表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

「もう誰かのために生きるのは疲れました」そう伝えて聖女を辞めたら、溺愛されました

作者: 夢見叶
掲載日:2026/02/11

「セラフィナ様、新しい聖女様がお見えになりました。あなたの役目は終わりです」


 淡々と告げられた言葉に、私は――安堵のため息をついた。


「(やっと……やっと終わるんだ)」


 宰相ギルバートの使者は、私の反応を気にする様子もなく、続ける。


「明日の朝までに王城を出ていただきます。荷物は最小限に。護衛はつけません」


「分かりました」


 私、セラフィナ・アルストは、エルデリア王国の聖女として五年間奉仕してきた。いや、「奉仕」という美しい言葉では足りない。酷使されてきた、というのが正しい。


 朝は四時起床。祈りを捧げ、負傷した騎士の治癒。昼は結界の維持作業。夕方は貴族たちの些細な体調不良の治療。夜は魔物討伐に同行し、深夜に帰還。そしてまた四時間後には起床。


 休日? そんなものはない。

 

 食事? 立ったまま口に運ぶのがやっと。


 感謝? 「聖女なんだから当然でしょう」という顔ばかり。


「(もう……疲れた)」


 使者が去った後、私は小さな聖女の部屋を見渡した。質素なベッド、祈りの祭壇、そして山のような治療記録。この五年間、私はここで何をしていたんだろう。


 いや、分かっている。都合よく使われていただけだ。


「(でも、もういい。これで自由になれる)」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌朝、私は最小限の荷物を持って王城を出た。見送りに来たのは、新しい聖女アリシアだけだった。


「セラフィナ様……申し訳ございません」


 十八歳の彼女は、涙目でそう言った。きっと善良な子なのだろう。でも、それは私には関係ない。


「気にしないで。あなたは頑張って」


 それだけ告げて、私は王城の門をくぐった。振り返らなかった。振り返る理由がなかった。


「(これから、どうしよう)」


 行く当てはない。でも、不思議と不安はなかった。むしろ、胸が軽い。


 とりあえず、国境を越えよう。隣国ノルトヴァルトなら、エルデリアの影響は及ばない。そこで、普通の治癒師として暮らせばいい。


「(普通の……生活)」


 その言葉が、こんなにも甘く響くなんて。


 私は歩き続けた。王都から国境まで、徒歩で三日。魔法で移動することもできたが、もう魔力を無駄遣いしたくなかった。


 一日目の夜、宿屋に泊まった。久しぶりに、誰にも起こされずに眠れる。それだけで涙が出そうになった。


 二日目、森を抜ける道を選んだ。人目を避けたかった。「元聖女」と知られたら、また面倒なことになる。


 そして三日目の夕方――。


「グルルル……」


 低い唸り声が背後から聞こえた。振り返ると、巨大な魔物が木々の間から姿を現した。


「(まずい……)」


 普段なら一瞬で倒せる相手だ。でも今の私には、ほとんど魔力が残っていない。五年間、休みなく魔法を使い続けた結果だ。


 魔物が飛びかかってくる。私は咄嗟に防御魔法を展開したが――弱い。衝撃で地面に叩きつけられ、視界が揺れた。


「(ここで……終わるの?)」


 いや、それは嫌だ。やっと自由になれたのに。


 魔物が再び襲いかかろうとしたその時――。


「そこまでだ」


 低く、凛とした男性の声。次の瞬間、黒い影が魔物に斬りかかり、一撃で仕留めた。


「大丈夫ですか?」


 男性が私に手を差し伸べた。黒髪、灰色の瞳。精悍な顔立ちに、どこか優しさを感じる。


「あ……ありがとう、ございます」


 その言葉を口にした途端、不思議と涙が溢れてきた。


「(なんで……泣いてるんだろう)」


 きっと、誰かに「大丈夫ですか?」と心配されたのが、久しぶりすぎたからだ。


「怪我をしている。動けますか?」


「は、はい……」


 立ち上がろうとしたが、足に力が入らない。魔力切れと疲労が一気に襲ってきた。


「無理はしないでください」


 男性は私を抱き上げた。


「え……」


「私の領地が近い。そこで手当てをしましょう」


 優しい声だった。温かかった。


「(この人は……誰?)」


 意識が遠のいていく中、私は彼の腕の中で眠りに落ちた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 目を覚ますと、見知らぬ部屋だった。柔らかいベッド、清潔なシーツ、窓から差し込む優しい朝日。


