エイプリル伯爵家の魔術師夫人
王宮で年に一度開かれる建国式典の大夜会。
それに合わせてブラッドは復帰した。
大夜会は貴族ならよほどの理由がない限り出席しないとならないものだ。フィーナもブラッドに連れられて、初めての社交だった。
「最低限の挨拶ができていれば、どうにかなるわよ。課長の付き合いなんて、どうせ全員魔術師なんだから」
そう言ってマナーを教えてくれたのはジェシカだった。
ブラッドも「おいしいものを食べる会だと思えばいいから」と、フィーナの緊張をほぐしてくれた。
王宮の大広間のほか、中小の広間や舞踏室などたくさんの部屋を解放して、大夜会は開かれる。
大広間で国王陛下の言葉を拝聴できるのは高位貴族だけだ。伯爵家も高位貴族に入る。大広間の端で頭を下げながら、フィーナは別世界すぎて現実感がなくなってきた。
開会が宣言されたあとは自由だった。挨拶まわりする者、舞踏室でダンスをする者、料理を堪能する者。中にはさっさと帰る者もいる。
ブラッドの周りには魔術院所属の貴族が集まっていた。ブラッドは夜会服でフィーナもドレスだが、いかにも魔術師というローブや魔術院の制服を着ている人もいて、実にわかりやすい。ジェシカの言が確かだったとフィーナは内心苦笑した。
「おや、エイプリル伯爵夫人。先日はどうも」
白髪の老人に声をかけられたフィーナは慌てて礼をする。先日とはいつだろうと頭の中を駆け巡ったのが伝わったのか、老人は「遺跡の調査じゃよ」と人のよさそうな笑みを浮かべた。
「古代魔術研究課の課長で、魔術院三長老のお一人スイス師だ」
ブラッドに紹介されて、フィーナも自己紹介する。
「ブラッドの圧縮魔術陣を扱えるなんぞ、なかなかおらん。大したものじゃ」
「いえ、そんな」
「そうなんですよ。自慢の弟子です」
フィーナより先にブラッドが言いきってしまい、フィーナは真っ赤になった。
「もう、やめてください」
「いいじゃないか。本当のことだ」
二人で言い合っていると、スイスは「ふぉっふぉっ」と笑い声を立てた。
「仲のいいことで」
それからフィーナに、
「新しい魔術文字の論文、完成させたら見せなさいな」
そう言って去って行った。
スイスのほかにも、遺跡調査に参加していた魔術師から挨拶を受けた。皆、フィーナに感謝したり、称賛したりしてくれる。
フィーナの論文に言及する者も多く、フィーナは驚くばかりだ。たかが学生の授業のレポートに、たくさんの人が期待を寄せてくれていた。ブラッドやジェシカが特別で、彼らがフィーナを褒めるのも社交辞令が含まれているか身内びいきかと思っていたのだ。フィーナは今まで、魔術師業界での自分の立ち位置なんて全く知らなかった。
騎士団側の責任者もやってきた。
「伯爵夫人に感謝する。今後は魔術院の意見も尊重するつもりだ」
と、頭を下げた。
あとでブラッドが、「彼は魔術師嫌いで有名でね」と教えてくれた。魔術師相手に下手に出ることなどないのだそうだ。
ブラッドの旧友だという魔術契約士ハリーとも挨拶した。
「噂はかねがね」
「え、噂ですか?」
「ブラッドから優秀な弟子だと自慢されましてね」
同じようなことが何度もあり、フィーナは真っ赤になってブラッドを睨んだ。ブラッドはそんなフィーナをかわいいと言わんばかりの甘い笑顔で見返すのだった。
求婚の際にブラッドに訴えた身長差は、誰かに何か言われるのではないかと、大夜会への参加が決まったときから戦々恐々としていた。フィーナが心配するから、ブラッドも気が気ではないようだった。
夜会では、振り返って確認されるようなこともあった。すれ違いざまに扇の影で小さく嘲笑されたりもした。
しかし、そのたびにブラッドがフィーナを気遣ってくれた。手を握ってくれたり、微笑んでくれたり。傷ついた部分は、すぐにブラッドが埋めてくれた。
人の視線を気にしないのは無理だけれど、フィーナを守ると誓ってくれたブラッドの思いをひしひしと感じて、フィーナは胸が温かくなった。
それに、魔術院の関係者はブラッドとフィーナの身長差には全くの無反応だったから、彼らと話しているときにはフィーナも身長のことは気にしないでいられた。
「僕は反省しないとならないな」
二人だけでテラスに出たとき、ブラッドがそうつぶやいた。
首を傾げるフィーナの手を取り、引き寄せる。
「君は優秀な魔術師だ。それを僕は君に伝えてきたつもりだけれど、君は話半分に受け止めていたんだね」
「あ、えっと……すみません」
「いや、謝るのは僕の方だよ」
ブラッドはフィーナの腰に緩く手を回した。ダンスをするくらいの近さで、目の前に彼の顔がくる。
魔力が混ざって触れられた部分が温かくなる。
「魔力の相性がいいと最初に言ってしまったからか。それにメイドの雇用契約ではなく師弟契約をしたのだと、君の誤解を正さなかったからか」
僕が君を閉じ込めてしまったのが一番大きな原因かもしれないね、とブラッドは続けた。
「比較対象があれば、自分で実力がわかったはずだ」
「でも、私はブラッド様の側にいられてよかったと思っています」
フィーナがそう訴えると、ブラッドは「ありがとう」と微笑んだ。
「どこかの魔術師事務所で仕事をしてみるかい? 父の弟子なら何人か心当たりがあるよ」
「外で、ですか……」
「外に出ても、君は僕のところに帰ってきてくれるだろう?」
ブラッドはフィーナの頬を撫でた。
「君を手放したくはない。でも閉じ込めてしまうのも違う」
「…………」
「君は僕の唯一の弟子だから、僕もわからなかったんだ。僕の研究ばかり手伝わせてしまっていたけれど、君も自分の研究をすべきだ。――ほら、スイス師も言っていたじゃないか。新しい魔術文字の論文。完成したときには、僕に最初に読ませてくれるかい?」
ブラッドの笑顔に、期待されていると感じた。
フィーナは大きくうなずいた。
「もちろんです!」
いろいろ考えた末、外に仕事に出る代わりにメイド業務を減らしてもらい、ブラッドが魔術院に出勤している時間にフィーナは自分の研究を進めることにした。
そしてフィーナは使用人部屋から、伯爵夫人の部屋という名前の豪華な研究室に引っ越すことになったのだ。
終わり