2009年12月24日
クリスマスイブの今日は平日で、いつもなら仕事があった。しかし、あの会社を辞めることを宣言し、虎島の下で働くことを決めた瑞穂が、仕事に行くことはない。
そのため、瑞穂は家で退屈な時間を過ごしていた。家にもパソコンがあるため、プログラミングの自主学習を進めることは出来る。外に出て買い物をすることだって良い。しかし、今の瑞穂にそんな考えは生まれなかった。
ただ、何も考えることなく、瑞穂は時間が過ぎてしまえば良いとさえ考えている。それは、少しでも何かを考えようとすれば、池斗のことを考えてしまうからだ。
池斗とずっと一緒にいることは出来ない。瑞穂はそれを知り、はっきりと気付いたことがあった。
それは、池斗のことを好きだという気持ちだ。
池斗が亡くなり、一度は忘れてしまった気持ちだった。それが今、抑え切れない程大きな気持ちになっている。そのことが、瑞穂には辛かった。だからこそ、何も考えずにいようと必死になっていた。
そうしているうちに、瑞穂は眠りに就いてしまった。
病院のベンチ。
そこに幼い自分が座っている。
「瑞穂?」
隣には、幼い池斗もいる。
「何?」
「これ、知っていますか?」
瑞穂は池斗が出した物をじっと見た。
「ミサンガっていうそうです。今日、友達がくれました」
「ああ、流行っているよね」
「これに願い事をして着けると、願いが叶うそうです」
「切れた時にでしょ?」
「いえ、着けている限り、少しずつ叶うそうですよ」
池斗の話は、瑞穂の知る話と違っていたが、強く指摘はしなかった。
そこで、池斗は真剣な表情になった。
「このミサンガに、僕はこんな願いを込めようと思います」
「何にするの?」
瑞穂の質問に、池斗は笑顔を見せた。
「瑞穂との約束が、守れますように……」
瑞穂は目を覚ますと、すぐに体を起こして、時計を確認した。
時計は23時を既に過ぎ、もうすぐ日が変わろうとしていた。瑞穂はそれだけ確認すると、簡単に支度をして、外に出た。
「池斗!」
もしかしたら、すぐそばにいるかもしれない。そんな期待を込めて、瑞穂は何度も池斗を呼んだ。
しかし、池斗は姿を見せなかった。その間も時間は過ぎていってしまう。
「嫌だ……」
瑞穂は、夢を見たことをきっかけに、あることを思い出していた。それは、池斗とした約束だ。そして、それは池斗が自分の前に現れた理由でもあった。
その約束を守るため、瑞穂は今日中に池斗に会わなければいけない。しかし、一向に池斗は見つからず、瑞穂は立ち止まった。
もう日が変わるまで1分しかない。瑞穂はどうすることもできず、ただ時計を眺めていた。
そして、デジタル時計の表示が、23時59分59秒になった。
瑞穂は思わず目を逸らした。
それは、不思議な光景だった。周りにいた人が、全員同時に足を止めたのだ。いや、正確には足だけでなく、全部の動きを止めている。走り去ろうとしていた車も止まり、よく見れば木々の揺れや風の流れも感じない。全部のものが止まってしまったのだ。
しかし、その中で瑞穂だけが動けた。そして、瑞穂は恐る恐る時計に目をやった。表示はまだ、23時59分59秒だった。
「瑞穂?」
その声に、瑞穂は顔を上げた。
「池斗?」
「僕のこと、見えますか?」
「うん、見えるよ!」
「良かったです。ずっとそばにいたのに、瑞穂は気付いてくれなくて……でも、また話が出来て良かったです」
その言葉で、池斗も自分に会おうとしていたことを知り、瑞穂は嬉しくなった。
「これは、池斗がやったの?」
「わからないです。ただ、瑞穂との約束を守りたいと思ったら、こうなっていました」
池斗の言う、約束。
それは、先ほど瑞穂が思い出したことと同じに違いなかった。
