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【連載版】違う、そうじゃない  作者:


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18/23

マナーとは

 夜になっても明るかった空が漸く暗くなってきた頃、ホテルにロイド卿が到着した。


「遅くなってすまない。もう夕飯は食べたのか?」

「当たり前でしょう。子供たちをこんな時間まで我慢させるわけにはいきません」

「そ、そうだよな」


 相変わらず夫の前では、五割増しでツンツンな夫人だ。

 でもね。この人お昼寝するときに一度お化粧落としたのに、ロイド卿がくる前にお化粧し直したんだよ。

 わたしとエヴァンは、全部見てたからね。


 夫人の口紅が塗りたてほやほやなのに気づかない鈍いロイド卿は、困ったようにチラチラとわたしを見てきた。

 なにがしたいんだこの人、とつい不審者を見る目になってしまったが、すぐにロイド卿の行動に合点がいった。


「この度は、いっしょに連れてきていただき、ありがとうございます。とっても楽しいです」


 危ない。お礼を言い忘れるところだった。

 そうだよね。子どもとはいえ招待したのに、挨拶されないなんて気に触るよね。


「それは良かった。何が楽しかったんだい?」

「き車の車りんが動くのと、エレベーターが楽しかったです」

「え?」

「……この子、絡繰が好きみたい」


 夫人がフォローしてくれた。

 絡繰というのか、覚えておこう。


「女の子なのに珍しいな。エヴァンもそうなのか?」

「えっと、はい……」


 ええー、そうかな。そんな風には見えなかったけど、勝手に決めつけるのは良くないか。


「エヴァンも『からくり』が好きかもしれないけど、もっと好きなのは橋と階段です!」


 わたしは知っている。汽車に乗っているとき、大きな橋が見えたらエヴァンは完全に見えなくなるまで目で追い続けていたのを。

 それに階段の前で十分も動かなかったの、忘れてないからね!


「建築が好きなのか!」


 ロイド卿が破顔した。

 そうか、ああいうのを建築というのか。覚えておこう。今日は覚えることがたくさんだ。


「階段に目をつけるとは渋いな。実は私も緻密な建造物が好きなんだ」

「……建築学科出身でいらっしゃったわね」

「覚えててくれたのか。そうなんだ。実はあの屋敷も私が設計したんだよ」


 どうやらカントベリーにあるロイド邸は、ロイド卿のお手製らしい。


「未練はございませんの? 私と結婚などせず、お父上の後を継いで議員にならなければ、今ごろ好きなもので身を立てていたかもしれませんよ」

「あの業界は常に飽和しているからね。参加者だけ増え続ける、椅子取りゲーム状態さ。学問として学べただけで満足してるよ」

「……お父さま。ぼくも自分のお家作れますか?」

「勉強すればできるよ」

「ティナはどんなお家がいい?」


 チラチラとわたしを見てくる姿は、先ほどのロイド卿そっくりだ。

 なんだかんだエヴァンは両親に似ていると思う。


「え? うーん、……あっ! エレベーターがあるおうち!」

「個人宅でエレベーターは中々ハードルが高いけど、君達が大人になる頃には一般化されてるかもしれないね」

「……旦那様。お食事はまだなのでしょう。ルームサービスを頼みますか?」

「ああ、頼む。」


 スッと近寄ってきたマックスさんに、ロイド卿は短く答えた。


「君達はこっちに来てから、何を食べたんだい?」

「レストランでロブスターを食べました」


 簡潔に答えるエヴァンとは対照的に、わたしは言いたいことを全部口から出した。


「大きな水そうがあるお店です! 食べたいのをお店の人に言うんです。外はまっ赤なのに、中身はまっ白でした。レモンバターをつけたら、ほっぺが痛くなりました!」

「ティナ、ほっぺ痛かったの!?」

「うん!」

「それ虫歯じゃない!?」

「ちがうよ。おいしいもの食べると、きゅーって痛くなるんだよ」

「そんなに美味しかったのか。食べてみたいな」

「でしたら、お一人でどうぞ。連日同じ店に行くなんて――「またあそこに行けるんですか!?」」


 朗報にわたしは前のめりになった。

 次は貝料理を食べたい。

 ロブスターも貝も初めてだったので、迷いに迷ったのだ。両方は無理なので、結局は夫人が好きなロブスターにしたのだが、あの子どもの拳くらいある貝の姿が頭にこびりついていた。


「……仕方ありません。初日は旦那様がいらっしゃらなかったことですし、子供たちが望むなら連日でも構わないでしょう」



 初めての貝は、不思議な食感だった。

 昨日見た大きな貝じゃなくて、もっと小さな貝がバケツのような器にたくさん入っている。

 子どもの口でも一口でいけるサイズなので、無心で食べ進める。

 これなら無限に食べられる気がする。


「ティナ。おいしい?」


 隣で昨日と同じロブスターを食べるエヴァンに聞かれたので、「おいしいよ」と言おうとしてわたしは固まった。

 ジャリっと嫌な感覚が口に広がる。


「なんかヘン……」

「どうしたの?」

「ジャリってした……これ食べて大じょうぶなのかな?」

「ああ、砂ね」

「!?」


 さして驚いた風もなく夫人に言われて、わたしは仰天した。

 料理に砂入ってるのが当たり前なの!?


「問題ない部分だけ食べて、砂だけこっそり出しちゃいなさい」と、ロイド卿。

「まあ、口から出すなんて。大したことないから、我慢して飲み込みなさい」と、夫人。


 どっち?


「君は飲み込むよう教わったのか?」

「そもそも貝料理なんて、滅多に口にするものではないので、特別誰かに教えられたわけではございませんが、はしたないでしょう」

「私もテーブルマナーとして正式に教わったわけではないが、骨と同じでこの場合は致し方ないだろう」

「お父さま、お母さま。ティナの顔すごいことになってる……」


 わたしは二度と貝を食べないと誓った。

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