第15話-1/8
時間は18時を回り、すでにISKは開店しいつも通りの賑わいを見せていた。
蒼太もまだISKには居たがホールに出ても取り分け自分の持ち場はなく、かといってセシルとの約束があるため帰るのはためらわれていた。
他のスタッフの仕事を取るわけにもいかず、暇を持て余して彼は邪魔にならないように洗い場を訪れた。
ここに勤めだした時にお世話になった場所。
数日間は洗い物ばかりしていた頃が懐かしく思えてしまう。
そこにはこの場を担当する水系と呼ばれるキャストが一人いた。
幸いなことに蒼太も過去にお世話になった人物、ルカだ。
「久しぶりです、ルカさん」
青みがかった透過度の高い肌に、白いエプロンの出で立ちは以前蒼太が見た時のままだった。
蒼太の挨拶に気づいたルカが振り返り、彼の顔を見るなり表情が明るくなり笑顔を零す。
「あら、そうちゃ、久しぶリ!今日は洗い場担当?」
前に会った時と変わらない水音交じりの言葉に、蒼太は少し懐かしさを感じた。
日に日に新しいことに追われる日々だったが、たまには回顧するのも悪くないと思った。
「いえ、たまにはルカさんのお手伝いでもと思って」
そう言うと蒼太はタオル掛けにかかっていた濡れた食器の水分を取るためのタオルを手に取り、ルカの傍に歩み寄った。
すでにあらわれた食器群がシンク横の棚にたくさん並んでいるのが見える。
「ありがト、でも一人で大丈夫ヨ?」
遠慮しながらルカは蒼太に笑顔で応えた。
通常一人で食器を洗っている彼女に助力は必要なかった。
むしろ余裕すらある感じで日々通り業務を熟しているようにも思える。
「ですよね、ほら少し前にネネさんがたまにはルカさんにも絡んであげてねって言ってたから」
彼はグラスの水気をタオルで拭き取りながら返事をする。
前にも同じようにやっていた為手際の良さは折り紙付きだ。
「忙しいんでショ?」
ルカは蒼太の顔を覗き込みながら訊ねた。
彼女はよくアレテイアでも水浴びをする方で、彼の姿はこの一週間で何度も目にしていた。
ルカはここで洗い場担当をするのは週に一度程度、ホールにも週に2度ぐらいしか出勤していない。
マイペースで仕事はしているが出勤時には必ず蒼太の姿は確認できていたため、働きすぎなのではと心配をしていた。
「忙しくはないですよ、それにルカさんが一番最初に俺に仕事教えてくれた人だから」
口先でなく、蒼太にはその想いがあった。
世話になった人にはそれなりに感謝の念はあり、ミオにもルカと同じような気持ちは持っている。
「特別ってこト?」
嬉しそうな表情を浮かべ目を真ん丸にして問いかけて来るルカ。
わしゃわしゃと髪の毛の先端が揺れ動くのはそれも彼女の感情表現なのだろう。
「ん~、そうですね特別といえば特別かな」
少し照れながら蒼太はあえて彼女の方を見ずに答えた。
「ありがト、そうちゃ」
ルカは蒼太の右腕にしがみつくと身体と顔を寄せて、ぎゅっと抱きしめた。
暑い中彼女の体温の冷ややかさはとても気持ちが良かった。
「そういえば慣レた?ここの仕事ハ」
今の所は彼女の手元、シンクの中には新しい洗い物が無く、蒼太が拭く当番を担ったため手持ち無沙汰になったルカ。
「えぇ、ここだけじゃなくアレテイアにもお邪魔させてもらってます」
少し親密感を出すため、彼女たちの居住区で働いていることをアピールする蒼太だが、ルカは何度もそれを目にしているため言われなくても分かっていた。
敢えてそのことは口にせず、ルカは彼に質問を投げかける。
「何か困ったときはそうちゃにお願いシたらいいのかナ?」
「はい、俺でできることなら対応しますよ、って調子乗っちゃいましたけど」
二ッと白い歯を見せて微笑む蒼太。
そんな彼の返しに分かる人には分かるが彼女は頬をほんのり赤く染めながら言葉を続けた。
「へ~、じゃぁじゃぁあっチの問題もお願いシてもだいじょうブ?」
ルカは目にハートマークを浮かべながらくるくるそれを回して、色っぽくアピールする。
