第8話-1/10
翌日、蒼太は久しぶりに十分な睡眠をとることが出来た。
本格的に活動を始めたのはお昼を回ってからだった。
ほぼほぼ寝に帰るだけになってしまっている部屋のごみを纏め、袋に詰める。
洗濯機を回している間に掃除機をかけ、仕上がった洗濯物をベランダに干していく。
だらだら過ごしている時間はなかったが気が付いた時にはすでに午後3時を回っていた。
映画の時間が午後4時40分、集合がその10分前の4時半Jホール前で約束はしていた。
約束の場所までは徒歩でも15分程度、時間の余裕をもって出かけるつもりでいた蒼太だったが、
洗濯物を取り入れ、気が付けば時刻は4時20分を過ぎ慌てて家を出ることになってしまった。
それでも早足で最短ルートを選択しながらギリギリ彼女との待ち合わせの時間に現地に到着するのだった。
人ごみの中子供の頃によく待ち合わせた場所に月姫の姿はあった。
片手では足りないぐらいの年単位でそこを待ち合わせに選んだことはなかったが
記憶とはすばらしいもので周りの景色が変わっていたものの迷うことなくその場所へとたどり着くことが出来たのだった。
そこに佇む彼女は何度かのお出かけで見た姿に酷似したものだった。
俗称「地雷系ファッション」と称される独特の衣装を身にまとっていた。
もちろん前回の服装とは異なっていたが、蒼太には全く同じものに見えてしまっていた。
スマホに視線を落しながら一人待つ彼女の元へと足早に向かった。
すぐ隣に立ってみたが蒼太の存在には気づかず彼女の意識はスマホに向けられたままだった。
「あ、かぐ…」
言葉を掛けながら蒼太は彼女の肩にポンと手を置いた。
「そうちゃん!」
一瞬ビクッと体を震わせ、月姫は蒼太の顔を見つめた。
蒼太は彼女を酷評するが決して月姫の顔面偏差値は低い方ではない。
大人数のアイドルグループならセンターこそ張れないにしても充分2番手、3番手は努めれるレベルをしている。
いつもISKで見ている彼女は少し強めのメイクをしていたが、今日に限ってはごく自然なナチュラルメイク。
月姫本人からすれば仕事が押し、メイクに掛ける時間がなかった為取り急ぎだったのが逆に功を成していた。
それが蒼太の好みとするタイプの方へと転がったようだ。
一瞬見惚れてしまったものの蒼太は自身が遅れたことで彼女に気遣いをする。
「待った?」
月姫はそれに首を横に振って否定の意思表示をした。
「ううん、ちょっとだけ早く着いちゃったから…」
と普通に返す彼女だが、蒼太の経験から待ち合わせの10分前から彼女が到着していることは簡単に想像できた。
「映画って何を観るの?」
「これ…」
何を観るかを昨日の段階では聞いていなかった蒼太。
月姫が差し出したチケットは現在連載中の探偵物アニメの劇場版のようだった。
「えぇ?こんなの見るの?」
正直拍子抜けしてしまう蒼太。
「そうちゃん好きじゃなかった?」
露骨なまでに肩を落とした彼に驚いたのは月姫の方だった。
月姫が彼との記憶があるのは中学生までのことだ。
すでに彼は大学を卒業し、社会一般では大人と分類される立派な年齢になっている。
それは月姫も同じだが…
蒼太がもっと喜ぶと思っていたがあまりにも落差のある反応にテンションが下がる。
「あ~子供の時にははまってたけど、まだ続いてたんだ」
彼女の知る時の自分を思い出し蒼太は独り言のように呟き落とした。
そういえば中学生の頃にも一度二人で同じシリーズの劇場版を観に行ったことを思い出す。
その時からすればすでに十数年が経っているが未だ尚その人気は衰えていないようだった。
離れていた期間が長かったのだから致し方ないし、趣味が変わらないことだって充分に考えられたのだろう。
ISKで働きたいのは幼少から変わらぬ幻想世界好きがこじれてのことなのだから…
「てっきりかぐのことだから恋愛ものとか予想してたけど…アニメって…」
横目でちらりと彼女を見やり、手に持っていたチケットを奪い取る蒼太。
「子供っぽいって言いたいんでしょ?」
彼女は彼女なりに考えて選択した映画。
誘われていた時にはすでにチケットも購入済みだったことを考えれば昨日の段階で何を観る予定か聞いたところで遅かっただろう。
「そんなことないよ」
「顔に書いてます…そうちゃんったらすぐに顔に出るから分かりやすいのよ」
「かぐだって人のことは言えないよ」
お互いを罵り合いながら、先ほどまでの不穏な空気が霧散していったのを感じる。
和やかな場を取り戻せたところで蒼太はブッチを見やり今の時刻を確認した。
16時38分…あと二分で開場するようだ。
「時間だ、急ごうか」