「(ここは……?)」


「目が覚めましたか」


 扉が開き、昨日の男性が入ってきた。


「あ……あの、ありがとうございました。助けていただいて」


「いえ。私はルーカス・ヴァルトハイム。ノルトヴァルトのこの辺境領を治めています」


 辺境領主。なるほど、だからあの強さと落ち着きがあるのか。


「私はセラフィナと申します」


 姓は言わなかった。アルスト家は、エルデリアではそれなりに知られた聖女の一族だ。


「セラフィナさん。あなたは……魔力が著しく消耗していました。長期間、無理をされていたようですね」


「……はい」


 彼の観察眼の鋭さに、少し驚いた。


「事情は聞きません。でも、しばらくここで休んでいってください。急いで旅を続ける理由があるなら別ですが」


「いえ……特には」


「では、決まりです」


 ルーカスは微笑んだ。それは、命令でも強制でもなく、ただの優しさだった。


「(この人は……本当に、ただ私を助けたいだけなの?)」


 疑ってしまう自分が悲しい。でも、五年間で学んだ。人は、見返りなしに他人を助けたりしない。


「あの……お礼は必ずします。治癒魔法なら使えますので――」


「不要です」


 ルーカスはきっぱりと言った。


「あなたには、休んでいただきたい。それだけです」


「……」


「食事を持ってきます。ゆっくり休んでください」


 そう言って、彼は部屋を出ていった。


 一人になった私は、ベッドに横たわった。柔らかい。暖かい。そして――誰も、私に何かを要求してこない。


「(これが……普通の生活?)」


 涙が止まらなかった。でも、それは悲しみの涙ではなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 数日が過ぎた。私はルーカスの館で、本当に何もせずに過ごしていた。


 朝は好きな時間に起きる。食事は三食、しっかりと。誰も夜中に叩き起こしたりしない。


「(天国……)」


 こんな当たり前のことが、私には新鮮だった。


 ルーカスは忙しそうで、日中はほとんど領地の仕事をしている。でも夕食の時だけは、必ず一緒に食べてくれた。


「調子はどうですか?」


「はい、とても良いです。魔力も、かなり回復しました」


「それは良かった」


 彼は本当に、それだけで満足そうだった。


「あの……ルーカス様」


「ルーカスで構いません」


「では……ルーカスさん。私、いつまでもここにいるわけには」


「なぜですか?」


 彼は不思議そうに聞き返した。


「だって……お世話になるばかりで」


「私が望んでいることです」


「でも――」


「セラフィナさん」


 ルーカスは真剣な目で私を見た。


「あなたは、誰かのために自分を削ることに慣れすぎている。でも、それは間違っています」


「……」


「あなたには、あなた自身のために生きる権利がある。休む権利がある。幸せになる権利がある」


 その言葉が、胸に突き刺さった。


「私は……そんな権利、ないと思ってました」


「なぜですか?」


「だって、聖女だから。みんなのために尽くすのが、当然だと」


「それは誰が決めたんですか?」


「……国が」


「国が間違っていたら?」


 ルーカスの言葉に、私ははっとした。


「(そうだ……国が、間違っていたんだ)」


 私は利用されていた。都合よく、消耗品のように。


「ルーカスさんは……なぜ、そんなに優しいんですか?」


「優しい? そんなつもりはありません」


 彼は少し笑った。


「ただ、あなたを見ていると、昔の自分を思い出すんです」


「昔の……?」


「私も、辺境領主として国の都合のいい駒でした。危険な任務ばかり押し付けられて、感謝もされない。でもある時、気づいたんです。自分の人生は、自分で決めていいんだと」


「……」


「だから、あなたにも同じことを伝えたい。ここにいたいなら、いてください。去りたいなら、止めません。でも、どちらを選ぶにしても、それはあなた自身の意思で決めてほしい」


