第28話 会社八分確定
同棲から二ヶ月。
またもや大金を桜井から受け取った。
最終的に受け取ったものの、抵抗感を覚えているあたり、まだ救いようがあるかもしれない。ギリギリではあるが。
(そういや、最近は睡眠そこそこ取れてんな……)
どういう風の吹き回しかわからないが、夕食の残りを翌日の朝食、昼食にまわす許可が降りたのだ。
世の中の主婦からすれば、今まで許可されていなかったことに驚きだろうが。
(弁当も自分で詰めるとか言い出したもんなぁ……まあ、大した手間じゃないし、どうせ自分用の弁当作るついでだし、結局俺がやってるけど)
大した手間じゃないから。ついでだから。どちらも、もっともらしい言い分だ。
だが、真相は違う。言い分ではなく、言い訳だ。
桜井に尽くしたい、見捨てられたくない。その一心で、仕事を買って出ているに過ぎない。
「先輩、それ愛妻弁当ですかぁ?」
「自作だよ。同居人の分を作るついでだ。俺一人ならパンで十分だし」
あれからというものの、後輩は妙に落ち着いている。
ナメた態度に変わりはないが、この程度なら許容範囲。可愛い後輩の範疇だろう。
「んー、そのわりには冷凍食品とか全然入ってないですよね? 昨日も、一昨日も」
「よく見てるな」
度々このようにして、さりげなく恐怖を与える発言をしてくるのは御愛嬌。
「彼女さん、ワガママなんですか?」
「彼女じゃないが、なんでそう思う?」
「彼女じゃない……?」
後輩が当惑するのも無理はない。
彼女でもない女性と同居して、弁当まで作っているのだから。
「んー、彼女じゃないけど同棲……弁当を用意……」
「何をブツブツ言ってんだ。他の男性社員に睨まれるから、悪いけどよそで飯食ってくんねえか? ほら、課長がスマホ弄るフリして、こっち見てるぞ」
男の嫉妬とは醜いものだ。歳の近い社員ならまだしも、ハゲ散らかした役職者が、若い男女の戯れに嫉妬するなんて、地獄絵図以外の何物でもない。
「……オツさんが流してる噂、知ってます?」
「どなた?」
聞きなれない固有名詞に、思わず敬語になる糸井。
オッさんの誤字だろうか。いや、口語でその間違いはないだろう。
「お局さんですよ。ホラ、厚化粧の独身ババア」
「コラ、聞こえたらどうする」
「かばってくれるでしょ?」
「……ただ一人の後輩だからな。可愛くはないが」
どうかばうつもりなのかは知らないが、この後輩をかばうという選択肢を当然のように取れるあたり、救いようのないお人好しだ。だから面倒な女にばっかりモテる。
「可愛いって認めてくれたじゃないですかぁ」
あざとく頬を膨らますが、糸井には通じない。
「アレは顔の話だ」
「えへへぇ」
皮肉のつもりだったが、顔さえ褒められればそれでいいのか、幸せそうだ。
面倒な人間が見せるチョロさに弱い糸井。彼もまた、チョロい男である。
「で? 顔だけ可愛いお前が気にしてる噂ってなんだ?」
「もっと言ってください」
「……最初っからこういう態度だったらな、可愛い後輩だったんだけど」
「そんなに悪かったですか? 今まで」
「俺にだけキツかっただろ、この前なんか暴力まで振るってきて」
自分で掘り返しておいて、トラウマによる精神的ダメージを受ける糸井。
痛み以上に、心の傷が深いらしい。
「良かれと思って……」
「……悪意はなかった。そういうことにしてやるから、話の続きを頼む。そして、話し終えたらどっか行け」
オツさんが流している噂など、別に興味がない。だが、それと同じくらい後輩にも興味がない。早く要件を済ませて立ち去ってほしいと、そう願っている。
「ぶっちゃけ言いにくいんですけど、私が役職のジジイ達と枕してるって噂を流されてるんですよ」
「嫉妬だな。ああいう人らからしてみりゃ、若さと可愛さは罪なんだよ」
「えへへ」
別に褒めたつもりはないのだが、妙に嬉しそうだ。
同じ〝可愛い〟でも、下心丸出しの男と、つっけんどんな糸井では、言葉の重みが違うのだろう。
「悪いが俺もペーペーだからな、上司に相談してくれ。力になれなくてすまんな」
バツが悪そうに、弁当をむさぼる。どこまでお人好しなのだろうか。
当然、後輩は動揺する。
「え? 先輩、役に立てなかったことを悔やんでるんですか?」
「……傷ついてんだろ? いくら図太いお前でも」
ぶりっ子といえど、売女呼ばわりは気分が悪い。ましてや、高校を卒業したての若造だ。洗礼にしては重すぎる。
予想だにしない反応に、さしもの後輩も意表を突かれたようだ。
