2009年12月20日
この日、仕事が休みだったため、瑞穂は買い物に出掛けていた。買い物と言っても、服やアクセサリーを見るだけで、買うことは稀だ。しかし、この時間を瑞穂は息抜きの時間として大切にしている。
クリスマスが近いため、デパートの中は装飾がされ、クリスマスソングが流れている。それは今年のクリスマス、一人で過ごす予定の瑞穂を少しだけ辛い気持ちにさせた。そんな理由から、瑞穂は早めにデパートを出た。
しかし、帰ってもすることがないため、瑞穂は体を温めようと近くの喫茶店に入り、コーヒーを頼んだ。
椅子に座り、コーヒーを一口だけ飲んだところで、ふと瑞穂は池斗のことを思い出した。
一昨日も昨日も、池斗は急に姿を消してしまった。そのことについて、何か科学的な説明を探したが、まだ見つかっていない。
「西条さん?」
不意にそんな声を掛けられ、瑞穂は慌てて顔を上げた。
「虎島さん!」
そこには、昨日、先輩との話の中でも話題に上がった、虎島がいた。
「あ、もし良かったら座って下さい!」
「良いのか?」
「はい、それで、良かったら少しだけ話をしませんか?」
仕事の面で尊敬もしていた虎島との再会が、瑞穂にとっては何より嬉しいことだった。先輩と話していた時も、瑞穂は虎島のことを心配していた。そのため、こうして再会できたのは、瑞穂が望んでいたことでもある。
「虎島さん、今はどうされているんですか?」
「実は自分の会社を興したんだ」
「そうなんですか?」
虎島の言葉に、瑞穂は驚きを隠せなかった。
「景気の悪い今、無謀なことをしてるとも思うが、妻も娘も協力してくれてるんだ」
「私は良いと思います! 頑張って下さい!」
自分のことのように喜んでしまい、瑞穂は自然と声が大きくなっていた。すると周りにいた人が数人、こちらを気にするように見てきたため、瑞穂は少しだけ声のトーンを下げた。
「ごめんなさい、騒いでしまって……」
「君は相変わらずみたいだね」
虎島に笑われ、瑞穂は少しだけ顔を赤くした。
「仕事の方は上手くいってるか?」
「あ、その……」
瑞穂は少しだけ考えた後、話すことにした。
「今、ほとんど仕事がなくて、自主学習ばかりになっています」
そこで、瑞穂は以前、虎島が話していたことを思い出した。
「開発の仕事が出来ないことも辛いんですけど、それよりも誰に対して仕事をしているのか、わからないのが辛いんです」
自分が担当している原価計算システムを、誰が使っているのか、瑞穂は知らない。それどころか、このシステムで何が出来るのか、それすらもほとんど知らない状態だ。
「虎島さん、もっと客との距離を近くした方が良いと、言っていたじゃないですか?」
システムに何か不具合があり、それを客が見つけたとしても、その報告が自分達のところに来るまで1週間以上の期間を要する。それだけでなく、不具合とは言わないまでも使い辛いと感じている部分も多いはずだ。しかし、使いやすくしてほしいといった要望が来たことは一度もない。
虎島は、それらのことを改善するべきだと強く主張していた。
「今、虎島さんの言っていたことを実感しています。噂ですけど、不満を感じていたお客さんがドンドン離れていって、そのせいで仕事が少なくなっているとも聞きましたし……」
虎島が真剣な表情で聞いてくれたため、瑞穂は自然と話をすることが出来た。
「この会社で、自分が将来どうしているのか、全然見えないんです。それで今、自分の時間が無駄になっていないか、不安なんです」
瑞穂が話し終え、虎島は少しだけ考え込んでいるような様子だった。
「今、俺は客を探そうと、様々な人と接触してる。その中には君の会社の客もいるよ」
「え?」
「確かに、君の会社の評判は良くない。様々な部門に分けたことによって、実際に対応する人まで話が届かないことも多いからね」
そこで、虎島は少しだけ笑った。
「場合によっては、俺がそっちの客を奪うことになるかもしれない」
「そうですか……」
「おい、こういう時は自分の会社を思って、反抗するべきじゃないか?」