「クリスマスイブの夜、瑞穂のお父さんから、お母さんに告白したんですよね?」
「……うん、それでお母さんもお父さんに告白して、二人は付き合うようになったんだって。お母さんは私が小さい時から、何度もその話をしてきたんだよ」
何度もこの話を聞いているうちに、瑞穂の中で一つの夢が生まれた。
「私も……そんな風に好きな人から告白されたいって、ずっと思っていたの」
あの時から、幼かった二人の時間は止まってしまった。でも、今は二人の時間だけが動いている。
「僕はそれを聞いて、瑞穂と約束しました」
「うん、その約束が叶うよう、ミサンガにお願いもしてくれたんだよね」
そこで、二人は少しだけ黙った。時間がいつまでも止まっているとは思えない。それでも、この時間を大切にしたかった。
「僕は瑞穂のことが好きです」
「私も池斗のことが好きだよ」
大人になったら、クリスマスイブの夜に、お互い告白しよう。
それが二人のした約束だ。
池斗があと少ししか生きられないかもしれない。そんな考えがあったからこそ、大人になった後の約束をしたのだ。
しかし、池斗は亡くなってしまい、この約束は果たされないはずだった。
「池斗、ずるいよ」
「はい?」
「この約束だけ守ってくれるなんて……」
瑞穂の言葉に、池斗は困った表情を見せた。
「池斗、ごめん。私、バカだから、池斗の気持ちに気付かないで……」
瑞穂は池斗の目を真っ直ぐ見たまま、続けた。
「池斗は約束を守るために、ずっと私を待っていたんだよね?」
「はい、そうです」
先日は、待っていた気がすると話していた。
しかし、今は確信に近い形で、そう言ってくれた。
「じゃあ、池斗の時間……ずっと私がもらっちゃっていたんだね」
「はい?」
瑞穂は池斗を見て笑った。
「池斗みたいに不思議な力がなくても、私達は誰かから時間をもらったり、反対に時間をあげたりしているんだよ」
例えば、誰かと遊びに行くこと。話を聞いてもらうこと。さらに言えば、小説を読んだり、映画を見たりすることだってそうだ。そして、誰かを思い続けること。そうして、人はお互いに時間をもらったり、あげたりしている。
「昨日はひどいことを言っちゃったけど、池斗のおかげでやりたい仕事に就けそうだし、ずっと嫌だった自分の時間が好きになれたよ」
そして、瑞穂は迷いつつも、聞かなければいけないことを聞くことにした。
「池斗はもう、ここにはいられないんだよね?」
「……はい」
二人が幼い頃にした約束は既に叶っている。残された時間は、あと少ししかないはずだ。
「私はずっと、池斗のことを忘れない。池斗のことを好きだって気持ちも忘れない」
それは、人から時間をもらってまで、自分の前に姿を見せてくれた池斗に対する、瑞穂なりの礼だった。
「……私の時間をあなたにあげます」
その言葉に池斗は笑顔を見せた。
その時、池斗の体が一瞬だけ透けた。それは、別れが迫っていることを示していた。
そのことを瑞穂と池斗はお互いに感じ、そしてお互いに頷いた。
「じゃあ、僕は……あなたの時間をもらいます」
最後にそれだけ言い残し、池斗は姿を消した。
その時、周りが動き出した。
人は普通に周りを通り過ぎ、車も走っている。時計も進み、クリスマスイブの終わりを示していた。
瑞穂は地面に目をやった後、少しだけしゃがみ、そこにあった物を手に取った。それは池斗が着けていたミサンガだ。
結局、ミサンガは約束を叶えた今も切れることなく、輪っかを作ったまま残されていた。瑞穂はそれを両手で優しく包んだ。
池斗と再び会うことがなかったら、こんなに悲しくなることはなかった。しかし、そんな悲しみを全部吹き飛ばす程、大切なことに気付くことが出来た。
様々な気持ちが溢れ、それが自然と涙になって零れたが、瑞穂はその涙を拭うこともしなかった。




