2009年12月19日
土曜でも仕事をしている人は大勢いる。しかし、普段土曜が休日の瑞穂にとって、今日の休日出勤は憂鬱なものだ。電車が多少空いていたという利点も確かにあったが、それだけでは埋まらない程の不満があった。
「今日は時間通り来たんだな」
「はい、昨日はごめんなさい」
会社に着くと、瑞穂はデスクに着き、手帳等を出した。
「もうすぐクリスマスだっていうのに、仕事なんてな」
瑞穂が担当しているシステムは、原価計算システムだ。年末のためか、客が使用したいとお願いしてきたそうで、今日は休日稼働させている。そのため、瑞穂と先輩の二人が休日出勤となった形だ。とはいえ、することといえば、万が一トラブルが発生した時に対応するというもので、何もトラブルがなければ、監視だけで終わってしまう。そんな暇な時間をどう過ごそうか考えたが、良い案は浮かばなかった。
「そういえば、西条さんはクリスマスの予定あるのか?」
「プライベートのことなので、ごめんなさい」
この先輩は頻繁に世間話を持ち掛けてくるが、瑞穂はそういった話をするのが苦手だ。そのため、いつもこうしてかわしている。
「そういえば、知ってるか?」
「……はい?」
しかし、先輩と二人きりの今日はしょうがないと考え、少しだけ話すことにした。
「来年になったら、給料が減るかもしれないって話があるんだ」
「え、そうなんですか?」
そんな話は初耳だ。
瑞穂は今、アパートで一人暮らしをしていて、生活費だけでも多く掛かっている。とても貯金等出来る状態ではない。そんな状態で、給料が下がるなんてことがあったら、まず生活出来なくなってしまう。
「今、不景気だろ? この辺でも倒産してる会社がいくつかあるし、ここも危ないって話なんだよ」
「でも、この会社、株の上場を何年か前にしたと聞きましたけど?」
「そうすると何が変わるか、わかってるのか?」
「え、信頼が高まって、安定すると聞きましたけど?」
「そんなメリットばかりじゃないよ」
先輩が何を言っているのか、瑞穂は理解できなかった。
「上場すると、定期的に会社の業績を開示する必要があるんだ。それは、業績が下がっていっても開示する必要があるってことで、当然業績が下がれば信頼を失うよ。ここは社員も多いけど、大企業じゃない。無駄に人件費が掛かる中小企業だよ。今の景気を考えれば、業績を上げ続けるなんて大変だろ? 実際のところ、業績がドンドン落ちてるから、それに合わせて会社の信頼も落ちてるし、こんな会社に任せられないと、仕事を頼むところも減ってるんだろうな」
こういった部分について瑞穂は詳しくないため、先輩の話をしっかり理解した訳ではない。しかし、今の状態が深刻であるということは何となくわかった。
「虎島さんを辞めさせたりしないで、ちゃんと上が考えれば良かったんだけどな」
虎島というのは、瑞穂の指導係だった男性社員だ。そして、会議の席等で上の人に意見をぶつける人でもあった。厳しい人だったが、瑞穂は虎島のことを尊敬していたし、いつか自分もこんな人になりたいと思っていた。しかし、上に対して意見をぶつけたことで反感を買ったのか、虎島はリストラに近い形で辞めてしまった。
「ホント、虎島さんの言った通りになってるよ」
今の体制を変えなければ、この不景気を乗り越えていけないといったことを虎島は言っていた。先輩の話が本当だとすれば、確かに虎島の言った通りになっている。瑞穂は憂鬱な気持ちで、そんなことを考えていた。
昼になり、瑞穂はコンビニ弁当を食べた。まだ午前中が終わっただけだが、瑞穂は既にとても長く感じている。これがあと数時間も続くと考えると耐えられなかった。ただ、そんなことを考えてもしょうがないため、午後になると瑞穂は自主学習を始めた。
しかし、先輩の話が頭から離れず、瑞穂は勉強に集中出来なかった。何度も時計を見て、その度に瑞穂はため息をついた。
その時、ふと瑞穂は昨日会った池斗のことを思い出した。信じてはいないが、池斗は人から時間をもらっていると言っていた。もし、あの話が本当なら、今この時間をあげたい。昨日は冗談半分だったが、今は本当にそう思った。
「そろそろ終わりにするか」
「え?」
瑞穂は時計を見て、驚いてしまった。それは、いつの間にか、帰る時間になっていたからだ。
「どうした?」
「……いえ、何でもないです」
瑞穂は荷物をまとめると、帰ることにした。
「お疲れ様です」
「お疲れ様。この後、近くで夕飯でも食べないか?」
「すいません、私は帰ります」
先輩の誘いを断りつつ、瑞穂は会社を出ると、携帯電話を取り出し、改めて時間を確認した。
時間は確かに過ぎている。あれだけゆっくりと流れていた時間が、あっという間に過ぎてしまったのだ。
「お疲れ様です」
そんな声を掛けられ、瑞穂は顔を上げた。そこには、池斗が立っていた。
「時間をくれてありがとう」
「え?」
この時、瑞穂は池斗から何とも言えない不思議な雰囲気を感じた。
「もしかして、池斗の言っていること、本当なの?」
「僕が本当だと言ったら、瑞穂さんは信じてくれますか?」
池斗の質問に対して、少しだけ考えた後、瑞穂は笑った。
「ごめん、信じられない」
「そうですか……」
残念そうな様子を見せた池斗に、瑞穂は少しだけ申し訳ない気持ちになった。
「池斗……って呼んで良いのかな? 池斗は仕事とかしていないの?」
「うん、していないよ」
「そう……いいな」
そこで、瑞穂は思わず、ため息をついてしまった。
「仕事、辞めたいんですか?」
「辞めたいと言うより、やりたい仕事をしたいなって……」
瑞穂は普段、人に悩み等を話すことがほとんどない。しかし、何故か池斗には自然と自分の話をすることが出来た。
「何か、私がいる会社、結構やばい状況みたいだし」
「瑞穂さん、そのうち自分のやりたい仕事に就けるよ」
「それがいつになるかわからないからね……」
「えっと……」
池斗が何を言おうか悩んでいる様子で、瑞穂はまた笑った。
「ごめん、こんな話するつもりなかったのに」
「話すことで瑞穂さんの心が落ち着くなら、僕は話を聞きます」
「あと、私のこと、別に呼び捨てで良いから」
「じゃあ、そうします」
そこで、少しの間、話題がなくなり、お互いに黙ってしまった。そんな雰囲気が何だか嫌で、瑞穂は自分から話を切り出すことにした。
「この後、食事に行かない?」
「え?」
池斗は少しだけ困った表情を見せた後、笑った。
「うん、嬉しいけど……今日は無理なんです」
「用事あるの?」
「こうしているためには、時間が足りないから……」
その時、瑞穂の目には、池斗の体が少しだけ透けて見えた。
「……今のは?」
「瑞穂、今度また誘って下さい。じゃあ、またね」
それは、一瞬の出来事だった。気付いた時には、池斗が目の前からいなくなっていた。
「池斗?」
辺りを見回したが、どこにも池斗の姿はない。この時、瑞穂の心の中で、池斗が言っていることは全部本当で、池斗は不思議な存在なんじゃないかという考えが生まれた。
しかし、瑞穂の中にはそんなことある訳ないと否定する気持ちもあって、答えは出なかった。