その噂を信じるかどうか。後輩としては、それさえ聞ければ満足だった。
それが、どうだ? 糸井は、そんな噂など微塵も信じていないし、解決できるものなら解決したいと考えている。
人間そのものに対して歪み切った価値観を持っていた後輩にとって、糸井は特別な存在に思えてならない。
「私、わかるんですよ」
「何をだい? っていうか、そろそろ飯食ったら? 昼休憩終わるぞ?」
「先輩が私に対して下心ないって」
「大正解だよ」
「なのに、なんで優しくするんですか? 酷いことしてきたのに」
酷いことだと自覚しているなら、初めからしないでほしい。
その気持ちを心の奥底にしまいつつ、ぶっきらぼうに答える。
「酷いこと? 過ぎたことだろ、んなもん」
決して、水に流したわけではない。
上司や同僚からの評価が不当に下がったこと、身代わりとして怒られたこと、ナメくさった態度や暴力、それらを水に流せるほど狂ってはいない。
責めたところで自分が損をする。ただそれだけの話だ。
「先輩……しゅき……」
「ん? なんて?」
意図、真意がどうであれ、結局は受け取り手次第だ。
出会い運の悪さには同情の余地があるかもしれないが、この結果は本人にも少なからず非がある。火の粉の払い方が下手な自分を恨むしかないのだ。
「知ってますか? 女の子をその気にさせたら、責任取らなきゃいけないんですよ」
「どの気だよ。いいからさっさと飯食えよ、自分の席で」
弁当箱を片付けて、トイレに逃げ込もうとする糸井。
危機に対するセンサー自体は敏感だが、距離が短すぎる。逃げられない段階で反応したところで、覚悟しかできないのだ。
ハッキリ言って意味がない。覚悟で乗り切れるのはプロレスラーぐらいなものだ。
「なんだ? この手は? 痛いぞ」
「一緒に食べましょうよ、先輩」
「その可愛い目は飾りか? 俺はもう食い終えた」
そろそろ学んだほうがいい。
この女に対する皮肉で〝可愛い〟という単語を使ってはいけないと。
「私のお弁当わけてあげますよ。男の子だから食べられますよね? ね?」
「話ならコーヒー飲みながら聞いてやるから、落ち着け。な? な?」
「いいから食べてくださいよ。食べさせてあげますから」
(冗談じゃねえ! 村八分くらうっての!)
会話内容までは聞かれていないが、視線自体は集まっている。
この状況で、弁当を手ずから食べさせてもらうなんてイベントが発生すれば、男性社員達から陰湿なイジメを受けるのは確定だ。
後輩を嫌っている女性社員からも、白い目で見られる。
お局、ハゲ課長コンビの嫌がらせなんて、考えるだけで恐ろしい。職権乱用されることは、想像に難くないだろう。
「先輩? この国では、女性特有の二毛作があるんですよ?」
「は? 歴史の話か?」
「いいえ、現代社会です」
女性特有の二毛作。表面化したのは最近かもしれないが、昔から存在するアコギな商売である。
なんらかの理由で体を売って稼いでいた女性が、なんらかの理由で売れなくなった時に「性的搾取をうけた」と被害者面でもう一稼ぎするという、ヤクザよりも外道なシノギだ。
「痴漢の冤罪とかわかりやすいじゃないですか。女がやったと言えば有罪なんです」
「……まあ、司法の穴というか、怠慢というか」
「たとえばなんですけど、この場で先輩のタマタマを掴むとするじゃないですか」
「やめろよ?」
軽いノリで出していい例えではない。
「繊維を検査すれば、私が掴んだことは証明されるんですよ」
「……そうだな。なぜか痴漢冤罪はなくならないけど」
「なぜかじゃありません。繊維が出ようが出まいが、触られたって言えば触られたことになるんです」
「……で?」
「当然、先輩は周りに訴えますよね? 『コイツに金玉を掴まれた』って」
「……大事になれば言うだろうな。言うのも恥だが」
「私も言いますよ。『脅されました。無理矢理オチンチンを触らされました』って」
「……周りはお前を信じるだろうな。俺がいくら痛がろうが、泣こうが」
この女に同情した自分がバカだったと、自分を呪いながら大人しく口を開ける。
後輩の料理の腕は中々な物で、その辺の一般人よりは美味しい物を作れる。ただ残念なことに、敵意のこもった視線を四方八方から浴びている糸井は、味を感じる余裕などなかった。
食べ物を食べているというより、カルマを食べているような感覚だ。
帰りの電車の中で、退職届の書き方を検索したことは言うまでもないだろう。




