戦争後の在日コリアンスポーツ選手
戦争後のスポーツ選手,芸能界は数多くの在日コリアン,朝鮮の人々が活躍されてきた。
その中でも一際精彩を放つのはプロ野球の通算最多安打記録を持ち、86歳で亡くなった張本勲さんもだろうか。
1940年6月19日生まれ1959年に東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)へ入団し新人王を獲得。その後、巨人やロッテで活躍し1980年に日本プロ野球史上初となる通算3000安打を達成。生涯通算安打数は「3085」で歴代1位の記録を作り、初代「安打製造械」と呼ばれるようになった。
そんな輝かしく成功した彼も在日コリアン2世。「人生2度死にかけた」という体験に出身地の広島での被爆し、高校時代には差別もあっている。
差別は高校3年、野球部内の不祥事で一人だけ不本意な処分を受け、憧れの甲子園の舞台には一度も立てなかった。後に部の責任者が処分の理由について「在日は嫌いだから」と語って驚いた。
差別が今よりも色濃かった昭和は、張本さんのように容姿や国籍、性別で差別をされてきたため張本さんは国籍を隠したという。
兄のように慕ったという国民的英雄のプロレスラー力道山ですら、出自を伏せていた。朝鮮半島から渡ってきた生粋のコリアンだったが、長らく長崎出身としていたのだ。
張本さんは自著では、出自を隠す力道山に対して不満をぶつけた際に殴られたことを明かす。力道山は「植民地時代にわしら朝鮮人は虫けらのように扱われたんだ。隠していかないと生きていけなかったんだ」といきり立った。スターになっても消えぬ傷跡の深さを感じたという。
張本さんは実力で偏見をはね返した。
ただ今もやむを得ず出自を隠して生活している人も少なくない。