 彼の言葉は、温かかった。


「私……ここに、いてもいいですか?」


「もちろんです」


 ルーカスは微笑んだ。


「では、正式に。セラフィナさん、この領地の専属治癒師として、あなたを雇いたい。給料も出しますし、休日もあります。無理な仕事は一切させません」


「それは……」


「もちろん、断っても構いません。でも、私としては――あなたに、ここにいてほしい」


 その言葉に、私の心は決まった。


「はい。お願いします」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから一ヶ月が過ぎた。


 私は本当に、辺境領の治癒師として働いていた。でも「働く」というより「楽しんでいる」という方が正しい。


 領民は皆、優しかった。「セラフィナさん」と親しみを込めて呼んでくれる。子供たちは、私に花を摘んできてくれる。


「セラフィナさん、これあげる!」


「ありがとう」


 こんな些細なことが、嬉しい。


 仕事も、過酷ではない。一日に数人の治療をするだけ。しかも、皆が「ありがとう」と言ってくれる。


「(これが……普通の仕事なんだ)」


 そして何より、ルーカスがいつも気にかけてくれる。


「無理していませんか?」


「疲れたら、すぐに休んでください」


「今日の夕食は、あなたの好きな料理を用意させました」


 彼の優しさは、計算ではない。本当に、私のことを心配してくれている。


「(この人は……本当に、いい人だ)」


 そう思うと同時に、少しずつ、胸が温かくなっていくのを感じた。


 ある日、私は領地の結界を見て回っていた。治癒師としての仕事以外に、結界の維持も手伝っている。これは私から申し出たことだ。


「(この領地を……守りたい)」


 エルデリアでは、義務だった。でもここでは、自分の意思だ。


 結界を強化しながら、ふと思った。


「(エルデリアの結界は……今、どうなってるんだろう)」


 あの国の結界は、私が一人で維持していた。新しい聖女アリシアに、それができるとは思えない。


「(でも……もう、私には関係ない)」


 そう思った時――。


「セラフィナ様!」


 息を切らした使者が、館に駆け込んできた。エルデリアの紋章を身につけている。


「あなたは……」


「セラフィナ様、どうかお戻りください! 国が、国が大変なことに!」


 使者は必死だった。


「結界が崩壊寸前なんです! 魔物が次々と侵入してきて、アリシア様では対処しきれません! どうか、お力を!」


「……」


 予想通りだった。いや、予想以上に早く崩壊したのかもしれない。


「お願いします! 国民が苦しんでいます!」


「それは……お気の毒ですね」


 私は冷静に答えた。


「でも、私はもうエルデリアの聖女ではありません」


「で、ですが!」


「宰相ギルバートは、私を『用済み』と言いました。護衛もつけず、感謝の言葉もなく、追放しました」


「それは……」


「今更、都合よく戻れと言われても、困ります」


 使者は絶句した。


 その時、ルーカスが部屋に入ってきた。


「セラフィナさん、大丈夫ですか?」


「はい。大丈夫です」


 私はルーカスに微笑んだ。


「この方は、もうお帰りになるところです」


「セラフィナ様!」


「申し訳ございませんが、私の答えは変わりません。アリシア様を信じて、頑張ってください」


 使者は、諦めたように去っていった。


 部屋に二人きりになると、ルーカスが優しく聞いた。


「後悔は?」


「ありません」


 それは本心だった。


「あの国は、私を人として扱ってくれませんでした。でもここは違う。ルーカスさんも、領民の皆さんも、私を『セラフィナ』として見てくれる」


「……」


「だから、私はここにいます。ここが、私の居場所です」


 ルーカスは、少しの間黙っていた。そして――。


