第9話-2/12
空腹を満たすにはコスパ、タイパ共にベストな選択だ。
目的地が決まれば行動に移すのも早く、二人は立ち上がると牛丼チェーン店「うしや」へ向かって歩き始めた。
並んで歩く二人、陽奏は頭の後ろで手を組み誰に言うでもなく独り言のように呟いた。
「たまには温泉でも行きたいよなー」
かねてからの願望。
誰でも一度は口にした事のあるようなフレーズを口走り、横目で蒼太を見つめた。
「そんな余裕ないだろ?お互い」
「言うぐらいはタダだからさ」
というのも陽奏が温泉と言い出すのはこれが一度や二度ではなかった。
まるで今度飲みに行こうかぐらいの頻度でそのワードを口にする陽奏。
「お互い彼女が出来たらダブルデートするか」
これもいつもお決まりのやり取り。
「いつになるんだよ」
「言ったろ言うのはタダだって」
丁度その時、二人が目指していた「うしや」の前に到着した。
食事を終え、気の向くままに二人はウィンドウショッピングやゲーム、買い食いや休憩をはさみ他愛のないことで時間を費やしていた。
二人にとって丁度良い距離感の相手、価値観の違いはあれどそれでもめることも少なく、思ったことを言い合っても後を濁さない関係は心地よかった。
夜になり、そのまま居酒屋へと流れ込むと酒を煽った。
煽ると言っても嗜む程度にアルコールを体内に取り込み、ほろ酔い状態でアテを口に運びながら再び話題は蒼太の職場になっていた。
「なぁ、お前の職場行ってみようぜ?」
女好きの陽奏は昼間からずっと蒼太の仕事場に興味を持っていた。
「今から?」
スマホをタップし、時間を確認するとまだ19時を少し回った程度。
お店の営業時間からすれば序盤で、入店待ちしていたファナー達も程よく酔い始める頃合いだ。
「まだやってるんだろ?」
コンセプトデーや出勤キャストによっては待ちが出始める時間帯でもあり、活気が溢れるタイミングだ。
「あぁ、まだ始まってちょっと経ったぐらいだし…行くか?」
酒が入ったこともあり、酔いによる高揚感と気持ちが大きくなったことで蒼太も陽奏の言葉に乗った。
だが陽奏にも一つ心配事はあった、それほど財布にはお金を入れていなかったことだ。
「予算は?」
そう言いながら陽奏は財布の中に入っていたお札をちらつかせた。
一万円札が3枚、ここの支払いは知れているが最初に蒼太が言った給料一ヶ月分が頭の片隅に残っていたのだろう。
「それだけあれば充分だよ、万が一の時はなんとかするし」
間違っても豪遊でもしない限りは遊ぶには足りる軍資金。
蒼太も自身の所持金は詳しく知らないが陽奏と同額程度なら今持ち合わせていることは把握していた。
「よーし、行こう行こう!」
悪酔いはしていないが酒が入ると諸々緩んでしまう蒼太の悪い癖が出てしまった。
蒼太にとっては連日になってしまうが、昨日の経験を活かしすぐにISKアプリを開いてボックス席の予約を確認する。
幸いにして今の所空きがあり、すぐさま二人の予約を入れることにした。
キャストの指名を陽奏と共に行い、蒼太はユカとそっくりなユキを指名し、陽奏は好みのタイプであるミアを指名した。
勤めていることもあってアプリの使い方は熟知し、すっかりISKのスタッフが板についてきた蒼太だった。
Jホールの居酒屋からは少しあることになったが、それらを計算しての予約は抜かりなかった。
ISKに続く階段を降り、壁に着けられたネオンライトが煌々と二人を迎え入れた。
石畳の様な階段は中世の欧風の雰囲気を醸し出し、観音開きの扉は同様に風格溢れる佇まいを見ていた。
蒼太を先頭に、陽奏はその後を付いていく。
雰囲気のある扉を両手で開くと、蒼太にとっては見慣れたエントランスが二人を迎え入れた。
左手にはカウンターがあり、カウンター越しにメイド服を身にまとった受付の月姫が視界に入ると同時に頭を下げようとしていた。
「welcome to CLUB・ISKへ…ってそうちゃん」
