第15話-8/8
蒼太の言葉の破綻にユカはするどく指摘を投げかけた。
「違くて…俺ならもっと胸を触ったりしますって」
「そ、そうですね…でもそれは痴漢ですよ、りっぱな犯罪になりますよ?」
一瞬ぞわっとした悪寒を感じたものの、気のせいだと悟ると同時に彼女は胸を隠すように両手で覆い、目を細めながら蒼太を見つめた。
「今度からは気をつけます」
「蒼太さんなら言ってくれれば拒みませんよ♡」
いつからか分からないが明らかにユカの蒼太に対する態度が変わっていることに彼自身うっすらと感じていた。
そんな二人の間に割って入るようにぬっと顔を出す人物が居た。
「ねぇなにしてるの?楽しそうなこと?」
けだるげな雰囲気のまま眠そうな眼差しで、蒼太を見つめてくる人物。
つい先ほどまでルカと一緒にいたラウラだ。
彼女の瞳の色は見れば見るほど赤より赤く、濃い血の色を思わせる。
「えっと…ラウラ…そのなんだっけ、水はもういいの?」
聞いたばかりなのもあってか蒼太はかろうじて彼女の名前を憶えていた。
「うん、浄化した。アタシより君、気になるね」
ぬっと指が伸び、蒼太の鼻先に触れる。
だが指かと思われたそれは彼女の触手とも言うべき蔓のだったようだ。
それは細くうねうねと動き、彼女の髪から無数に出ているのが見て取れた。
彼女も若干言葉足らずなところがあったが、蒼太は自分の何が気になるのかある程度推測がつき、ラウラに言葉を返す。
「よく言われます、はい…」
蒼太は自由自在に動く無数の蔓を見ながら、これもスキリングでシェアできるのかなと考えたりしていた。
「気になるは良いけど、らうらちゃもホール戻らなくて良いの?」
と声をかけたのはルカだ。
「そか、仕事中だった。忘れてた」
更に瞼を少し閉じ、より一層眠そうな目をして呟くラウラ。
彼女の目からはやる気と言うものが感じられそうにない。
瞳の色も赤く、目の下にはクマらしきあざが見えるため、徹夜明けなのかとさえ思ってしまう面持ちだ。
「忘れる事かな?」
気怠そうなラウラに一言蒼太が呟いた。
彼女は顔色一つ変えずに自分の懐をまさぐると、どこにあったのかカードを一枚取りだし蒼太に手渡そうとする。
「また、今度遊んで…これ、アタシの名刺」
やる気の無さしか目立たなかった彼女が自分のPRを忘れないところは流石だと思った蒼太。
彼女から名刺を受け取り、そこに書かれていた文字に目を通しながら口に出して読み上げていた。
「ありがとう、有銘來麗…俺、鍵主蒼太って名前。よろしくね!」
名刺の写真も眠たそうな表情の彼女が映っていた。
どうやら彼女は眠そうではなくいつも眠たそうに見える表情をしているだけに過ぎないことが分かった。
ラウラは一人踵を返すと洗い場からホールへと向かう扉に向かって歩き始めた。
「みんなもさぼり、良くないよ」
彼女は背中越しにそうつぶやくと扉を開け再び喧騒の中へと消えていった。
「一応わたくしは今日は非番で様子見に来てるだけですので…ホールには出ませんよ」
ラウラが居なくなった後、ユカはここに居るライバルになる人物にそう伝える。
その相手は言うまでもなくイマリだ。
「ずるいなぁ、ゆかってばそんな手使うなんて」
露骨に敵意をむき出したユカにイマリは不服を申し立てるが正論に勝てる案は思い浮かばない。
「蒼太さんになにかあってはいけないので、救護班としてムーンさんには伝えていますよ」
駄目押しとばかりにユカはもう一言付け加えた。
現に今日もスキリングを試すため、昨日のようなことが起きないようにと保険をかけていた彼女の堅実さがここでも役に立ったようだ。
「あたしはキャスト登録しっかりされてたのに…いいよ、どうせそうたが相手してくれないし、ファナーと遊んでくるもん」
ちらりと蒼太の方に視線を送ってイマリは負け惜しみとばかりに呟いた。
おそらく何か助け舟を蒼太が出してくれると期待したものの、彼も咄嗟に機転を利くほど利口ではない。
軍配がユカに上がったのを見てルカも再び持ち場に戻り、少し追加された洗い物を手に取り仕事を続けることにした。
イマリも観念したのか少し蒼太を睨みつけたものの、進展がない状況に彼女もラウラに続きホールへとその身を投じることにした。
「行きましたね」
ほっと安どのため息を零すユカ。
「嵐みたいな娘だ」
「苦手ですか?」
蒼太の少しトーンの低い声にユカがイマリの印象を問いかけた。
「どっちかっていうとね」
それもそのはず、ツバキを恋愛対象として見ている彼なら真逆の性格のイマリを好きとは言わないだろうとユカは分かりながらそれを尋ねたのだ。
