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ギブとヤゴ

作者: 黄色時計

2024 1/1〜1/29で完成させた

 町にたたずむ中古店には、ほとんど人がいない。数名の店員だけが、幽霊のように徘徊していた。

 評判が悪い中古店に一人の青年が来店してきた。名前はギブ。茶髪で、そばかすがある顔には生気がある。ギブは暇つぶしで中古店に来たのだ。掘り出し物がないかと、店内を模索する。

 少しでも物音をたてれば、全体に響きそうなほど静かだ。たくさんの棚が柱のように並べられている。品物が種類別に別れている。ギブはあまりの静けさに身震いした。気分を紛らわせるため、服やリュックサック、おもちゃも見る。いいものがないとわかると、すぐに別のコーナーへと移動する。店の中をどれだけ歩いても人に会わない。

 やがて、キャンプ用品が置かれている場所に来た。ナイフを見るためだ。飾られているナイフを舐め回すように見た。特にいいものはない。どれもギブにとっては高かった。別のコーナーへ行こうとしたとき、あるものを見つけた。ギブは不意をつかれたように立ち止まった。視線の先には段ボール箱がある。「処分セール」とかかれた紙が貼ってあった。中には古びた鍋やライターが入れられている。ほとんどごみのようなものだ。ゴミの山の中には、小さな紙袋が一つあった。ギブはそっとそれを手に取った。紙袋には、「折りたたみ式サバイバルナイフ」とかかれたシールが貼ってあった。

 ギブはサバイバルナイフに憧れていた。テレビでそれを見たことがある。かっこいいという理由で最近ほしいと思っていたのだ。処分セールということで値段も格段に安くなっていた。持ってきたお金であれば余裕で足りる。ギブは喜びのあまり無意識に笑みを浮かべた。待ち切れないと言わんばかりに小走りでレジに向かった。

「これください」

目を輝かせて、レジに置いた。店員は目の前に置かれたものを、少しの間を見て考えていた。そして申し訳無さそうに、ギブを見る。店員は、とても古いもので使えないかもしれないけどいいか、と聞いてきた。今すぐナイフがほしかったギブにとって、そんな情報はどうでもよかった。

 お金を払うと急いで、外に出た。中古店には人が全くいなかったが、外には道を歩く人がちらほらいた。ギブは自分の家に向かい始めた。家は森の中にあり、その家の住人以外誰も場所を知らない。

 森の小道を走る。木々の間には獣の一匹もいない。静かな道を進むと家が見えた。赤い屋根がある二階建ての小さな家だ。正面以外の三方を白い柵で囲われている。庭には畑がある。野菜はもうすぐで収穫できそうなほどに育っている。ギブはドアを開けた。鍵はかかっていなかった。玄関のドアを開けると、小さな家の外観からは想像もつかないほど長い廊下が目に入る。奥に小さくリビングのドアが見える。右には物置のドア、その隣に二階へ行くための階段。

 ギブはドアを静かに閉めた。廊下は薄暗い。壁は紫色で、絵本の中のようだ。さまざまな絵が飾られていた。中世に描かれたような絵画やごく普通の風景画まで、いろいろな種類がある。ギブは落ち着きがない様子で廊下を歩いた。そして突き当りのドアの前まで来る。そのドアを勢いよく開けた。

「ただいま」

意気揚々としながらリビングに入る。窓がない空間だが、リビングは明るく、壁は白色だった。廊下とは違って清々しい雰囲気だ。リビングにはテレビやワイン色のソファがある。リビングからキッチンの様子がよく見える。キッチンには、一般の家庭と同じく、四人用のテーブル、冷蔵庫、そして食器棚がある。太陽光がないからほんの少し薄暗い。

 テーブルには男が座っていた。足を組んでいつものようにコーヒーを飲んでいる。年齢はギブと変わらないように見える。耳の下まである黒髪で、口元にかかるほど長い前髪は七三で緩やかにわけていた。目の下には寝不足を象徴するくまがある。ギブは小走りで男のそばへ向かった。男はギブが帰ってきたことに驚いているようだ。少しばかり目を大きくしてギブを見た。ギブは男が持っているコーヒーカップをちらっと見た。