中途半端な姿勢で月姫は静止してしまう。
驚いて顔を上げ、開いた口を手で覆う様を見て陽奏の食指が動かされた。
「ごめん、ちょっと遊びに来ちゃった」
チロリと舌を出し、調子よく頭を掻いて詫びる蒼太。
少し酒が入ったせいでテンションが上がってしまい、一人なら冷ややかな視線を向けられたかもしれないが友人が隣に居ることで月姫の小言は息をひそめた。
しかし陽奏は月姫に興味を抱いた様子で、蒼太の前に躍り出て彼女を頭のてっぺんから足のつま先まで舐めるように視線を走らせた。
「誰誰?蒼太の知り合い?」
明らかに蒼太とは真逆の明るさに月姫は一歩引いて友人の紹介を促した。
「こちらの方は?」
初対面同士の間を取り持つのは蒼太の役目だ。
「友達、元バイト仲間の陽奏。で、こっちが今の職場の同僚?上司?にあたるのかな、か…ムーンって名前」
「えっとムーンちゃん?あ、よろしく。俺、陽奏って言います」
気さくに陽奏は月姫が離れた分の距離を詰め、右手を差し出し握手を求める。
彼女は戸惑いながらも一度姿勢を正すといつものように深々とお辞儀をして業務に努めた。
「陽奏さんですね。今日はご来店ありがとうございます、このお店のルールはご存知でしょうか?」
マニュアル通りの言葉に陽奏は少し首を傾け、すぐさま笑顔を取り戻して月姫の肩に触れた。
「堅いねぇ、もっと肩の力抜いて行こうよ。蒼太の友達だろ?俺に変な気は使わなくていいからさ」
言葉通り陽奏は月姫の肩を外側に払う様に、脱力を促すジェスチャーをした。
「かぐ…ムーンっていつもこうなんだよ、逆に砕けるなんてイメージないから」
手をひらひらとしながら、蒼太は月姫の欠点を吐露していた。
いつもと違う雰囲気に加え、二人の口から漂う匂いから月姫は答えを導き出した。
「そうちゃん、飲んでるの?」
月姫はしかめっ面を浮かべながら彼に問いかける。
「そりゃー、休みだからね、飲んじゃ悪い?」
絡んでくるような口ぶりに彼女は嫌気をさしつつ努めて平然を装って伝達事項を伝えることにした。
「そういう問題じゃなくて…泥酔のファナー様はお断りすることもございますので…」
「ムーンちゃんも、一緒に呑もうよ」
蒼太より質が悪く陽奏が月姫の肩に手をまわして、もたれかかっていた。
だが、彼女にとってはこの程度のことは日常茶飯事である。
未だに酔いを言い訳にしつこく月姫に絡むファナーも居るが、開店当初からすればその数は圧倒的に減りつつあった。
なぜなら彼女こそがこの店の顔であり、ただならぬ決定権を持っていることを知っているからだ。
酒は飲んでも飲まれるな、溺れたいなら店内へと、エントランスで問題を起こしたファナーはこぞってキャスト達にこっぴどく絞られることになる。
「お断りいたします、たとえそうちゃんのお友達だからって…ルールは守ってもらいますよ」
月姫はするりと陽奏の腕から逃れると、滅多と見せることのない怒りの色をふんだんに含んだ視線を蒼太に投げかけた。
「怖い顔するなよ、かぐ。たまには許して、ね?」
我慢の限界に近い雰囲気を感じた蒼太はなだめる様に彼女に告げる。
「ごめん、ごめん。悪乗りしすぎた。ムーンちゃん、後でまたゆっくり話しようよ」
同様に陽奏も自身が調子に乗ってしまったことを平謝りしつつ、それでも彼女のことが諦められずに一言付け加えた。
二人の反応に月姫は短く小さな溜息を吐き出すと、感情を消しいつもの口調で二人に、特に陽奏に説明するように話し始めた。
「…。…簡単にこのお店のルールを説明いたしますね。まずは前金制で入店時のチケットをお配りしています」
マニュアルを暗唱しているような口ぶりに、蒼太がすぐさま口をはさんだ。
「かぐ、後はこっちで説明しておくよ。迷惑はかけないようにするから」
月姫の労力を少しでも省くように、蒼太は財布から二人分の入店料金を出すとそれと交換にチケットを要求する。