蒼太は彼女の手を掴むと、Jホールのチケットに書かれていた7番シアターの入口へと足早に向かった。
その日のプランは全て月姫が用意したものに甘える形で蒼太はすべてを任せることになった。
映画鑑賞を終えると、外は暗くなっており、同じモール内で食事を済ませた。
さすがにお店の選択は子供じみたものではなく、お酒も嗜めるワンランク上のレストランを予約していた。
居酒屋程度ならバイト仲間の陽奏と言ったことはあるが、バーなどとは縁遠い蒼太。
こうして月姫と酒を呑みかわすのは初めての事、出来ることなら女性にリードしてもらうのではなく、自身がプランを経てたかったが知識も情報もない蒼太には土台無理な話だった。
昔話に花を咲かせつつ、コース料理を終えた二人は店を出て、夜景を見ながら当てもなく気の向くままに歩き始めるのだった。
少し夜風に当たり、もう少し飲みたいという月姫のわがままに付き合い二件目のお店へと訪れる。
もちろんここも月姫が段取りしていたお店だったのだが、まるで偶然を装い、彼女はホテルのラウンジへと蒼太を案内していた。
一件目同様洒落た雰囲気のお店に、少し財布の中身が心細かった蒼太は思わず支払いのことに言及したが、もちろんここも彼女が任せておいてと一言で終わらせてしまった。
そこでも少しお酒を嗜み、程よく頬を赤く染めた月姫は時間を見ながら蒼太に「ホテルも予約しているの」と伝えたが、
彼女の言った意味を理解できず彼は「そうか、だからこのお店を選んだんだね。帰りは送っていこうと思ってたけどそれなら安心だよ」と答え、程なくして彼女とここで別れることになった。
当然のごとく月姫は肩透かしを食らい、それ以上は彼を引き留めることなく寂しそうにその背中を見送ることになる。
昨日エルナに多少強引でもとアドバイスをもらい実践に取り入れたものの、またもや月姫の独り相撲になってしまったようだ。
仕方なく月姫もここに一人で泊まる意味は見いだせず、寂しく一人夜の家路を歩いて帰ることにした。
蒼太が自宅に着いたのは21時を少し回った頃だった。
さすがに就寝につくには早い時間…
連日のように帰って寝るだけの生活だった彼は暇の持て余し方を忘れてしまっていた。
寝ころんで天井を見上げるがそこには何もなく、スマホを取り出し弄ってみたもののインストールしていたゲームをする気も起らなかった。
すでに個人用より使う頻度が多くなっていた仕事用のスマホを取り出し、ISKのアプリを弄り始める。
数日前非番だった練がファナーとして遊びに来たことを思い出すと、ISKに足を運ぶことを閃いた。
今では職場となったISKだが、そのきっかけとなったファナーの気持ちで遊びに行っても充分楽しい時間を過ごせるのではと思い、すぐさまそれを実行することにする。
徒歩でも20分あればお店につくし、閉店まではまだ充分時間はあると思えた。
軽い足取りで途中のコンビニでお金を下ろし、明日も休みということで充分に遊ぶつもりでISKへ向かうのだった。
店舗へと続く階段を降り、観音開きの扉に手をかける。
壁にはピンクのネオンが【クラブISK】と蒼太を出迎えてくれていた。
扉を開くと見慣れた景色、否ファナーとしては二度目の風景が彼の目に飛び込んでくる。
エントランスのカウンターにいつものように月姫がファナーを出迎えるために佇んでいた。
そう、少し前まで一緒にいたはずの月姫が…
「いらっしゃ…蒼ちゃん、どうしたの?」
泡を喰って目を真ん丸に見開いた月姫が蒼太を見つめていた。
いつもの出で立ち。
さっきのラウンジではホテルを予約しているからと言って、彼の送り届ける申し出を断った…厳密には断ったではなく蒼太が必要がないと思って口にしただけだ。
目の前の月姫同様蒼太も一応に驚き彼女に声をかける。
「え?かぐ?今日は休みじゃないの?」
「え?あっ?あぁ、そう、そうねー、ちょっと様子見に来てそのままーって感じかな」
なにかとぼけた様に蒼太の問いに答える月姫。
なんとなくだが、いつもの彼女と比べると少し違った印象を受ける。
しかし蒼太もいつも彼女を見ているのは仕事中より、普段の姿のイメージが強い。
違った印象を受けたのはそのせいかと自己完結してしまうのだった。
「そっか、でも無理して前みたいに倒れないようにな」
今日、彼女は蒼太の代わりにアレテイアでの業務をこなし、夕方から非番だからと言ってデートをし、またここに仕事で来ていることを考えると
到底体を休める時間などないことに少し呆れ気味に蒼太は彼女に告げた。
「え?そんなことあったっけ?」
蒼太の言葉にまるで他人事のように驚く月姫。