まだ二人きりではないことを失念してはいけない。
「そうちゃってば甘えただもんネ、おっぱい好きってことはマザコンってやつ?」
「そんなことはないって!おっぱいが好きなのは認めるけど」
これ以上変なレッテルを貼られないようにと思わず否定とそして間違っていない部分を肯定することにした。
「あら、そんなことを言うと普通の女性に嫌われますよ?わたくしは許容していますけど」
蒼太の言葉にユカが指摘する。
彼女の言うこともごもっともである。
だが時折ユカも言葉の中に綻びが生じることがある。
そこを蒼太はつくことにした。
「ユカさんは普通じゃないんですか?」
「普通ですよ」
少し食い気味に早口に反論する彼女。
治癒を専門とするだけあってか自身が異常と思われる発言には素早く反応するところがあった。
サキとの付き合いが深くなるにつれユカがもはや正常とは言い難いところに足を踏み入れていることに気がついて居ないのは彼女本人だけだろう。
「そうですか。でもマナの調和もうまくいったみたいだし、今日は特にすることがないなら帰って休んでしまおうかな」
退屈を持て余しだした蒼太が一人呟くと、それに同調するようにユカも相槌を打った。
「星詩留さんも居ませんしね」
「そういえばセシルのこと忘れてたよ。後で来ると言ってたのにまだ来てないよね?」
朝、彼女の部屋での打ち合わせではここで落ち合う予定だったのだが、当人が現れないことには実験の結果報告も出来ない状態だ。
「行けたら行くとは言ってましたが…スキリングのアップデートをしておきたいとは言ってましたよ」
イマリに連れられて先にセシルの部屋を後にした蒼太にはそこまでの話しが届いてなかった。
「そうか、そっちが忙しくて来れなくなったのかもね」
残念そうにつぶやくが、蒼太にとってもスキリングのアプリが使いやすくなったり、新機能が追加されることは願ったり叶ったりだ。
「連絡してみては?」
ユカの当たり前の提案に蒼太はVINEを起動し、セシルにメッセージを送った。
彼女からの返事は早く送信と同時に既読がつくと、すぐさま「今日は無理、また明日」とそっけない文字が返ってくる。
「うん…あ、やっぱ来れないみたい。仕方ないね」
蒼太としては良い報告が出来ると思っていただけに気を落してしまった。
「蒼太さんは先ほど連続してスキルを使われたようですがお身体は大丈夫ですか?」
彼を気遣うユカの優しさが嬉しく思う。
「うん、全くと言えば嘘になるけど、マナの調和を教えてもらったおかげで、こんなに違うとは思わなかったよ」
若干だが少し精神的な疲労を感じる蒼太。
肉体的な疲労に至っては昨日と比べるまでもない程その差は歴然としていた。
念のために補助とサポートについてくれているユカの出番がないのはその証拠でもある。
「お役に立てて何よりです。明日もアレテイアはご一緒しますので」
「ユカさんこそ休んだ方が良いんじゃないです?」
今日と同じように明日も助力を申し出るユカに蒼太は気を使いながら彼女の身を心配する。
このところ立て続けに彼女の世話になってしまっているのも申し訳ないと思う気持ちもあった。
しかし当の本人はそれを何とも思っていない様子でケロリと笑顔で応える。
「わたくし?疲れるようなことはまったくしてませんし…それともシちゃいます?」
おまけに少しユーモアを交えた誘惑まで付けてくる始末。
「いえ、しちゃいません。ちょっと纏めたいこともあるし今日は家に帰って座学でもしようかな」
その言葉が徐々に冗談でなくなっていることに気づかない蒼太だが、当たり前のように彼女の冗談を軽く払いのけてしまう。
蒼太も家で勉強に勤しむなど学生時代ぶりの事だ。
目まぐるしく変化する日常に頭の整理だけでは追い付かないと思っていたのも本当の所だった。
「お付き合いしましょうか?」
尚もユカは蒼太に縋り付き逢瀬を模索するが、その表情は鈍感な蒼太でも気が付くほどに明らかにいつもの彼女と違っていた。
「色々問題が出てしまうと思うので明朝お付き合いお願いいたします。それじゃルカさん俺はもう上がります、頑張ってくださいね!」
流石にその状態のユカを家に招き入れる気にはならず丁重に蒼太はお断りの言葉を並べた。
同時にルカにもお別れの言葉を投げ、この場を去ろうとする。
「はいナ、そうちゃ。またネ!」
洗い物を続けたままルカはぐるりと上半身を反転させ彼の背中にウインクを一つ送るのだった。