「ヤゴ、またコーヒー飲んでるの。コーヒーのせいか分かんないけど最近おなか痛くなってるし、ちょっとはやめたら?」

「おまえには関係ない」

はきはきと話すギブに対し、ヤゴと呼ばれた男は、ぼそっと突き放すように言った。だがコーヒーカップを置いた。ヤゴはギブと同じ家で暮らす友人だ。

「なんでそんなに嬉しそうなんだ」

「そう見える?実はね、ついにサバイバルナイフを手に入れたんだ!」

ギブはくしゃくしゃになった紙袋を目の前に出す。ヤゴは興味なさげに見る。そして視線をあげた。

「良かったね」

冷淡に褒めると、テーブルにあった新聞を手にとり読み始めた。そんな態度はお構いなく、ギブは話し続ける。

「僕ずっとこういうのが欲しかったんだ。サバイバルナイフってかっこいいだろ? めったに売っているところを見かけないんだけど、ついに見つけたんだ。折りたたみ式で使い勝手よさそうなのに通常の値段の五分の一以下で売られてたんだよ。信じられる? 僕はすごい運の持ち主だと思わない?」

機関銃のように次から次へとギブは語り続ける。ヤゴはうんざりしたように冷たい視線をギブに向けた。

「そんなにほしかったんなら今すぐそのサバイバルとやらで遊べばいいじゃないか」

「わ、それは名案だね」

ギブは待ち切れないという顔で紙袋の中からサバイバルナイフを取り出した。ギブは一瞬表情が硬まった。外に出たナイフは柄の部分は傷んでいて、ぼろぼろだ。折りたたみ式だから刃はまだ見えない。

「まあ、肝心なのは刃の方だから」

ギブはとりあえず前向きな考えを口に出す。ナイフを引き出そうとした。ナイフの刃が思うように動かない。爪を使っても、コインを使っても動かない。人の力だけでは無理なことを悟ったギブは、キッチンに行った。棚に収納されていたペンチを取り出す。そしてヤゴのもとに戻ってきた。ペンチで刃をはさみ、強引に抜き出した。

 赤茶色の粉が飛んだ。鉄の匂いを強烈に出しながら、ナイフの刀身は現れた。それを見たギブの表情はとたんに輝きを失った。ナイフは上から下まで錆びている。到底使えそうにない。指に刃を押し当ててみるが、切れ味は全くなさそうだ。

「わあ、これはすごいや……」

 ギブは覇気のない声でつぶやいた。ふと店員が言ったことを思い出した。古いとは言っていたが、まさかここまでひどいとは誰も思わないだろう。見てわかるほど肩を落とす。ヤゴはひどい状態のナイフを見て、顔にだんだん笑顔が広がる。ヤゴが笑顔になるのは珍しいことだった。しかしヤゴの笑顔は意地の悪い笑顔だった。

「それがギブがほしかったサバイバルナイフ? たしかに、おまえは幸運の持ち主だね」

ヤゴは声を隠さず出して笑った。ギブはそんなヤゴを見て顔を赤くした。

「僕が修理するからいいさ。ちょっと手間がかかりそうだけどね」

不機嫌になりながらギブは口ごもった。ヤゴはすでに笑いが収まったようで、口の端をかすかに上げながら言い返す。

「そんなにぼろぼろならほとんど無理だと思うけど」

ギブはヤゴの煽りを耳に入れまいとした。何かを言い返す代わりに、キッチンに行き砥石を手に取る。ヤゴがいつも斧の手入れに使っているものだ。

「ヤゴの砥石、借りるよ」

「たぶんそれ使っても直せないぞ」

「絶対いけるから」

ギブはそう言ったが、実はそれほど自信はない。そのまま走るように二階の部屋に向かった。

 ギブの部屋には完全に閉めきった窓があった。深緑色のカーテンは開けられていて、部屋の中に太陽の光が入っている。クローゼット、緑色のベッド、小さな机だけが置かれている。床はところどころに赤黒いしみがある。目や鼻の粘膜にくるような刺激臭で満たされていた。部屋の主はな匂いに対して嫌がるそぶりを見せない。とっくに慣れてしまった。ギブは机に座った。机の上には、ホルマリン漬けされている一つの生首が飾られていた。刺激臭はその不気味な瓶から来ているのだ。生首は紛れもなく本物だ。肌は青白く、目は半開きになっている。瓶には「ロイ」とかかれた紙が貼ってある。

