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MOON

 八.

 

「さて、俺は冬彦を運ぶ。お前は爆弾を運べ。そのキャリーバッグだ。あぁ、別にそんなに重くはないさ。お前でも運べる量だ。俺が先に行くから後からついてこい」

「どうして冬彦くんまで望遠神社にもっていくんだ?」

「神社を破壊した後の時間を稼ぐためのスケープゴート。全身が燃えるようにして、身元を特定させなければ、気の狂ったやつが自爆したように見えるだろう。その後に俺たちはセダンに乗って、ついでに赤松兄を回収し、そのまま都会に逃げおおせる」

「そんなうまくいくもんかな」

「応急処置みたいなものだから。まぁ、この神社さえ破壊できれば後は野となれ山となれだ」


 東条くんはあっけらかんとしてそう言い、トランクにいれたまま運んだことで丸まったまま死後硬直を起こした冬彦くんの間接をギクシャクといじりながら背負うと路肩に止めた車から離れてずんずんと境内へ繋がるあの急こう配の神社の階段を昇って行ってしまった。

 僕の方もローラー付きのショッキングピンクのキャリーバッグを転がしながらついていく。

 田舎の村だから夜は野生動物たちの大合唱が田畑の方から、森の方から波のように押し寄せては交じり合い原始のビートを作り上げている原始生命の領域を綱渡りのような細い一本線で縦断した車道を歩いているとむせかえるような命の暗示に自分がするタナトス的な行動が浮いているから、背筋に汗が雨粒のように浮かんだ。

 彼がもともと望遠神社に恨みを抱えていて、爆破まで視野に入れて準備を進めていたというのなら爆弾を入れたバッグはキャリーバッグじゃなくて肩にかけられるようなボストンバッグにしてくれた方が随分効率的だったのにと成り行きでついてきた身分でそう思った。

 平地ではコロコロが役立つが望遠神社の階段をキャリーバッグを持って上がるのは死体運搬に負けず劣らず細心の注意を要するし、足元が暗闇で次の段すら普段のことをおもいだして勘で踏んでいる。

一段、二段、三段。慎重に慎重を重ねて登っていく僕に対して東条くんはもう見上げるところまで行ってしまったらしい。足音が随分上の方から聞こえてくる。

暗雲が立ち込めているらしく、月も星も顔を隠して眠ってしまったらしい。肌はじんわりと湿気にあてられ、べたついていた。

僕は彼の友達として上手くやっているだろうか。彼の話を聞いて、彼に協力或いは加担をして爆弾を運んでいる状況を冷静に振り返ってみると進む足に逡巡が濡れた綿のように絡まってくる。腕に力を入れて下段にあるキャリーバッグのハンドルを持って引き上げる。

本当は車中で止められるように話をするのが良かったのではあるまいか。正しい選択はきっとそうだけど、しかし、こうして爆弾を運んでいるのは僕がある程度この村に対してよくない部分があると思ったから、それを変えたいと思ったから、肯定してしまっているのではないだろうか。

僕にとっては死んでしまうことは恐ろしい。でも、自分が何の理由もなく生きてしまうことも同時に恐ろしいことだと思っていた。

僕は心の底からこの村を破壊すべきだとは思えていない。闇の中にいるからか、肉体というものが無くなって今ここにあるのが脳みその中に閉じ込められていた精神が抜け出した状態にあるのではないかと錯覚する。人も物も生も死もない闇の中で僕は純粋に僕である。しかし、それは僕なのだろうか。人とともに暮らすために迎合してきた自分が途端に何もない世界に放り出されて自分だけが残ったとしてそこにあるのは穴だらけの不完全な自分でしかなく、そうであるならば本当の自分であっても納得できる決断はできないのではないだろうか。そんな自分が一時の迷いで彼の行おうとする行動を裏切っていいのだろうか。或いはこの暗闇を抜けた後に彼に裏切りを正当に説明することはできるだろうか。暗闇から明るいところへ出たらまたそこにいるのは本当の自分とは違う『いつもの』自分であり、それは大いに乖離している。

