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エイプリル伯爵家のメイド

 菓子店を出たところで腕を掴まれたフィーナは驚いて悲鳴を上げた。

「きゃっ」

「フィーナ!」

「え? 兄さん?」

 振り返ったそこにいたのは家を出てから三年ほど会っていない兄アランだった。

「エイプリル伯爵邸に行ったら、お前は使いに出たと教えてくれたんだ。探したぞ、フィーナ」

「何かあったの?」

 緊急事態と言えば家族の事故や病気が考えられるが、両親はすでに亡く、唯一のきょうだいのアランは目の前で元気そうにしている。

「フィーナ、今すぐ帰ってこい。お前の結婚が決まったぞ」

「は?」

 藪から棒に言われて、フィーナは目を点にする。

「待ってよ。私、兄さんに結婚の世話なんて頼んでないんだけれど」

「お前ももう二十三だろう。もらってくれる相手がいるだけでありがたいと思わないと」

 アランは全く答えになっていない言葉を返して、フィーナの腕を引く。

「ちょっと、離して! 私は結婚するつもりなんてないわ!」

「それじゃ困るんだよ!」

「どういうこと?」

「いいから、行くぞ!」

「待ってよ。仕事があるんだから」

「後から連絡すればいい。どうせやめるんだ」

 足をつっぱって抵抗するフィーナの腕をアランは力いっぱい引っ張った。

 さすがに周りの人もフィーナたちに気づき、何ごとかと立ち止まる。

 その中で、アランの腕を掴んでとめてくれた男性がいた。こげ茶色の髪にこげ茶色のヒゲ。前髪が長くて顔が見えず、一見怪しげだ。

「フィーナから手を離しなさい」

 同時にフィーナの後ろから、凛とした女性の声がアランに注意した。振り返ると知っている顔があった。

「ジェシカ!」

 ジェシカはアランが止まった反動で後ろに倒れかけたフィーナの背を支えてくれた。フィーナは女性にしては背が高い。ジェシカの負担にならないように慌てて体勢を立て直す。

「痛ってぇ! 離せよ」

「先に離すのはそちらの方だ」

「ちっ!」

 男性に言われて舌打ちしたアランがフィーナの手を離す。右手の自由を取り戻したフィーナは、両手で菓子店の箱を抱え直す。

「フィーナ、この人、知り合い?」

「……兄なの」

「そうだ、俺はフィーナの兄だぞ。妹を連れ戻して何が悪い」

「嫌よ。私は結婚なんてしないから、勝手に縁談なんて進めないで」

「フィーナ、これを逃したら一生結婚なんてできないぞ。お前みたいな大」

「黙りなさい」

 ジェシカが短く言う。大きくもない声だったが、アランは威圧されたように口をつぐんだ。兄からのいつもの悪口を予想して強張っていた体から力が抜ける。

「フィーナは結婚したくないそうよ。あきらめたら?」

 口を開きかけた兄は、男性が体の向きを変えるとびくりと肩を揺らし、「今日は帰るけどまた来るからな!」と捨てぜりふを吐いて走り去った。

 フィーナは大きくため息をつく。

「あなたも知ってると思うけれど、私、これから課長のところにうかがう予定なのよ。フィーナも一緒に馬車で行きましょう」

 ジェシカは気分を変えるように明るく笑うと、フィーナが礼を言うより先に隣につけてあった馬車に彼女を押し込んだのだった。


 フィーナはエイプリル伯爵家のメイドだ。

 当代エイプリル伯爵ブラッド・エイプリルは、三十五歳。王立魔術院の課長を務めている。魔術院に課は七つしかないことを考えるとかなりのエリートである。

 ジェシカはブラッドの直属の部下にあたる。彼女も、弱冠二十三歳にして主任研究員を務める優秀な魔術師だ。その役職と女男爵の地位にふさわしい堂々とした態度は、自分と同い年だとは思えない。

「やあ、はじめまして。魔術陣・呪文研究課の課長、ブラッド・エイプリルだ」

「はじめまして、ユーグと申します。このたびは、結婚祝いをありがとうございました」

 応接間のソファに座るブラッド、対面にはジェシカとその配偶者ユーグ。兄からフィーナを助けてくれたこげ茶色の髪とヒゲの男性がユーグだった。

 二人は今日、ブラッドに結婚の挨拶に来たそうだ。

 フィーナは兄と遭遇した菓子店で買ってきたケーキと紅茶を並べ、壁際に下がる。伯爵家の使用人はフィーナ以外は皆、先代から勤める者でフィーナが一番若い。そのせいで、客対応はフィーナに回ってくるのだ。