「ただいま。今日は念願のサバイバルナイフを買ったんだ。折りたたみ式だけどね。でも安かったからめちゃくちゃ錆びててさ、ヤゴに笑われちゃったよ」

ヤゴに笑われたナイフを掲げて楽しそうに話すギブだが、「ロイ」は何も答えなかった。

「ロイはこれを見てどう?やっぱりこんなのでもすてきだと思う?君はいつも褒めてくれていたからね」

一方的な会話がしばらく続いた。

「じゃ、そろそろこれでナイフをきれいにするよ」

ギブは瓶に、砥石を見せた。机の上にトレーと砥石を用意し、トレーに砥石を載せた。

「絶対きれいにするから」

まず、ナイフの刃についている錆びをペンを使ってできる限り削ぎ落とす。大きなものは取れたが、まだ全体に錆びは残っている。

「錆びはたしかクエン酸と水で落とせたよね」

ギブは水を得るため、一階のキッチンへと向かった。今はヤゴに会って話すことが面倒だったが、話す心配はいらなかった。リビングには誰もいない。

「あれっ、どっか行ったのかな」

独り言でとぼけるが、とくに気にしてはいない。ヤゴがいないのをいいことに、キッチンで錆びを落とそうと考えた。部屋からクエン酸、砥石、サバイバルナイフを持ってくる。ヤゴがやっていることの見様見真似で砥石を濡らしておく。そして水にクエン酸を混ぜ、そこにタオルを漬ける。クエン酸まみれのタオルでナイフ全体を磨いた。タオルでこすられた錆びはほとんどが落ちた。銀色の刃が見える。

「よしよし、いい調子だ」

ギブは一人で満足気に頷いた。刃が磨かれても、切れ味が良くなければ意味がない。

 ギブは刃を研ぐため、部屋に帰った。部屋のほうが集中できるからだ。水につけた砥石でナイフを研ぎ始めた。灰色の水が出てくる。鉄の匂いが周りを充満し始めた。ギブは一心不乱でナイフを研ぎ続けた。



 太陽が沈み、空は暗い青や紫に染まっている。町はもう夜だった。道路の両脇に立つ建物は点々と立つ街頭に照らされていた。光は隅々まで行き渡ることはなく、足元が見えにくい。左右にたくさんの店があるが、ほとんどが閉店し、歩く人はいない。

 ヤゴは森を出て、町の商店街を歩いていた。コーヒーがきれたから町まで買いに来ていたのだ。

 手には紙袋をぶら下げている。中にはペットボトルコーヒー六本と、肉が入っていた。肉は安くなっていたからついでに買った。今は目的を終えたので、家に向かっている。

 いつも家へ帰るときは近道として、建物と建物の間のわずかな隙間を通っている。外に人の気配はしないが、一応右左を確認する。そして隙間へと入った。光は全く入らないため、視界は真っ黒になる。建物にはパイプがたくさん絡まり、一人しか通れないほど狭い。少しでも余計な動きをすれば、パイプにぶつかってしまう。しかしヤゴは手慣れた様子でスムーズに移動する。

 一回もパイプに突っかからなかった。ヤゴは服が少し汚れてしまった状態で外に出た。住宅地だった。畑が多いため、家と家の間隔は広い。奥には暗い雰囲気をまとった森が見える。ここまでくれば家まであと少し。ヤゴは服の汚れをはたいて、歩こうとしたときだった。

「……」

 左奥に男がいる。背がとても高く、長いコートを着ている。暗くて顔はよく見えない。だが、ヤゴを見ていることぐらいは分かる。その男はこちらに向かって歩いてくる。ヤゴは顔をしかめた。警察ならかなりめんどくさい。男は両手にそれぞれ何かを持っていた。それは近づくにつれて分かった。