その瞳を直視していると怪しげな術にかかってしまいそうになるのを感じ蒼太は目を逸らした。
「あっちのお願い?」
「え~分からないノ~?もシかしてはっきり言葉にさせたい…って言葉責メ?」
ルカは蒼太の右腕にしがみついたまま、髪の毛を液状に変化させ、彼の身体に纏わりつかせてくる。
水の精霊たちは姿を人間を模しているが、自身の思いでありとあらゆる姿に変形させることが可能だ。
今のように人型を形成しておきながらも部位を丸ごと、あるいは一部を流体にすることだってできる。
ルカは液状に変化させた髪を彼の衣服の中に忍ばせ、無数のそれが蒼太の背筋を撫ぜる。
「ち、違います。そ、それは応相談…というかNGです!すみません」
思わず月姫との取り決めを忘れかけ、自身のルールにゆるみを見せかけた彼だが咄嗟の所でそれを踏みとどまることに成功した。
ルカの言うあっちのお願いと言うのは9割9分、大人としてのエッチなお願いだと察することが出来た。
「そうちゃなら絶対アレテイアでモテると思うのにナ」
ルカの予想はあながち間違いではない。
本人が意図していない特異体質のおかげですでに一部のキャストには引く手あまたな状態である。
「あ、ありがとうございます。色々訳があって…多分モテる?かもしれないけどかぐがうるさいから…」
月姫には悪いと思いながらもここに居ない彼女にその責任の一部をかぶってもらうことにする。
実際彼女にキャストとの関りを最小限にとどめるように申し伝えられているためあながち嘘ではない。
「かぐ?…あ、むーちゃの事ネ。そうちゃだけ特別な呼び方シてるらしいっテ」
蒼太の口から月姫の名前が出たことで、ルカが彼に絡めていた髪を解いていく。
彼女なりに気を使ったのだろう。
「あっは、あいつとは子供のころから…子供の頃は一緒だったから」
少し遠くを見るようなまなざしを浮かべる蒼太。
それを横目で見つめていたルカだったが、そんな二人の前に珍しいキャストが扉を開けて入ってる。
「そうちゃん、ここにいたのね。探しましたよ」
「ミアさん、どうしたんですか?」
見慣れないコスチュームにいくつかの装飾品を身に着けていたミア、覚えの悪い蒼太でも何度か接点を持った彼女の名前は憶えていたようだった。
ルカは機能性を重視してか、コンセプトデーでもいつもと変わらない出で立ちだったため、この空間ではその日であることをつい失念してしまうが、
天使と悪魔をモチーフにした今日はミアの恰好は天使サイドの白を基調とした衣装に天使の羽根とわっかが付けられている。
天使のブラという製品もあるが、ミアのブラジャーは羽根で覆われ、彼女の胸が揺れるにつれその羽根も動く不思議なつくりをしていた。
「えっと、ちょっとお願いしたいことがあって…」
「あたし邪魔にならなイ?」
にじり寄るミアにルカは二人に遠慮気味に尋ねた。
洗い物も片付いてしまっており、今ここに自分が居る意味がないと思ったからの質問。
「えぇ、るかちゃんは居ても内緒話じゃないから大丈夫よ」
そう言われて安心したのか、少し小さくなりかけていたルカの質量が元に戻っていた。
ミアは真面目そうな面持ちのまま蒼太の近くに歩を進めた。
「で、お願いって?」
交換条件でセシルと交わしたことがあるが今までキャストから何かをして欲しいという案件を聞いたことはない。
内容を聞いたうえで出来ることならかなえてあげたいとは思っていた。
もちろんできない場合は断るしかないが…
ミアは一拍おいてからゆっくりと話し始めた。
「マサキと仲良くしてもらえないかしら?」
「みあちゃのパートナーネ」
マサキについてルカが補足をする。
ルカの補足がなくとも蒼太は一昨日前にマサキとは何度か出くわしていた。
そしてミアがパートナーであるという話も聞いている。
そして自分とは相容れないタイプの性格であると認識していた。
「別にいがみ合ってるわけじゃないし、ちょっとウマが合わないとは思うけど」
「仲良くはできない?」
そう言われて一旦蒼太は腕を一昨日の出来事を思い返していた。