 僕はもう足を止めていた。足踏みすらない。ただ思考を放棄してキャリーバッグのハンドルを握っていた。

 どん、とい鈍い衝撃がキャリーバッグから腕に伝わって咄嗟に手が離れる。

 上から降ってきた何かがバッグをひったくるように駆け落ちていってやがて地面に激しい音を立てながら打ち付けられた。

 ドォン。

 キャリーバッグが爆発を起こす。

 何色もの花火が夜空に向かって打ちあがっていく。衝撃を与えただけで爆発するようなものを東条くんが僕に持たせていたと思うとぞっとする。

 鮮烈な光が神社を山事照らし、赤も青も金色の妖精の粉のように舞う火の粉が雲に隠れた星々に変わって僕たちの姿を暴く。途端に光を得た僕は姿を得て、形を得て、やがていつもの自分に戻った。

 振り返って、キャリーバッグの落ちた所をみるとそこには冬彦くんと東条くんが足や首を変な方向に折り曲げた状態で倒れていた。キャリーバッグをひったくって落ちていったものの正体は神社に潜む妖怪でも神様でもなくて、足を滑らせた東条くんだったのだ。

 血が彼岸花の咲くが如く地面に広がっていくのが見える。煙と血にまみれた東条君の顔はここからではよく見えなかった。けれども、確実に生きていないことは分かった。


「東条、くん……」


 僕は階段を降りようと一歩足を下したところでふと猛烈に嫌な予感がして境内の方を見上げた。

 花火の赤い光に照らされて、灰色の鳥居の下から姿を覗かせるだらりと伸ばされた黒い長髪の女が立っている。


「真宮寺の……」

「こんばんは。こうやってお話しするのは初めまして。私は真宮寺家の真宮寺藤壺です」


 妖艶に立つ白いワンピースを着た女がにっこりと紅を引いた湿った唇を動かして僕に笑いかけてくる。幾つもの火の光を浴びていて、その影の大きさはまるで村一つに渡るほど深く広がっているように思えた。

 脊髄から発されたアラートが彼女に近づくべきじゃないと必死になって伝えている。

 降りるべきか、上がるべきか。

 どちらにせよ、僕に良い結末は待っていないような気がした。


「神社は火気厳禁ですよ。でも、今夜は足元が暗かったので助かりました。さぁ、どうぞ。上がってきてください」


 彼女は猫のように手を小さく振って僕を招き寄せた。

 僕はもう一度階下を見てそちらに逃げようと足を進めたが、既に何人もの村人たちが階段の脇からわらわらと百足のように現れた所だった。見知った顔でさえもいて、彼女のように優しげな顔をしながら手には鍬や斧を携えて僕の方へとにじり寄ってくる。

 ゲームの一本道で引き返せないように、彼女の方に向かうシナリオが最初から決まっているようだった。

 僕は腹を決めて駆け上がった。

 ネズミが救いようがないことを知らないまま沈没する船の高いところに登るように、なりふり構わず僕は走った。

 上がり切ったところで待ち受けるのは昔から馴染んでいたあの境内なのだ。そして、その境内を支配する妖魔の類のような女が僕を待ち受けていた。


「そんなに焦らなくてもいいものを」


 彼女はほほほ、と貴族のように笑って見せた。実際この村では貴族みたいなものだ。

 東条くんの策謀は一から十まで見切られていたということなのだろうか。まさか、いや逆に、冬彦くんに兄を殺させようと裏で糸を引いていたのがコイツなのではなかろうか。そうでなければ偶発的に起きた事件を踏まえて計画が始動した神社爆破計画をこんな風に待ち受けられないはずだ。

 東条くんお手製のキャリーバッグ爆弾が今だ燃え盛りながら打ち上げ花火を噴き出すおかげで明かりには事欠かない。彼女の思惑もその表情から読み取れそうだった。


「夢野さんも東条さんもこの村の伝統を破壊しようと躍起になっていらっしゃった。私はこの村のことを守るべき立場にありますから、残念ですが、このような手を取るほかなかったのですよ。実に心苦しいばかりですが」

「どうして、僕たちが今日ここで神社に来ると分かったんですか。やっぱり冬彦くんに何かしたんですか」


 僕が推論を彼女に突きつけると彼女は少し虚を突かれたように目を丸くした後、また口角を上げた。


「まぁ、そうです。蛭子様の思い通りにならないような人物は警戒するのが当たり前でしょう。今回みたいに神社を壊すような輩というのは見れば分かるものですよ。環の外にいる人物だって。えぇ、人と蛭がまったく違う生き物のように」


