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プロローグ

「帝国歴一八九〇年。輝かしき帝国史においては泥を被せてでもなかったことにしたい屈辱の象徴である。一七八〇年代後半、諸外国に先んじて魔術の軍備化を実現した帝国は、皇帝の名のもとに旧世界の勢力図を塗り替えていった。以来一〇〇年、帝国はたった一つの黒星もつけることなく支配領域を拡大していき、以降も覇権国家としての役割を期待されていた。しかし一八九〇年、議会共和派主導のクーデターが勃発。三年にわたる革命の末、共和国が独立を宣言。勢力が分裂した帝国は影響力を弱めることとなる。帝国大学政治学部教授・エレナ氏は、『世界は愚かにも強大な帝国の掌から転げ落ち、不幸にも、いや必然的に自滅への道を歩んでいる』と語る。混沌蔓延るこの世界に、魔術をもって再び秩序をもたらす。それこそ覇権国家としての使命であり、名誉なのである。」

 ——スティルライト社、一八九五年二月九日 朝刊より




「……なんでこんな昔の新聞が?」

 

 記事から顔を上げて問うてみるも、返事はない。というかおそらく、聞こえてすらいないのではなかろうか。信じられないくらい分厚い本に、これまた信じられないくらいに顔を近づけて紙の上に目を走らせているようである。問いかけられた彼女は、明らかに会話する機能が停止しているように見えた。


「ローズ様はジャンル、出版社問わず、何か引っかかりを感じた記事をスクラップにする趣味をお持ちなのです。ちなみにスクラップしたあとの散らかった机をお片付けするのはわたしの仕事です」


 代わりに傍らのメイドが応じる。肩をすくめる動作、ちょっと気だるげな表情、どれをとってみても非常に人間的であり、メイドの佇まいからは被創造物の気配を微塵も感じない。


「いやだって、その記事だけを特に必要だと思ってわざわざ切り抜くわけだからね。それ以外の新聞記事なんて、飛べない箒ほどの価値もないだろう?」


「だからといって放置しておく理由にはならないはずです。ちゃんとゴミ箱に捨てる習慣をつけてください。そもそも毎回申し上げていますが、いい加減定期購読の数を減らすべきです。実際に読むのなんてほんの一部じゃありませんか。例えばほら、競箒新聞なんて一度だってお読みになられたことがないのに毎週届いては捨て、届いては捨てしているんですよ。あんな大量の新聞をもってゴミ捨て場に行くわたしの立場にもなっていただきたいものです」


 とても創造主への態度とは思えない。というか、普通の被創造物は人語を解したり、自分の意見を持ったり、まして自らの主に意見したりなどしないのだが。

 頁を繰る杖の勢いはそのままに、魔女は器用にも持論を展開してみせる。


「いいや、お前の見ていないところで必ず一読はしているとも。それにね、使うことがないから不要なものだなんていうのは野蛮な考え方だよ。知識というものは往々にして、まったく無関係の文脈で役に立つものよ」


「……わたしは備品整理のために生まれたわけではないはずなのですが……まあいいでしょう。それよりローズ様、お客様がいらっしゃったというのに、いつまでもそんな恰好ではメイドとして示しがつかないのですが」

 

ローズと呼ばれた女は、討論をする余裕はあっても、傍らの少女の存在には気付いてはいなかったようである。

 天井のあたりを元気に飛び回っている羽ペンを手繰り寄せると、無理やり栞の代わりにしてしまう。

 あんなバカでかい本に挟まれるなんてちょっと、いやだいぶ酷い仕打ちだが、そもそも自分の顔面に新聞記事が直撃したのはこいつが激しく動き回っていたせいなのでは? と少女は自業自得だと納得する。


「こんにちはニア。今日はどうしたんだい? 学校はしばらく休みだと記憶しているけど」


「それは先輩だけでは……というか、最近休みの日でもずっとここに来てるじゃないですか」


「それもそうか。確かに最近だともはやそこのお説教メイドよりもニアくんのほうが部屋に出入りする回数は多いかもしれないね。わざわざここまでご苦労。お茶でもしていくかい?」


 そういってローズが差し出したのは、いつも彼女が飲んでいる、見るからに人間が飲むようには作られていない『お茶』である。

 もはや飲み物という形容すらふさわしくないように思われる。彼女曰く「とっても健康にいい」とのことだが、見た目というのはやはり飲食において非常に重要な要素であることをニアは再認識する。

 べつに変なにおいがするとかそういうわけではないのだが……ちょっと変な緑がかった色合いだったり、得体の知れない何かがコポコポ浮いてくる感じとかがちょっと……。

 古い時代の非魔術師の人々は、「魔女」という単語から、この『お茶』みたいな液体を大釜で茹でている老女を連想したのだろうな、というビジュアルである。


「ま、またの機会に。それよりローズ先輩、本なんて読んでる場合じゃあないですよ。今日は協会で定例会があるって聞きましたけど、発表とかの準備は大丈夫なんです? 私実は協会って行ったことなくて……」