 人間とバールだった。バールには赤黒いものがべっとりとついている。人間は動かない。顔が半分に割れていて女性なのか男性なのか区別がつかない。男が死体をバールで殴ったようだ。ヤゴは新聞に大きく載っていた記事を思い出した。その記事は、町で連続殺人事件が起こっているという内容だった。

 ヤゴは男が来る様子を眺めていた。男は少し離れた位置でとまった。ヤゴは怖気づくことはなく会釈した。男は笑っている。しばらくお互いを見つめていたが、ついに男から口を開いた。

「こんばんは」

夜のあいさつだが、ヤゴは表情一つ変えず、答えない。重圧な空気が流れる。

「名前は?」

「ヤゴ。先に名乗ってから名前は聞くものだろ」

ヤゴは殺人鬼を前に文句を言った。男は笑った表情を変えない。持っていた死体を見せつけるように持ち上げた。

「おめえもすぐこうなるんだ」

そう言うと、死体を地面に放り投げる。そしてバールを構えて突進してきた。無防備な状態のヤゴはきびすを返して走り出した。寝不足なヤゴにしては速い。しかし、男のほうが速さは上だった。

 ヤゴと男の差はどんどん近づいていく。ついに男がヤゴの服をつかんだ。男はそのまま後ろへ引っ張った。ヤゴはバランスを崩す。背中から地面に倒れた。

 男はにやけた顔でヤゴを見下ろす。そしてヤゴの顔にめがけてバールを振り下ろた。ヤゴは倒れた衝撃で、呆けた顔をしていたが、われに返るとすぐ横に転がりバールを避けた。バールは地面に叩きつけられる。地面の小さな石が弾け飛んだ。

 ヤゴは寝転んだ状態で腕を伸ばし、バールを力ずくで奪った。そして先端で男の腹を思いっきり突く。太いうめき声を上げながら、男は後ろに倒れた。ヤゴはすぐ立ち上がる。バールで男の顔を狙った。頭をかち割ろうとしたが、寸前で止めた。ここで殺したら、町の人に恐怖を与えてしまうかもしれない。一点を見つめて考えたあと、男の左足のすねを勢いよくバールで殴った。足を損傷させて、追いかけられないようにするためだ。

「がっ!」

男は顔を歪ませる。ヤゴは目の前に苦しんでいる人がいても、抵抗を顔に表さない。内側からは小さな怒りを感じさせた。容赦なく何度も何度もすねを叩きつける。枝が折れるような音がする。ヤゴの手に大きな振動が伝わってきた。男のズボンに血が滲む。すねは真ん中で、関節があるかのように曲がっている。男は汗だらけで浅い呼吸をしている。ヤゴはその様子をしばらく見たあと、バールを男の腹に投げ捨てた。

「おめえ、絶対に、後悔、させてやる」

息も絶え絶えになりながら男は、ヤゴに布告をした。顔には強烈な殺意が出ていた。ヤゴは、下でがやがやと騒ぐ男を見てから、周りを確認した。誰もいない。家の中にいる人は、二人の存在にまだ気づいていないようだった。ヤゴはかがむと、男の耳元で囁いた。

「静かにしろ。面倒なことは起こしたくない」

「面倒? ははあ、さてはおめえも、警察を気にしてるな。今はおめえが、加害者で、俺が、被害者、だもんな」

男は最後の方は息が切れながら、言った。そして力を振り絞るかのように大声を出して笑った。ヤゴは目をほんの少し細めた。

「静かにって言ってるいるだろ」

そう言うと、ヤゴは男の横腹を足で蹴った。力が強かったのか、男は雷に打たれたようにびくっとはねた。

 道路で転がっている男をよそに、紙袋を持って、男に殺されたであろう死体へと向かった。暗くても、顔がざくろのように割れてしまっていることがよく分かる。服装からして、女性のようだ。ヤゴは死体を抱えると、道端に生えている木の下にゆっくりと置いた。死体は、顔さえ見なければ昼寝をしているように見えた。誰かに見られないうちに、急いで家に戻る。夜の森は暗いが、ヤゴには関係ない。家がすぐに見えた。中に入ると急いで鍵を締めた。ヤゴは廊下で息を整え、落ち着いた様子でリビングに入る。誰もいない。大きなため息をついた。