 彼女はゆっくりと僕の方に近づいてくる。蛇が蛇行しながら獲物に向かってにじり寄るように。


「あなたも違う生き物。蛭子様はかつてこの村の人間に苦しめられた、だから村の人間に不完全に生まれる呪いを授けたのです。不完全なものは完全を願って死んでいく。でも、死は死、それで終わりですから。後を追ったってねぇ」


 彼女が指を差した方向に二つの小さな壺が寄り添うように木の根元に置かれていた。表面には文字が刻まれている。『夏子』と『新祐』と刻まれていた。


「偶にあなたたちみたいに蛭子様の呪いの外に生まれてくる奴らがいて、そういうやつらが村を破壊しようとするんです。だから、私は昔から気を配ってそういう人間は先に粘土に混ぜ込むようにしていたんです。今日も早めに摘めそうで良かった。それにしてもあと一歩近かったら拝殿ごと吹き飛ばされていたかもしれませんわね」


 後ずさりする僕の背を押さえつけるように壺に覆われた神木が現れる。彼女は僕が後ろを振り返った隙をついて首元にその薄い手をかけて、締めあげる。尋常ならざる力が首に加わって動脈や静脈が一気に締め上げられる。僕の顔は風船か熟れたトマトのように膨らんで赤くなったことだろう。喉元に溶けた鉄を流し込んだような灼熱が吹きつけられる。どんなに抵抗してもその手はまるで大木のようにまとわりついたまま剥がれない。


「あなたもさっさと焼いてあげるわ。お友達と一緒に混ぜて大きな一枚の皿にでもしてあげましょうか。おほほほほほ」


 彼女の微笑みが残響する。

 目の前がちかちかと点滅する。線香花火のような弾け方なのに、鼓動が耳の裏で爆弾のような音を響かせている。死がどんどんと近づいていく。


 ピカピカ。


 バクバク。


 ドドドドドドドドドン。


 その瞬間、境内にあった全ての壺から強烈な閃光が放たれあたり一帯に爆撃音が響き渡った。

 僕の足元にあった壺も全て粉々に吹き飛び、猛烈な勢い、凄まじい熱量の爆風を巻き上げる。

 首を締めあげていた彼女もろとも僕は吹き飛び、空を舞った。

 首に詰まっていた血が頭に回り、チカチカしていた視界が鮮明になる。暗闇の中に咲く、炸裂する大輪の魂の花火が境内を燃え上がらせ、拝殿を業火に染める。


「あぁぁぁぁああああ!! 神社が、蛭子様がぁぁあああ!」


 彼女は断末魔を上げながら吹き飛ばされていく。運が悪く、その吹き飛んだ方向は東条くんが転げ落ちたあの階段だ。弧を描くように吹き飛んだ彼女がどれほど火の手の上がった社殿に手を伸ばしても届くことはない。月が沈むように彼女の体は階段の下へとどこまでも落下していった。

 ことは一瞬のうちに終わった。

 これは一体誰の仕業だというのだろう。

 火傷は負ったようだったけれど、僕の体は幸いなことに骨が折れたり致命傷を受けたわけではなかった。歩くのもやっとという具合ではあるが、服が引火しなかったことが幸いした。数回咳をしたら血はでたが、たいした量ではない。

 僕たちの思い出の場所がもう二度と復活しないようにと念入りに逆巻く炎が蹂躙する。数々のご神木も、鳥居も燃え上がる。境内の真ん中だけが砂利で舗装されていたおかげで炎に巻かれていなかった。

 黄色い火炎に飲み込まれて教会のような神社はガラガラと左に傾いた。なんとかのたうち回って自分の火を消そうとする巨大な生き物の有様のようにも見えるが、もうこれは今から消防車が放水をしてももうあとには炭しか残らないだろう。

 こうして神社も灰になったなら、その灰もまた壺や陶器を焼くのに使われるのだろうか。いや、使われるというよりもそういう別の物に転生するのだろうか。

 数百年、自分だけが姿かたちを変えず、どんどんと姿かたちを変えた成れ果てを抱え込んでいた神社なわけだが、その末路はあっけないような、それでいてとびっきり派手な終わりのような気もした。

 僕たちの村は終わったのだ。

 もう陶芸家もいない。神もいない。全ての呪いが終わったのだ。

 誰の手で?

