僕と真蛭/アハシマとヒルコ
五.
夢の中にいる。
壺の中にいる。
両手をどこに向かって伸ばしても最終的にすべやかな凹曲面に指先が触れる。冷たくて、少ししっとりとした陶器の肌触り。月の光が外からくぐもって聞えるけれど、それもさざ波が引いていくようにゆっくりと遠ざかっていく。
やはり僕は壺の中にいる。
どうして壺の中にいる?
僕は死んでしまったのだろうか。僕は何になってしまったのだろうか。岩楠の骨壺は中に何も入れはしない。では、その中身となった僕は一体何になったというのだろうか。
壺を内側から拳でたたきつけるが、鈍い音が響くばかりでまったくもって割れる気配もない。まるで望遠神社に置いてある大壺に入ってしまったみたいだ。
あの神社は元々別の神様を祭っていたのだ。そこに流れ着いた新しい神様を、その亡骸の壺を奉納して神社は新しく生まれ変わった。その時に大壺にはその神を―った者どもを入れて封印したのだ。神への冒涜の罪を隠匿するためにあやつらは壺の中に入れられた。そして、誰もその中身を気にするものがいないように、今まで作られた亡骸の壺は中身を入れない。大壺の中身を、望遠神社の最奥にある神の壺の中身を見ようとする不届き者が現れないようにするために。
僕は神を冒涜した。自然の摂理である変化を拒んだ。だから、こうして壺に閉じ込められてしまっただのだろう。
と、背中をぬるりとした両手でつかまれた。
もう一人、誰か入っている?
人一人しか入らなそうな大きさだと思っていたが、この暗闇の中で壺は少し広がったのかもしれない。そして、その誰かの手からは海水の匂いがした。そして、海藻のようなぬるりとした感触も。大きななめくじのような手をしている。握る力が上手く入らないのか、手は小さく震えている。この手には覚えがあった。
僕はゆっくりと振り返り、暗黒の中で目を凝らした。
すると顔がおぼろげに浮かび上がってくる。
それは真昼だった。
全身が海水で濡れていて、何故か裸だった。青白い素肌はまるで水死体を想起させるほどで、しかしながら、同時に僕を見るその眼は暗くあっても、辛うじて命を宿していた。無垢な、思惑のない意志。
「真昼?」
声をかけてみても返答はない。ただ手を僕の方に伸ばしているだけだ。
よく見ると真昼には足が無かった。下半身が有耶無耶になっていて、脚があったところは白蛇のような骨のない尻尾のようになっていた。男性器らしきものも見受けられない。
それから壺の底は水で濡れていることに気が付いた。真昼が濡れているならば、その水は壺の底にたまるというのは道理で、夢の中でも道理は通っていた。
しかし、そこには蛭がたくさんいる。蛆虫のように蠢く、いやに黄ばんだ蛭がぷっくりとして細長い体に粘液を纏わせて真昼の柔らかな下半身に吸盤のような口を張り付けて吸血している。よく見るとその胸に、腹に、臍に、二の腕に、頬に、蛭はまとわりついている。
彼が濡れているのは海水のせいだけではないのかもしれない。彼が青ざめているのは血を蛭に吸われているせいかもしれない。
僕は一匹ずつ真昼に張り付いた蛭を引きはがしていった。尾に、腹に、頬についている蛭を一匹剥がすたびに真昼は声を出すことなくただ痛みに悶えていた。
生気を失ったその目で、僕のことを何だと思っているのか、ずっと不明な視線を注いでいた。
それから僕のことを噛んだ。蛭がそうするように真昼は僕の肩を噛んだ。鋭い犬歯や太い臼歯がギリギリとのこぎりのように食い込んできて、僕は生まれてこの方感じたことのないような苦痛に襲われる。肩の焼けるような痛みに耐えながら、僕は真昼の蛭を剥がした。そうしても蛭たちは結局壺の中で蠢いているから、いくら剥がしてもキリのないことだっただろう。
やがて、全ての蛭を落としたら、真昼は噛むのをやめてくれた。じんわりと血の滲むのを感じた。壺の底で蛇が蜷局を巻くように腕も、尾も丸ませて顔を隠して寝転がった。僕は端に追いやられ壁に手を突いた。
これは真昼、なのか?
すると手をついたところから光が沸き起こってくる。壺に穴が開いたのだ。僕は差し込む光に目を細めながら、ゆっくりとその穴を覗き込む。外の世界に出られる。その期待に胸が躍った。僕が小さな穴から腕一本を外に出すと、向こう側で誰かの手に触れた。指の細く、すべやかな手に。
僕は腕を引っ込めて、外の様子を右目で見た。
外は望遠神社の景色が広がっている。
そして、真宮寺の娘がそこに立っていた。
それから花の綻ぶような、美しく残酷な笑みを浮かべていた。彼女がマッチを擦って火を穴から放り込む。途端に火炎が爆ぜた。
僕たちは燃え盛る業火の中にいる。
ここが壺の中だと思っていたら、いつの間にか炉の中に入れられていたのだ。炎の赤く、燃え盛り、海の嵐よりも鮮烈な光の大渦が肉も皮も血の一滴も残さずに焼き尽くしていく。蒸発し、全てが跡形もなく消え去っていく。炎の中で全て、全て、溶けて、消えて、灰となり、灰はやがて形を変える。
これがこの村の呪いだ。