2009年12月21日
会社にいる間、いつも瑞穂は退屈な時間を送っていた。しかし、今日は違う。虎島に言われたことを守り、瑞穂は目的を持った自主学習を始めたのだ。
経験を積めば、自然と実力は身に付くと言われたが、こうして自主学習することも経験だと瑞穂は感じた。そう考えると、しなければいけないことはたくさんあり、短期間ではとても消化し切れそうにない。そんな気持ちを持っていたためか、この日はあっという間に時間が過ぎていった。
そして、気付けば定時を迎えていた。まだやりたいことがたくさんあり、瑞穂は残業をしようとも考えたが、焦りは良くないと考え、帰ることにした。
「お疲れ様です」
いつも帰る時に言っている言葉だが、今日は自然と元気な声で言えた気がした。
瑞穂は会社を出ると、この後のことを考えていた。いつもは退屈な時間を過ごしたことにより、精神的に疲れてしまっていたが、今日は違う。そのため、瑞穂は近くで買い物でもしようかと考えていた。
「瑞穂、お疲れ様です」
その声に、瑞穂は慌てて振り返った。そこには池斗が立っていた。
「この前はごめんなさい。こうして話をするためには時間がたくさん必要で……」
「もしかして、今日も私の時間を奪ったの?」
今日、時間が早く過ぎたように感じたのは別の理由だと知っているが、瑞穂はそう言って池斗をからかった。
「瑞穂からはもらっていないですよ?」
「じゃあ昨日、虎島さんからはもらった?」
その質問に、池斗は明らかに動揺した様子を見せた。
「本当に池斗の仕業だったの?」
「ごめんなさい、お節介だと思ったんですけど……」
「ありがとう」
まだ池斗の話を信じた訳ではないが、本当だったらと仮定して、瑞穂は礼を言った。
「そういえば、時間ないんだよね? だったら、今すぐ遊びに行こうよ!」
「はい?」
「そうだ! 久しぶりに遊園地に行きたくなったから、一緒に行こうよ!」
瑞穂は笑うと、池斗の手を握った。
「ほら、早く来てよ!」
「瑞穂、待って下さい!」
この時、瑞穂は自分の気持ちに何となく気付いていた。それは、池斗に惹かれ始めているということだ。不思議なことばかり言う池斗のことを、もっと知りたい。
仕事に対する目標も見つかり、気分が良かったからか、瑞穂はそんな池斗に対する気持ちにも積極的になっていた。
遊園地に到着すると、瑞穂は二人分のチケットを買った。
「あ、お金……」
「仕事とかしていないんでしょ? お礼の意味も込めて、今日は私のおごりで良いよ」
「ごめんなさい……」
「ほら、そんな顔しないでよ」
落ち込んだ様子の池斗を引っ張り、瑞穂は中に入った。そこにはライトアップされたアトラクションが並んでいた。
「キレイでしょ?」
「はい……」
「絶叫マシンは乗れる?」
「乗ったことがないので、わからないです」
「嘘? だったら乗ろうよ!」
瑞穂は池斗の手を引き、ジェットコースターに二人並んで乗った。
「大丈夫、大したことないよ」
池斗が青ざめていたため、少しだけ心配になったが、今更後戻りは出来ない。既にジェットコースターは動き出し、ゆっくりと進んでいた。
「池斗、ごめん。本当に大丈夫?」
もはや返事もしない池斗を心配しつつも、瑞穂は前に目をやった。本音を言えば、瑞穂もそこまで絶叫マシンが得意な訳ではない。池斗をからかうつもりで強引に誘ったことを後悔している程だ。そんなことを考えている間に、ジェットコースターは最も高い場所を過ぎ、急降下を始めた。
「キャー!」
池斗のことを心配する暇もなく、瑞穂は悲鳴を上げてばかりだった。それは、たった数分のことだったが、ジェットコースターが止まった時、瑞穂はヘトヘトになっていた。
「池斗、大丈夫?」
ふと、瑞穂は池斗を心配して、顔を横に向けた。しかし、そこには笑顔の池斗がいた。
「ジェットコースターって楽しいですね! もう一回乗りましょう!」
「絶対に嫌だ!」
気付けば立場が逆転していたため、瑞穂は慌ててジェットコースターを降りた。
「瑞穂?」
「男女で遊園地に来たら、こんなのに乗らないのが普通なの!」
「え?」
「もっと、のんびり出来るのに乗るよ!」
その後、2人はメリーゴーランドやコーヒーカップ等に乗り、楽しい時間を送った。その間、瑞穂は池斗に対して質問を繰り返した。
「池斗って、いつも同じ格好じゃない?」
「あ、はい」
「同じ服を何着も持っているの?」
「いえ、そういう訳ではないです」
池斗は困ったような様子を見せながらも、全ての質問に答えてくれた。そのことが瑞穂は嬉しかった。
「あと、それってミサンガだよね? 流行ったの、10年以上も前じゃない?」
「あ、そうなんですか?」
「どんな願い事をしたの?」
「……ごめんなさい、覚えていないんです」
次第にどうでも良いような質問も多くなったが、瑞穂は少しずつ池斗のことを知っていった。そうして、楽しく過ごし、時間はあっという間に過ぎてしまった。
「池斗、また時間を奪ったんじゃないの?」
「はい?」
「だって、いつの間にかこんなに時間が経っているじゃない」
瑞穂の主張に池斗は笑った。そんな池斗を見て、瑞穂も笑った。
その時、瑞穂の中に一つの不安が生まれた。
「……ねえ、池斗って何者なの?」
今まで話していたことが本当だとしたら、池斗はどんな存在なのか。そんな疑問と共に、ずっと一緒にいることが可能なのか、瑞穂は不安になっていた。
「初めて会った時も、この前も突然消えちゃって……あれは何なの?」
瑞穂の質問に、池斗は少しだけ考えた様子を見せた後、口を開いた。
「僕は、どこにも行っていませんよ」
「え?」
池斗の言葉を瑞穂は理解出来なかった。しかし、今日は必死に理解しようと思っている。むしろ、理解したいと思っている。
そのため、特に否定することなく、このまま話を聞き続けた。
「僕がどういう存在なのか、僕もわかっていないです。いつから、こうしているのかも覚えていません」
池斗は少しだけ顔を下に向け、話し続けた。
「ただ、誰かから時間をもらわないと、こうして存在することが出来ないんです」
「存在することが出来ない?」
「誰からも僕の姿は見えないし、声も聞いてもらえないんです。触ることも出来ません」
そこで、池斗はため息をついた。
「今日は瑞穂に会うために、たくさんの時間をもらっちゃったから、困っている人がいるかもしれないです」
「そう……」
まだ半信半疑ではあるが、瑞穂は少しずつ、池斗のことを理解し始めていた。そして、理解すればする程、抑え切れない思いが大きくなっていった。
「でも、誰かから時間をもらえば、こうして会えるんだよね? ずっと一緒にいられるんだよね?」
少しでも長い時間、一緒にいたい。まだ会ったばかりの池斗に瑞穂はそんな思いを持っていた。
その時、また池斗の体が透けて見えた。
「今日はここまでみたいです。瑞穂、またね」
「待って!」
瑞穂が止めたが、池斗はまた一瞬で消えてしまった。
「池斗?」
瑞穂は辺りを見回した。
「そばにいるんだよね? 私の時間をあげるから、もっと一緒にいてよ」
池斗に届いていると信じて、瑞穂は何度もそう言った。
しかし、この日、池斗が再び姿を現すことはなかった。