 崩れ落ちるようにソファに座り込むと、テレビをつけた。



 ヤゴが家に帰ってきてから数十分後。廊下のほうからドタドタと音が近づいてきた。音は最大まで大きくなると、リビングのドアが強く開かれた。ギブが自慢げな表情で入ってきた。ヤゴはソファに座って、面白くなさそうな顔でテレビを見ていた。ギブは笑みを浮かべて話しかけた。

「夕方どこに行ってたの?僕が何時間前かにリビングに行ったときには誰もいなかったよ」

「町まで買い物してた」

「そうなんだ。そんなことより、どう?これ。頑張って磨いたんだ」

ヤゴはゆっくり振り向く。目の向きをギブの顔から手に落とした。液体でふやけた手の上に、錆が一つもないサバイバルナイフがあった。刃が宝石のように輝いている。ギブは期待に満ち溢れた顔でヤゴを見る。

「これがさっき見せてきたやつ? すごいじゃん」

ヤゴは淡々と言うとまた顔をテレビに向けた。ほとんど褒められなかったどころか興味すら持たれなかったが、ギブは嬉しがった。ナイフを引き出し、刃の部分を指でなぞる。皮膚が切れ、鮮血が細く流れる。ギブは痛がる素振りを見せない。切れ味も良くなったことをヤゴに自慢したが、ヤゴは無反応だ。

「ねえ、家ににんじんがあるよね。あれを切ってみてもいい?」

破顔一笑で鋭いナイフの刃を振り回しながらヤゴに聞いた。聞かれた側は考え込むように動かなかったが、やがて首を小さく縦に振った。

「一つだけなら」

その言葉が発せられた途端、ギブは駆け足で冷蔵庫に向かった。中からにんじんを取り出すと、まな板にのせる。おさえられない好奇心が身体に滲み出るように、動きが落ち着かない。恐る恐るにんじんにナイフを入れてみる。まるでバターを切るように、スッと切れてしまった。しばらく真顔で固まっていたが、徐々に笑みが浮かんできた。輪切りやみじん切りにも切ってみる。力を入れずともあっさり切れ目が入った。ギブは目を輝かせた。

「僕が研いだナイフすごいよ!なんでも切れるよきっと!」

キッチンから喜びの声を上げた。リビングからはテレビの音だけがかえってくる。

 ギブは切ったにんじんをすべて口に入れて、切った指に包帯を巻く。ケバブのようになった指のままリビングに行く。まだヤゴはテレビを凝視していた。ギブは今にも寝てしまいそうな男の隣に座った。

 テレビにはドラマが映っている。ギブはしばらくカップルらしき男女の会話を眺めていた。恋愛ドラマらしかった。ギブは恋愛ドラマがそれほど好きではない。大あくびをした。ふと隣に目をやる。ヤゴは楽しくなさそうにテレビを見ていた。

「ヤゴ、こんなの見て面白いの?つまらなそうに見てるけど」

「別にいいんだろ、今日は疲れた」

ヤゴはぽつりと言った。またテレビに集中し始めた。ギブは疑うように眉を曲げた。

「町でなにかあったの? たかが買い物で疲れるなんて、珍しいじゃん」

茶化すようにギブが笑う。ヤゴは下を見て何かを考えた。口を開きかけたが、すぐに閉じた。

「特に」

そう言うと、ヤゴはテレビを消した。テレビは真っ黒な画面に変わり、ソファに座った二人の青年を映している。ヤゴは洗い物をするため、キッチンに行った。ギブは暇でしょうがなかった。ふと、テレビの上の時計に目をやると、もう寝る時間だった。