「セラフィナさん」


「はい?」


「私は……あなたを守りたい」


 その言葉に、心臓が跳ねた。


「あなたが笑っているのを見ると、嬉しい。あなたが幸せそうにしているのを見ると、安心する」


「ルーカスさん……」


「これは……恋、なのでしょうか」


 彼は不器用に、でも真剣に言った。


「私は、あなたにここにいてほしい。専属治癒師としてではなく……私の、妻として」


「え……」


「突然で、驚かせてしまいましたか。でも、これが私の本心です」


 私は、言葉が出なかった。


「(私を……妻に?)」


 それは、考えたこともなかった未来だった。


「返事は急ぎません。ゆっくり考えて――」


「はい」


 私は、自分の口から出た言葉に驚いた。


「はい?」


「はい……私も、ここにいたいです。ルーカスさんと、一緒に」


 涙が溢れてきた。でも、それは喜びの涙だった。


「本当に?」


「はい。私……ルーカスさんが好きです」


 その瞬間、ルーカスは私を抱きしめた。


「ありがとう。大切にします。一生、守ります」


「私も……ルーカスさんを、大切にします」


 彼の腕の中で、私は初めて思った。


「(ああ……これが、幸せなんだ)」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 それから数ヶ月後。


 私はルーカス・ヴァルトハイムの妻として、辺境領で暮らしている。


 毎朝、彼と一緒に朝食を取る。領民の治療をし、子供たちと遊ぶ。夕方には領地の結界を見回り、夜はルーカスと夕食を共にする。


 何気ない、でもかけがえのない日々。


「セラフィナ、今日も綺麗だ」


 朝、ルーカスがそう言って額にキスをしてくれる。


「もう、恥ずかしいです」


「本当のことを言っているだけです」


 彼は、本当に私を大切にしてくれる。溺愛、と言ってもいいくらいに。


「今日は早く帰ってきますから、一緒に散歩しましょう」


「はい、楽しみにしています」


 エルデリア王国がどうなったか、時々噂を聞く。結局、新しい結界術師を雇ったらしい。でも、もう私には関係ない。


 アリシアは頑張っているそうだ。彼女なりに、国を支えようとしている。それでいい。


 私の人生は、もうあの国にはない。


 ここに、ルーカスと共にある。


「セラフィナ様! お花摘んできました!」


 子供たちが駆け寄ってくる。


「ありがとう。綺麗ね」


「セラフィナ様、大好き!」


「私も大好きよ」


 こんな些細なやり取りが、愛おしい。


 夕方、ルーカスが早めに帰ってきた。


「待たせました」


「いえ、私もちょうど終わったところです」


 二人で領地を散歩する。夕日が、美しい。


「幸せですか?」


 ルーカスが聞いた。


「はい。とても」


「それなら良かった」


 彼は私の手を握った。


「私も、幸せです。あなたがいてくれるから」


「ルーカスさん……」


「これからも、ずっと一緒にいましょう」


「はい」


 私たちは、ゆっくりと歩いた。


 かつて、私は「聖女」として、誰かのために生きていた。でも今は違う。


 私は「セラフィナ」として、自分のために、そして愛する人のために生きている。


 それが、どれほど幸せなことか。


「(私は、やっと本当の意味で『生きる』ことを知った)」


 夕日の中、ルーカスと手を繋いで歩きながら、私は心から思った。


 これが、私の選んだ人生。


 これが、私の幸せ。


 そして――これからも、ずっと続いていく、私たちの物語。

読んでいただき、ありがとうございます。


よければブックマーク・評価・いいねなどしていただけるととても嬉しく思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