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僕と夏美ちゃん

一.


 梅雨の季節になると夏美ちゃんは頭が重くなってよく忘れ物をする。


 髪の毛も少しぼわぼわして、栗色の迷子の毛たちが朝顔のつるのようにばらばらと小さく舞う。

 低気圧というやつが夏美ちゃんの頭を痛ませているらしい。

 他のみんなも雨の日は調子が悪そうにしている。

 僕も少し眠そうな風にして夏美ちゃんやみんなの辛さを分かったことにすることが多かった。

 低気圧のおかげで夏美ちゃんが傘を忘れると、僕が貸してあげることができる。

 雨の日は僕が傘を差すというような暗黙か、習慣がなぜかできつつあった。

 夏美ちゃんはいつも友達と一緒に帰ることが多い。

 いっぱい友達がいていつも少なくとも三人組を作っているし、多い日だと七人ぐらいになっていることもあった。僕はそんな一遍に小学校から帰るのは集団下校の時くらいしかない。

 夏美ちゃんは友達が多い代わりに特定の人とずっと一緒にいようとする女子でもない。みんなと一緒だけど、ひとりでも別にいい。

 勿論僕と一緒でもいい。

 他には赤松くんとでもいいし、東条くんとでもいい。誰とでも仲良しだ。

 でも、今日は梅雨で、低気圧で、彼女傘を忘れた。


「土砂降りだね」


 下駄箱入れの近くから学校の外の様子が見える。

 グラウンドはハゼが胸鰭を使って歩いているような泥地になっている。夏美ちゃんはその様子をぼーっと見ていた。


「雨って、好きじゃないわ」

「低気圧、でしょ。後、髪の毛が纏まらないって。僕もこういう日はゴワゴワする」

「男の子はいいじゃない。ゴワゴワでも濡れていても。普段も汗まみれなんだし」

「厳しいね……ねぇでも傘。必要じゃない?」

「そうね。今日は一人で帰るつもりだったんだけど。私ね、傘は好きなの」

「雨は嫌いなのに?」

「素敵な傘を差して雨粒を弾いて歩くの。雨が強くっても、オシャレな傘を開いてる私の方が強いって思えるから」

「そう、なんだ……僕のはビニールだよ」

「十分よ。雨は弾けるじゃない」

 僕はできるだけ綺麗に傘を開いた。それから執事がお嬢様の隣に立って傘を差しだすみたいにしてみた。小学生なりの背伸びだった。

「ビニールはパッと開いた方がカッコいいわ」

「僕のはちょっと錆びていたみたい。ねぇ、帰ろう?」

「帰りましょう。暗くなったらよくないものね」


 夏美ちゃんはこちらを一度も見ないでただ歩き始めた。

 僕の方が後は位置を調整するのだ。つかず離れず。彼女の肩を濡らさないように。どれだけ近寄ってもいいのだろう。肩と肩の間の距離は拳一個分? それとも半歩分? 


 彼女の方を見てもまったく眼は合わない。

 だけど、その眼は光を吸った雨粒のように潤んでいる。

 僕は努めて離れた。彼女のアンニュイな麗しさを見ていると側溝を滑り行く雨水のように自分も流されてしまいそうだったから。眼があったときに彼女が何を考えているのか分かったことはない。ただじれったく、言葉を真珠の粒のようにきれいに発してくれるのを待つのみだ。それでも彼女の瞳を見ていると不思議と全身が痒くなるようなことはない。雨の日の窓を見ているように落ち着くのだ。そして、頭に水が浸るような心配にかられる。つかみどころのない彼女が渓流を下るボートのようにひたすらに僕から離れていってしまうんじゃないかと。

 いつの間にか自分の右肩が巨大ななめくじを乗っけたみたいに重く湿っていった。


「ねぇ、あなたは何になりたいのか決めたの?」


 彼女は軽やかに僕の方に迫って真剣なまなざしを向けた。

 もはやその切先が刺さりそうで僕は思わず顎を引いた。


「……あなた濡れているわ」

「こんなのなんでもないよ」

「私も左肩を天に差し出すべきだった」

「そんなことしたら君は溶けちゃうよ」

「人を砂の城みたいに言うのね。貴方の方がよっぽど溶けていきそうだわ。きっとあなたはリビングにあるようなものになった方がいい」

「僕は鐘に成りたいんだ」


 鐘?

 彼女は首を傾げた。

 それは初めて彼女が僕に見せた好奇心と訝しみだった。


「鐘って、新年に鳴ってるアレ? 除夜の鐘だったかしら」

「ともかくお寺にあるようなアレのことだよ」

「ふぅん。まぁ、鐘は屋根があるから雨には濡れないわね」

「僕は燃やされて灰になったら、製鉄所の炉の中に注いでもらいたい。銅と一緒に練り上げられて今の体より十倍大きな鐘になりたいんだ。深く、深く。この村に響く鐘に」


 雨脚は強まって彼女のおでこには雨粒が魚の鱗のように浮かんでいた。

 五月中旬、風は吹く。

 湿り気を吹き飛ばせずに。




キャラクターの名前は某ゲームから取っています

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