「じゃあヤゴ、僕はもう寝るよ。おやすみ」

ギブは立ち上がった。ヤゴは何も言わなかった。だが、ギブは気にしなかった。あいさつの返しがないことはいつものことだからだ。長い廊下を歩き、床をきしませながら階段を上る。その時、呼び鈴の音が一階からした。玄関に誰かが来たようだった。玄関は階段のすぐ横にある。けれど、ギブは出るのがめんどくさかった。今日はもう寝たい。そんな思いでいっぱいだ。ヤゴが出てくれないかとしばらく玄関を見張るが、リビングからは誰も来なかった。

 なかなか家の主が出ないことに苛立っているのか、客は何回もチャイムを押している。ギブは嫌そうに口を曲げると、玄関に向かった。ドアを開けると、黒のコートを着た男がいた。背がとても高く、ギブの視界には男の手元しか映らない。ギブは顔をあげた。

 ほりの深い顔に無精髭をはやした顔がギブを見下ろしていた。目にはみじんも光がない。周りが薄暗いこともあり、その顔はまるで幽霊のようだった。

「だれ? もう僕は寝るんだけど」

ギブはためらわずに言った。男は何もしゃべらず、ただ目の前の青年を見つめるだけだ。

「僕はギブ、君の名前は?」

「……チャールズ」

男はかすかに唇を動かして名乗った。野太い声だ。チャールズはヤゴに用があるのだと言った。

「そっか、それならしょうがない。用があるなら家にあがってよ。ヤゴはリビングにいるから」

ギブは笑みを浮かべながら手招きして、チャールズを家の中に入れた。チャールズは何かを擦る音を立てながら、歩き始めた。ギブは彼の左足が不自由で、左足を引きずりながら歩いていることを見抜いた。だからチャールズが追いつくように、前を向いてゆっくり歩く。

 チャールズは自分が相手の視界に入っていないことを確かめるために、手を振った。ギブは前方を見ていた。客がいるのに玄関まで来なかったなど、ヤゴの文句を言っている。チャールズの手が見えていないようだ。チャールズは口の端をつり上げると、コートの内側に手を突っ込んだ。

 そして、中からそっとバールを取り出す。ギブはヤゴの文句はもうやめて黙っているが、まだ気づかない。

 チャールズはバールを頭上にあげる。闇を抱えた目だけが前で揺れている小さな頭に固定されている。猿が石で木の実を割るように、チャールズはギブに狙いを定めて勢いよくバールを振り下ろした。

 バールはひゅっと音を立てて、ギブの左肩にすれすれを通った。チャールズは一瞬何が起こったのかわからず、停止した。彼が的を外したのではない。ギブがバールに気づき、避けたのだ。

「なんで僕のことを殴ろうとするのさ、バールを人に向けたらだめだよ。打ちどころが悪かったら人間はだいたい死ぬんだからね」

ギブは眉をひそめながら、注意をした。チャールズは顔をしかめて舌打ちをした。

「なんで舌打ち?」

「俺の用事のためにもおめえには長く眠ってもらわなけりゃならねえ」

「それってつまり死ーー」

ギブが言い終わらないうちに、チャールズは怒涛のごとくバールをギブに振った。またもやギブは横によけた。バールを一文字に切る。ギブは飛んで後ろに下がって回避する。

 チャールズは自分よりも遥かに小さな男を殺すのに苦戦している。何度も何度も避けられるうちにだんだん苛立ってきた。チャールズは額に汗を浮かべているのに、ギブは汗一つかかず余裕の表情を浮かべている。なんだか楽しそうだった。

 突然ギブはサバイバルナイフを取りだした。ナイフで横からきたバールを止める。鉄と鉄がぶつかり、高音が鳴る。

「すごいでしょ、僕のナイフ。今日頑張って磨いたんだ」

ナイフの自慢をした。チャールズは自慢に反応せず、バールでナイフを飛ばした。ギブの手から飛ばされたナイフはくるくる回って、床に激突した。

「ナイフが……」

ギブは悲しげに口を曲げる。チャールズはチャンスとばかりに、バールを振るうが結局避けられた。

 ついに、ギブは壁際へ追いやられた。もう後ろへは逃げられない。チャールズはほくそ笑んだ。ギブもなぜか笑みを浮かべている。

「もうおめえは終いだ」

チャールズはそう言うと、がむしゃらにバールをギブの脇腹に向けて横に振った。これで衝撃を与え倒れたところで頭をかち割る。それがチャールズの目論見だった。

 しかし、ギブはバールが来ると同時に低くしゃがみこんだ。

 バールは壁にかけてあった絵にあたった。銃が発砲されたような轟音がなった。絵が壁から離れて遠くに飛んだ。絵とともに木の破片も床に落ちた。飛ばされたキャンパスには、もともと野原の絵が描かれてあった。今では横がえぐれてしまっているため、隕石が落ちた野原のようになってしまっている。