「その指輪が例の魔道具かな。見せてもらっても?」

「ええ、どうぞ」

 うなずくジェシカを確認したユーグは嵌めていた指輪を触って――それが魔道具なら何かの操作をした。すると、ユーグの髪が短い金髪になり、ヒゲが消えた。

 フィーナは声をあげそうになって慌てて飲み込む。変装の魔道具なのだろう。

「へぇ、なかなかうまく組み立てたね。今期の論文はこの制作記録でもいいんじゃないか。魔術陣への言及を大きくとれば、魔道具課から文句も出ないと思うよ」

 ユーグから指輪を受け取ったブラッドは感心したように指輪を検分して、フィーナを呼んだ。

「フィーナも見てごらん」

「いえ、私は……」

「いいから、フィーナも見て。初めて作ったから、何か気づいたらアドバイスして欲しいの」

 ジェシカにも促されて、フィーナは指輪を受け取る。

 指輪としては大きめだが、魔道具と考えるとずいぶん小さい。台座と石の裏に魔術陣が仕込まれており、石を回転させて陣が重なることで魔術が発動するようになっていた。緻密な設計だ。

「すごいわ……。回転角度で三段階の陣になるの?」

「ええ、そうなの。もうちょっと小さくできたらいいんだけれど、どう思う?」

「普通の宝飾品を加工する職人に発注したらどうかしら。細かい模様を彫る技術で陣を刻んでもらえば、もっと小さくできるかも……」

「ああ、そうね。本職に頼めばいいのね」

 ジェシカに指輪を返すと、彼女はユーグに「小さく作り直す?」と聞いた。彼は「君が作ってくれたものの方が俺はうれしいね」と指輪を嵌め直した。ユーグが石を操作すると、髪とヒゲが元に戻る。

 最近結婚したと聞いたけれど、二人はうまくいっているらしい。

 ユーグは「それより」と、フィーナを見上げた。

「あなたも魔術師なんですか?」

「あ、はい。一応」

 魔術師と名乗るのに資格はいらない。ただ、ブラッドやジェシカのように王立魔術院に勤めるには専門高等学校魔術科の卒業資格が必要だった。市井で開業するにしても、卒業資格があると信頼度の面で有利になる。

 フィーナは魔術科には入学したけれど、家庭の事情で二学年の途中で退学してしまっていた。

 ちなみに、ジェシカとは魔術科で同期だった。当時はそれほど親しくしていたわけではなく、伯爵家で再会してからの付き合いのほうが密度が濃い。

「一応ですって? あんなすごい論文を書いておいて、何を言っているの。新しい魔術文字を生み出そうなんて考えもしなかったわ。ああ、そうよ。新しい文字があれば魔術陣はもっと小さくできるわよね。そうしたら魔道具も小さくできるわ。図形の応用で、現行文字を簡素化する方法で……」

 ぶつぶつと独り言を言い始めたジェシカを苦笑して見やって、ブラッドが遮るように声を上げる。

「ジェシカ、結婚生活はどうかな? 魔力の相性がいいんだって?」

「ええ、そうなんです! 肩こりが治ってすっきりですよ」

 呆れた様子でため息をつくユーグに、ジェシカはにっこりと笑顔を向けた。ブラッドは自身の肩に手をあて、

「それはうらやましいなぁ。……うーん、目の疲れも楽になるだろうか」

「課長もフィーナと結婚したらいかがですか?」

「え!?」

 皆のティーカップにおかわりを注いで回っていたフィーナは、突然の指名に素っ頓狂な声を上げてしまう。

「フィーナと課長は魔力の相性がいいんでしょう?」

「それは確かだが、そこまで縛り付けることはできないよ」

 驚くフィーナを安心させるように、ブラッドは微笑んだ。

 一方のジェシカは言い募る。

「今すぐ結婚すべきです。さっき、変な男がフィーナに結婚を迫っていましたよ。フィーナが嫌がっているのに連れて帰ると無理強いして」

「何? そうなのか……」

 正確には、兄が結婚話を持ってきたのだけれど。

 ブラッドは考え込むように、顎をさすっていた。


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