・ クリスティン *@#・・・」
アトは、会話が終わるのを待っていた。
部屋を改めて見回してみる。
全体的に青い光を放つこの部屋だが、調度品や壁は・・・確かに、自分の部屋の雰囲気と変わらない気がする。
アトは自分がこの部屋に入ってきた扉を振り返った。
母はまだ会話中だ。
アトは、この部屋の扉の外をもう一度見たくなった。
椅子から立ち上がり、扉に手をかけて・・・。
ノブが、動かない。
来たときはここまで力を必要としなかったはずだが・・・。
アトは、上腕でノブを挟んで回そうとする。この動きは日常でよく使う、慣れた動作だ。
「何やってるの?」
会話が終わったらしい。母が声をかけてきた。
「いえ、外を見ようと思ったのですが―・・・」
「開かないの? そう」母は眉をしかめた。「アトロス。その扉、普通は開かないのよ」
まさか。
「でも大丈夫よ。また明日の朝にはイングスが朝食を持ってきてくれるわ。一緒について帰れると思うわ」
それはそれでまた驚く話だ。
「父上は、毎日、ここにー?」
「ええ。それでないと、さすがの私も気が狂っちゃうわよ。
誰からも忘れられて、たった一人、だなんて」
とても信じられない。
「それに、気が狂う前に、食べるものが無くて、死んでしまうかもしれないわ。
これは冗談じゃないのよ」
アトは、口をパクパクさせた。
それから、やっと、浮かんで形になった疑問を口にする。
「― 部屋から、出て来れない、のですか?」
母は肩をすくめた。
「出れるわよ。ただね、出てしまったら、今までの全てが水の泡になっちゃう・・・ 。
それより―・・・
アト、あなた、今日、町の外から商人が来たでしょう? 娘さんの顔、覚えてる?」
「え」
一体、何を。
「行方不明になったらしいの」
「え・・・。いえ、顔は覚えてません・・・娘とも知りませんでした」
「名前は、ダロンって言うのよ。でも、仮の名前みたい」
「はぁ・・・」
母は、アトをじっと見つめた。
「アトロス。あなた、
『あなたでなくても良いけれど、あなたでないとできない』という事があったら、
人として、どうする?」
「え・・・」
人として?
「あなたにはできる事があって、助けてと言われたら?」
よくわからないながら、アトは、答えた。
人として、正しいと思う答え。
「そんな時は・・・自分にできる事なら・・・助けるでしょう」
「『助けるでしょう』でなくてね。助ける、助けない?」
母は、さらに言葉を詰めてきた。
一体、何だというのだろう?
妙に、真剣な顔をしているー・・・。
アトは、言葉を選択した。
「助け、ます」
母は頷いた。
「そうよね」
「あの・・・一体・・・」
「アトロス」
「はい」
「行方不明の娘さんを、探しにいってきてちょうだい」
「え? は、はぃ・・・」
また『旅に出なさい』と言われた気分だ、とアトは思った。今日は皆がそれをキーワードにしているらしい。
「今すぐにでも。早いほうが良いわ」
あぁ、この言葉も、石見の塔の老婆から聞いたぞ―・・・。
これが運命の日ってものなのか、とアトは何故か感心した。
「情報は、後からあなたに伝えるから。」
「え、はぁ・・・」
「はい、これを持って」
母は、自分の首から、ターコイズ色の石のペンダントを外して、アトの首にかけた。
「うん、嬉しいわ。私の息子も立派になって!」
幸せそうに笑った。
「はぁ・・・」
母は、強引な性格だったんだな、と、アトはぼんやり思った。
父の好みがこういうタイプだったとは、意外である。