 チャールズは予想外のことにぼうぜんとしている。ギブは座りながらその絵を見た。そして突如叫んだ。

「ヤゴー!君のだいじなだいじな絵がお客さんに壊されたよ!」

一息で言い終わるとニヤリと笑った。それから遥か上にあるチャールズの顔を見上げる。

「寝る前の運動をさせてくれてありがとう。一緒に遊んだし、もう君と僕は友達だね。友達だから教えるけど、あの絵はヤゴの物だ。最後にもう一つ。ヤゴはね、絵が大好きなんだ。自分の絵が傷つけられると、もう殺意がすごくてね。どんくらいすごいかっていうとね」

 カツッとリビングの方からかすかに音が聞こえた。ギブは言葉をとめる。チャールズも悪者の笑みを浮かべ、音に集中する。音はどんどん近づき、やがて暗闇の中からヤゴが現れた。チャールズの笑みは薄くなった。ヤゴの左手には斧がある。無表情だが、裏には濃い怒りが渦巻いていることはたしかだった。

 目の前にいる生物はヒトの姿をしているが、チャールズにからは到底人間に見えなかった。夕方に見たときとは別人のように思える。ヤゴはしばらくチャールズを見つめていた。不意に視線を落として黒目をキョロキョロと動かした。やがて視線は一点にとまった。ヤゴの目が大きく見開く。

 ヤゴは斧で、欠けた絵を指す。

「あれはおまえがやった?」

目には殺意が恐ろしいほど溢れている。その目はチャールズを捉えた。憎悪や怨念に満たされた黒目を見て、チャールズは指先すら動かせない。

 大男の代わりに、ギブは冗談を言うように答えた。

「そうだよ、彼がやった。ついでに僕の急所も狙ってきた」

また、チャールズにも話しかけた。

「あんぐらいだよ。チャールズでもわかるだろ?殺意」

ヤゴは斧を肩にのせてじりじりと静かに歩いてくる。チャールズは後ずさりをした。

 ギブはあぐらをかいて、あくびをしながら二人の様子を眺めている。サーカスを見ている子供のようだ。一瞬、落ちたナイフを見た。今すぐ拾わなくてもいいや。そう思い、ヤゴとチャールズに視線を戻した。

 やがてヤゴはチャールズの目前まで来た。手を伸ばせばすぐ届きそうだ。背が高いチャールズを見上げている目に感情がこもっていない。

「俺やギブを殺そうとしたうえ、俺の絵まで傷つけやがった。殺す」

ヤゴは抑揚のない声で死刑宣告した。ギブは顔に疑問符を浮かべた。

「え、殺しちゃうの?そしてチャールズ、君はヤゴを殺しにきてたの?」

チャールズは言った。

「……ああ。おめえに足をやられたから、仕返しというやつだ」

そう言うと、すばやくバールをヤゴのこめかみに向けて振った。

 だが、バールがヤゴにふれることはなかった。チャールズの腕はバールごとギブの横の壁に飛んで打ちつけられた。飛び散った血はギブやヤゴの身体にもかかった。ヤゴは斧を肩からおろし、腕からぶら下げている。斧は赤黒い液体で汚れていた。瞬きをすれば見逃すほど、一瞬の出来事だった。

「あ?」

チャールズは切り離された体の一部を見た。肩からはドクドクと血が溢れている。ギブは目を見開いてあぜんとしている。チャールズは自分の身に起こったことに動揺する間もなく、首も切り落とされた。