久しぶりに虎島から説教をされ、瑞穂は少しだけ笑った。そこで、虎島はまた真剣な表情になった。
「君はどうして、この仕事を選んだのかな?」
「プログラマー……いつかはシステムエンジニアになりたいからです」
「それは何故?」
「え?」
瑞穂は質問の答えを探すため、少しだけ考え込んだ。そして、答えを見つけた。
「不純な動機なんですけど、ゲームが好きだからです。それで、ゲームがどんな仕組みで動いているのか調べているうちに、プログラムに興味を持つようになって……」
人には隠しているが、瑞穂は自らをゲーマーだと思っている。俗に解析と呼ばれるようなことを行い、そうして得た情報をネットを使って交換することも頻繁にしている。そうしているうちに、プログラムそのものに興味を持ち始めたのだ。
「ただ文章を書くだけで、色んなことを実行してくれるってすごいと思いますし、だから様々なことを知って、自分でも様々なものを作れるようになりたいんです。それと……何となくプログラミングができる女性は恰好良いと憧れがあったので……」
そこで、虎島が笑ったため、瑞穂は話を止めた。
「変な理由ですよね?」
「いや、ごめん。そういうつもりで笑ったんじゃないよ」
虎島は少しだけ悩んだ様子を見せた後、口を開いた。
「今はまだ、会社として不安定な状態だから、こんな提案はするべきじゃないかもしれないけど、客を引き込み、しっかりとした経営が出来るようになったら、俺の会社に来ないか?」
それは瑞穂にとって、意外な言葉だった。
「え、私がですか?」
「ああ、そうだよ」
「でも、私、まだ何も出来ないですし……」
虎島の下にいたのは、わずか数ヶ月だけだったが、出来ることなら、また虎島の下で働きたいと願っていた。そのため、この提案は瑞穂にとって嬉しいことだ。しかし、それ以前に瑞穂には自信がなかった。
「君は素直に言われたことを実行出来る人だと思ってる。実力は様々なことを経験すれば、自然と身に付くよ。それに君の動機、仕事をする上で良い動機だと思う」
そこで、虎島は腕時計に目をやった。
「自主学習の時間があるなら、俺の会社に来て、やりたいことをするための勉強をしてみてほしい」
「え?」
「まあ、その仕事を与えられるか……それ以前に俺の会社が上手くいくかどうかもわからないけどね」
「はい、わかりました! 私、頑張ります!」
瑞穂は目標を見つけることが出来て、思わずまた大きな声を上げてしまった。
「俺はこれから用事があるから、もう行くよ」
「はい、虎島さんも頑張って下さい」
「ありがとう。まあ、俺もしっかりしないといけないね。気付いたら時間が過ぎていたんだよ」
「え?」
それは、これまでなら何てことない言葉だと気にしなかった。しかし、今の瑞穂にとっては、聞き流すことが出来ない言葉だった。
「時間が過ぎていたって、どういうことですか?」
「別に大した話じゃないよ」
虎島の話によると、今日は早い時間に人と会う予定だったらしい。しかし、気を抜いているうちに乗る予定だった電車の時間を過ぎてしまい、急遽連絡したところ、会う時間を遅くしてもらえたそうだ。
「そのせいで時間が空いたから、この店に入ったんだよ。でも、そのおかげで君に会えて良かった」
「もしかして、誰かに時間を奪われました?」
「……どういう意味だ?」
「あ、何でもないです!」
池斗のせいで変なことまで聞いてしまい、瑞穂は慌ててしまった。
「君、面白い発想をするね」
「本当にごめんなさい。何でもないので……」
「ああ、わかったよ。じゃあ、また」
「はい、ありがとうございました」
虎島を見送った後、瑞穂は残ったコーヒーを飲み干した。今、起こった出来事があまりにも嬉しくて、瑞穂は少しだけ興奮している。そんな気持ちを抑えようと、瑞穂は大きく深呼吸をした。
そこでふと、池斗のことを思い出し、瑞穂は少しだけ笑った。
「まさかね……」
自分と会わせるため、池斗が虎島の時間を奪ったのではないかという考えが生まれたが、瑞穂はまたすぐにその考えを捨てた。