 ドォン! と火の手の上がった拝殿からメタリックレッドのバイクが現れる。ライダースーツとヘルメットを着込んだ何者かがバックドラフトの爆風を背に受けて、颯爽と現れ僕の周りを一周した後に停車した。

 僕は唾を飲み込んだ。

 まだ血の味がする。

 この人物も僕を殺そうとしに来たのか。

真宮寺の人間だろうか。


「グッドイブニング。結構派手でしょ?」


 ライダーヘルメットを被ったままその人物はくぐもった声で話しかける。あっけらかんとしてこの惨状をほめたたえる言葉を待っていた。

 パチパチと焚火が燃えるような音がしばらく響き、燃えた蛾が二匹、僕たちの目の前を通り過ぎていった。眼のあたりを隠すバイザーには炎がそのまま投影されている。彼女がつけた炎が彼女自身を彩っている。鮮烈な赤。


「え? アタシのこと分からない感じ?」

「ごめん。誰だか分からない」


 僕がそういうや否や彼女はヘルメットを脱ぎ捨てた。

 火の中にヘルメットが放り込まれる。

 そして剥き出しになったふわふわのピンク色の髪にどぎつい都会のギャルのようなメイクをしたこの村にはいないファッションセンスのご尊顔が僕の前でキリっとして現れる。

 まったくもって見知らぬ顔なのにどこか頭の中のスイッチがピコンと点灯した。が、その一点だけで答えは分からない。僕が答えるのをあぐねいていると彼女はずいっと顔を寄せてこう言った。


「夏美だけど」

「え!? 夏美ちゃん!?」


 僕は今度こそ目が飛び出す思いだった。友人が殺人を犯し、神社が爆発されるような災厄の夜にまだ驚きが続くとは思わなかった。確かに言われてみればメイクの違いや髪色の違いはあるけれども、根本的な顔の骨格周りは確かにあの夏美ちゃんだった。


「いつの間にそんな、えぇ。いつもと全然違うね。いつもどころか昔もそんな感じの雰囲気じゃなかったのに」

「アタシ気づいたの。アタシがなりたい自分ってこうだなって」

「ギャルになりたかったんだ……」

「半分正解。でも半分不正解。私この村の感じが苦手だったの。地味だし、虫とかいるし、死にたがりばっかいるし。ま、神社燃やしちゃったのはさ、ごめんってカンジなんだけどね」

「頭が痛くなってきた……あぁ、そうだ君の場合はどうして爆弾を?」

「前々から東条に貰ったものを壺の中に仕掛けておいたんだよ。随分前に仕掛けたからちゃんと起動するか不安だったんだけどさ。中身カラだってみんな知ってるから意外に開けないし、気づかれないなって思って。で、後はしかるべきタイミングでどかん!よ」


 東条くんは用意周到なタイプなんだった。

 あのキャリーバッグの方がむしろ保険だった、或いはブラフといっても差し支えなかったのだろう。きっと今日が来る前から夏美ちゃんと計画を練っていたのだ。冬彦くんを殺してしまったのは本当に運が悪かっただけで、その後は夏美ちゃんと連携を取ってこの村の破壊計画を遂行しようとしていたというわけか。

 僕のことをおとりにしようと思えば幾らでもできたはずなのに、それでも僕をあの時階段を後から登らせたのは彼なりの優しさだったのだろうか。今となってはもう分からない。


「ねぇ、ちょっと雨降ってきたわ。これ差しといて」


 彼女はそう言ってバイクにうまいこと挟んでいたビニール傘を取り出して、僕の胸に押し付けた。


「アタシが運転するから、あんた後ろで傘さしといて」

「え? 僕も乗るの、それ?」

「あんたがここで死にたくなければ」

 僕はビニール傘を見つめた。久々に手に取った。開いてみると何の変哲もない、格好よくもないビニール傘だ。でも、空に掲げればたちまちにぽつりぽつりと滴る雨を受け止めてくれる。ビニールに反射した炎の光が僕と夏美ちゃんを覆った。

「生きる。行きたい、君と一緒に!」

「じゃ乗って!」


 僕は訳も分からないまま後ろに乗ると彼女はそのまま急発進した。ぎゅるぎゅるとバイクのタイヤがものすごい回転をして、境内に敷かれた白い石を弾丸のように打ち出していく。