 大男の首がころころと転がっていく中、ヤゴはじっと立っていた。命令する器官を失った体が、前に倒れた。死体の下敷きになることは避けたいヤゴは急いで横に避けた。コートが花びらのように広がり、首の断面からは、心臓の鼓動に合わせて血が吹き出していたが、すぐに勢いはとまった。

 廊下に静けさが戻った。ヤゴは鼻と口を抑えた。二人はしばらく黙っていた。やがて、ギブは伸びをしながら立ち上がった。感心した笑顔を顔に出す。

「ヤゴやっぱりすごいね。ヤゴがあんまり怒るから、チャールズ圧倒されちゃってたよ。まるでヘビに睨まれたうさぎみたいで愛着湧いちゃいそうだった」

ギブは冗談を交えたが、ヤゴは笑わなかった。無表情の顔は少し青ざめていた。

「ヤゴ、大丈夫? 気分悪そうだよ。チャールズにどっかやられちゃった?」

ギブが心配そうにヤゴの顔を覗き込む。

「いや……たぶん寝不足だ」

 ヤゴは独り言を言うかのように言った。顔色は戻っていた。ヤゴは死体を足でつつきながら、指を指した。

「これはね、町で人を殺していた殺人鬼だ。新聞にも出てたろ?俺はたまたまこいつが死体を運んでいるところを見たから、口封じとして狙われてたんだ」

その説明を聞いてギブは指を鳴らした。

「君を殺したことを隠蔽するために、僕も口封じされかけてたのか。なるほどね」

ギブはそう言いながらナイフを拾った。ナイフが傷ついていないかチェックをする。幸い、傷一つついていなかった。

 ナイフは折りたたんでポケットに閉まった。足元に落ちていた腕も拾い上げる。

「これと、頭もらっていい?ナイフの切れ味をもっと硬いもので試してみたかったんだ」

「頭は傷つけたら、さすがにかわいそうじゃないか」

「ナイフで切るのは腕だけだよ。友達であった証拠は永遠に残しておきたいから、頭はきれいに保管しないとね」

 腕はポケットに入れず、腕で抱えた。好奇心が抑えられず、顔は紅潮している。眠気はもう冷めたようだ。興奮を抑えるように、ぎこちないスキップをしてリビングに向かおうとした。

 ヤゴは端がえぐれてしまった絵を拾った。絵が死んでしまったことがよほど悲しいのか、眉を曲げる。深いため息をつき、すでに廊下の奥にいるギブを見た。

 ギブの名を呼ぶと、ギブはスキップをやめた。こちらをきょとんと見ている。ヤゴは絵をだいじそうに抱えながらギブの方へ歩き始めた。

「今日はもう寝たらどうだ。夜だしうるさくなる。腕の解体ショーは明日でもできるさ」

表情は相変わらず変わらないが、声には安堵したような柔らかさがあった。キブは少しだけ考え込んていた。判断がつくと口元に笑みを表した。

「まあ、やりたいことはお楽しみとして取っておくのもいいよね」

「そうさ」

ヤゴは同意するように首を振った。ギブは腕と頭をとりあえずリビングのテーブルに置いた。また廊下に戻ると、ヤゴは死体を足で端にどけてようとしていた。重いのか、転がっていない。ギブは、ヤゴの隣に立つ。そして軽々死体を持ち上げると端まで移動させた。

「死体ぐらい手で動かせばいいのに」

「こういうやつの死体は汚い」

ヤゴは死体を忌々しいもののように見ながら言った。死体の周りの床は毒々しい赤に染まっていた。血が水たまりのようにたまっている。液状化したルビーのようだ。鉄のきつい匂いが廊下に充満していた。ギブはまた眠気が再来し、あくびをした。ヤゴはその様子を見て言った。

「じゃあ俺ももう寝るよ」

「あれ、しばらく寝ないんじゃなかったっけ」

「それは、いざというときに緊張しないため」

二人は二階の部屋に向かった。廊下の腕なし首なし死体はほっておいた。ただ片付けるのがめんどくさいだけだ。

 二人にとっては、家の中に大きな肉塊があることよりも、睡眠のほうがよっぽど重要らしかった。

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