37-2(ディートリヒ)
トラウザーズを履き替え、肌触りの良いシャツを身に纏う。衣装を作製するためにサイズを測った際、まだ本調子ではなく。この服が出来上がる度に調整していたため、それぞれがディートリヒの身体にぴったりだった。
(気付かなかったけど、筋肉が落ちて相当痩せてたみたいだからね。……最近はアウレリアが途中で休みをくれるし、アウレリアの髪をもらってからは魔王、……男神様も結構静かだったから。休みの間に鍛え直せて良かった)
騎士であり、護衛である。アウレリアが危険に晒された時に、病み上がりだから、などと言い訳する気は毛頭ない。休みの合間に鍛えていたため、今のディートリヒは、以前と同じくらいの体格に戻っていた。
シャツの上からジャケットを羽織り、姿見の前でおかしなところがないか確認する。衣装などに疎いディートリヒでも分かる、素晴らしい仕上がりの礼服だった。
深い、紫の光沢を持つ黒の生地は、アウレリアの黒い髪と紫の目をそれだけで表しているのだろう。裾から広がるように刺された刺繍は、光を受けた生地と全く同じ紫で、光の加減で全体が溶け込んでいるように見える。陰影だけが浮かび上がり、紫の生地に黒の刺繍が刺されているように錯覚するのだ。
(さすが、王家御用達のブティック。……俺の服の、この狭い範囲でもこんなに綺麗だから、アウレリアのドレス姿はどれほど綺麗なんだろう)
首元の薄紫のタイをしゅるしゅると音を立てて結びながら、ディートリヒはそう思い、表情を緩めた。
夜会は王城内にある広間で行われるため、ディートリヒはアウレリアの本来の私室へと向かった。そこから彼女をエスコートして、会場入りすることになっている。
衣装はもちろん素晴らしいのだが、髪は軽く梳いただけであるため、見苦しくないかどうかが少し気がかりだった。何せ、随分と伸びて来ているので。
(かといって、切りたくはないからね。……元の色が、毛先にしか残ってないから)
切ってしまえばいずれ忘れてしまう程度のことかもしれない。鉄錆のように赤かった己の髪のことなど。けれど、今はまだ、切ってしまう気にはなれなかった。
アウレリアの私室に着いたディートリヒは扉を護る護衛の騎士に声をかける。いつもならそこに自分とクラウスが立っているのだが、今日は自分がアウレリアのエスコートを、クラウスはツェラー侯爵家の後継者として夜会に出席するため、別の白騎士がその場に付いていた。確か、王太子付きの騎士だった気がする。クラウスは最後の最後まで護衛として参加すると言っていたが、そう上手くはいかなかったようである。
騎士はディートリヒの声に反応し、一度視線を向けた後、一瞬だけ動きを止め、ゆっくりと目を逸らした。近頃の白騎士たちは、こうして自分の身を護ることにしたらしい。大方、イグナーツの指示だろうけれど。
「お待ちしておりました、ブロムベルク辺境伯爵様。王女様がお待ちです。どうぞ、中へ」
視線が合わないまま、向かって左側の扉の横に立つ護衛騎士が言い、自ら部屋の中へ声をかけて、扉を開く。こちらを見ない様を少し面白く思いつつ、「ありがとう」と礼を言って、開いた扉の合間から部屋へと入った。
通されたのは、執務室の方にある客間とは違う、ごく身近な者を招くための私的な客間である。更に奥に扉があり、その向こうがアウレリアの私室であった。
「お待ちしておりました。早かったですね、ディートリヒ卿」
アウレリアもすでに準備を終えていたようで、客間にあるソファから立ち上がり、ディートリヒを迎えてくれた。背後には、いつも通り彼女の侍女たちが待機している。
ディートリヒが身に纏う衣装と同じく、黒地に紫の刺繍が入った豪華なドレス。彼女のそれには、ところどころに同じく黒のレースが飾られており、シンプルなように見えてとても凝った作りになっていた。
ベールもまた、ドレスと合わせた薄紫色。これはどちらかというと、ディートリヒのタイの色とよく似ていた。
「……とても綺麗だ」
思わず、口から零れる。ベール越しでも、アウレリアが驚いた顔になったのが見えるような気がした。ついで、その表情を綻ばせる姿も。
「ありがとうございます。本当に美しいドレスですよね」
ふふ、と笑いながらアウレリアはそう嬉しそうに言う。確かに、室内の光に輝くドレスは、あまりに芸術的だったけれど。
そこまで考えて、ふと気付いた。彼女は、自分の顔がベールに隠れており、ディートリヒの目には映っていないから、そう言ったのだ、と。
ディートリヒはそちらに歩み寄り、アウレリアのすぐ傍まで近付いた。こういう時、自分の背が彼女よりも随分と高くて良かったと思う。自分の身体が間に入れば、彼女の姿など誰からも見えないから。
「……俺の目には、ドレスだけじゃなくてちゃんと、君が見えてるよ。本当に、とても綺麗だ」
アウレリアの肩を抱き、隠すようにしながら、そのベールを反対の手で少しだけ避ける。覗き込んだ先にあった紫の目は、薄暗い中で宝石のように輝きながら、真ん丸になっていて。ついで、とても楽しそうに、彼女は相好を崩した。
毎日彼女の顔を目にしている自分には、ベールをかけていようと、その先にいつも、彼女の顔が浮かんで見えると言ったらどう思われるだろう。気味悪がられるかもしれないなと思い、ディートリヒはそれ以上、何も言わなかった。
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