「しっかり私に捕まって、降りるまでは傘開かなくていいからね!」

「降りるってどこから!?」

「階段から!」


 彼女はそう言ってバイクごと鳥居から飛び出した。急こう配の階段を一段とばしどころか十段飛ばしに飛翔するバイク。爛爛とする炎を車体に反射させて飛ぶその姿は正にフェニックスの如くだ。

ふわっとした一瞬の間隔の後、臓腑が一気にもちあがる。僕は喉が潰れるほどの声を上げた。それはまるで村全体に響き渡る鐘の音のように大きく、また環状に響き渡る警笛でもあった。

 ドシン! と得も言われぬ衝撃が臀部から突き抜け、僕は彼女の腰にしがみついた。無数の細かな暴力的な振動が尾てい骨をノックする。左右どちらを見ても爆発に巻き込まれて階段から転げ落ちたらしい村人たちの死屍累々がドミノのように折り重なっている。村人たちのレッドカーペットを降りていった先には東条くん、冬彦くん、真宮寺の娘が並んで死んでいた。

 僕たちはその屍を踏み越える。文字通り。

 さようならというにはあまりに短い交わりだった。

 降り切った後はすぐさま平坦な道路に出た。路肩に止めた兄山さんの車が眠るように息を引き取る。煌々と灯台の代わりに燃え盛る神社のおかげで道に迷うことはない。道を指し示す北極星の代わりにはなっただろう。


「ど、どこまで行くの?」

「傘」

 僕はビニール傘を展開する。バイクのスピードが速いからすぐにラッパになってしまう。

「どこまでって、まずは都会かしら」

「東京?」

「渋谷とか」

「ていうか、バイク運転できるんだね」

「技術的には、ね」


 また野暮なことをきいてしまった。


「東条くんと一緒に兄山さんのところで習ったのよ」

「え? 東条くんと?」

「えぇ。彼に車の運転も教えてもらったわ。兄山さんから東条くんへ、東条くんから私へ受け継がれた運転技術よ。ちょっとした段差では転ばないわ」

「車の話だよね」

「そうよ」

「僕もその兄山さんから習えばよかった」

「あら、それならアタシが教えてあげるわ」

「東条くんに比べて荒っぽそうだから遠慮しとくよ。てか、バイクの運転荒いどころじゃないし」

「何よ臆病者。ま、いいわ。じゃあ、赤松くんから教われば、ほら彼軽トラも運転できるし」

「まさか!」

「後ろ見て見なさいよ」

「え? あ、軽トラ」


 雨がたくさん降ってきた。車道脇に潜むカエルもオケラもヒルも恵みの雨に生き生きとする。今のところ傘持ちでしかない僕でさえも雨のおかげで生き生きと傘を掲げられる。これでいいか。こんなもんで。

 後ろを振り返れば赤松くんが運転席から手を振ってくれた。相変わらず人好きしそうな顔をしているけれど、軽トラの荷台にはなにやら黒い大きな塊が乗っている。今日の発表会で見たことが合うような気がするシルエットだった。

ある意味では弟の冬彦くんが言っていたピアノへの懸念は的中していた。

軽トラでピアノを盗みだしてくるまでとは。

 助手席にはどういうわけか真昼も座っている。

 やつは窓から身を乗り出して打ち上げ花火を素手で持って空に掲げている。

ドォン!

と大きな花火が打ちあがる。

赤い赤い大輪の花火が音の響きのように環状に広がっていく。

雲間から青い月が覗く。

僕は月の方が好きだ。


「ねぇ、渋谷もいいけどさ……」

「うん」

「月に行ってみない?」

「遠くないかしら」

「遠いかもね。でも、今度は僕が連れてくからさ。月まで一緒に行かない?」


 彼女は返事を返した。

 僕はその返事だけで満足だった。

 バイクはスピードを上げる。ここから都会に出るならば山一つ越えなくてはならない。きっと夜中ぶっ通しでバイクは進んでいくだろう。それが彼女の選んだ自由だ。


 道は果てしなく続く。

 雨も暗がりも果てしなく続く。

 僕たちの日々はいつか終わりが来る。

 それまで果てしなく続く。

 打ちあがった花火を追い越してバイクはテールランプをひらりひらりと赤い蝶のように舞わせた。


 赤い光の環が闇に消える。


 僕は月明かりが照らす道の真ん中でその後ろ姿を見送った。


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