『お茶』を啜る彼女ははてと首を傾げる。


「イシス」


「はい」


「今日って定例会なの?」


「昨日申し上げた通りでございます」


「ふうん、聞いてなかったよ。まあいいか」


 なにがいいのだろうか。


「ちょ、ちょっと待ってください。定例会って、枢密院の方もお勉強に来るぐらいのアレじゃないんですか? そんな、中等部の子が宿題忘れてたみたいな……」


「みたいなというか、忘れていたね。そうかもうそんな時期か。時が過ぎるのは早いなあ……」


「早いなあ……じゃないですよ! どうするんですかもうあと二時間もしたら始まっちゃいますよ!」


「まあ、行かなくてもいいんじゃあないか?」


「良いわけないじゃないですか! 協会に目付けられるのはまずいですって!」


「いやとうの昔に目はつけられているから今更だし……別に今回行かなくても二、三か月もすればまた開かれるだろうし、そもそもあいつらわたしの論文ろくに読めもしないのに発表も何も……ねえ?」


「せめて出席はしましょう?! 私もついていきますから!」 


「ニアくんに提案なのだが、わたしの代理で君一人が協会に赴いてもらうというのは……?」


「ナシに決まってるでしょう! そんなの私がムストルフ家の方々に怒られちゃいますよ! まず私じゃ先輩の論文読めませんし……」


 目立たずに生きるのが仕事のようなものであるニアにとって、ローズの提案はあまりにも受け入れがたい。論文の内容が難解すぎて読めない、というのも本当のことではあるが。


「君は優秀だし、イケると思うんだけどなあ……まあ仕方ない。普段研究室に顔を出さずに済んでいる代償と思えば安いものだ」


 多くの魔術研究者にとっては、協会の一員として研究に身を捧げることは大変な名誉とされるものなのだが……。

 彼女にとっては大学の講義と大差ない、面倒なだけの雑務のようだ。

 ローズは読書を諦め、本を机の方にひょいと投げてよこす。ドスンと音を立てるはずの大型本は、しかし、机の上に音もなくふわりと着地する。

 いつみても卓越した魔力操作である。同じことは魔術師ならば誰にだって可能だが、ローズのそれには無駄も迷いも一切ない。こういった日常の何気ない所作にこそ、優雅さというものは現れるのだとニアは思っている。……ちょっと、いやだいぶ贔屓目が入っているかもしれないが。


 * * *


「さあ行くよ、ニア」


 いつの間に支度をすませたローズは今にも部屋を出ようとしている。しているのだが……。


「せ、先輩、その格好で行くんですか? もうちょっとこう、格式ばった服装みたいなのがあるのでは?」


 ローズが今着ているのは、普段から彼女が身にまとっている安物のローブである。別に町中を歩く分には全く問題がない、というか我が国で最も多く売れているメーカーのものであるが、協会に勤める魔術師で着ているような人はまず居ないだろう。

 お葬式に寝巻で参列するような感覚で、浮いてしまうだろうというのがニアの危惧するところであった。


「ニア、大切なのは見た目じゃなくて、中身だよ」


「面倒くさがっているだけでしょう! ムストルフ家の長女ともなれば、いいものを身に着けておくに越したことはないはずですから」


 しょうがないなあと呟くと、ローズは机の下で大量の書物の下敷きになっていた、明らかにお高そうなローブを無造作に引っ張り出す。

 ニアの記憶が正しければ、そのローブに施された刺繍は皇族にも熱心なファンがいる、我が国のトップブランドのそれであるはずだが……。

 すくなくとも、このローブの製作者もまさかテーブルクロスのような扱いをされるとは微塵も思っていなかったことだろう。


「はい、お願い」


 案山子みたいに腕を横に挙げて直立するローズの腕に袖を通してやり、微かに付着していた埃を杖で払う。


「いつも悪いねえ」

「いえ、もう慣れましたから」


 もともとはイシスの仕事だったようだが、ニアがローズの部屋によく訪れるようになってからは専ら彼女がローズの身支度を世話している。

 ローズは自身の服装に関して無頓着、というよりいちいち着替えるのを嫌うので、放っておくと学校に行くのに制服すら着ることなく出かけてしまうであろう。

 弊学の教官には規律を重視する者が多いので、「才能あるからって図に乗ってやがる」と目を付けられかねない。まあローズが学校に行くなんて月に一度あるかないかの話ではあるが。


「じゃあ今度こそ、行くよ、ニア」


 杖を持っていくわけでもなく、はたまた論文の束を抱えていくわけでもなく。

 当代最高と謳われる魔女は、手ぶらで協会に赴こうとしているのだった。


「あの、先輩」


「なんだい?」


「先輩はなぜ、あの記事を取っておいたんですか」


 まっすぐな瞳をむけ少女は問う。

 魔女にとって、この問いに答えることは答えそのものよりも優先される。

 答えなくてはならない。それが今の彼女にできる、最大の誠意であった。

 少女の瞳、いやその向こうを見つめ、独白のように魔女は答える。


「忘れないためだよ」

「自分の弱さと、覚悟をね」


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