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32-2(アウレリア)

 自分以外、誰もいない部屋。しんと音が聞こえそうなほどの静寂。アウレリアは何を口にするでもなく、ただ静かにそこに立ち尽くしていた。この場で一人、女神の訪れを待つこと。それが、儀式であったから。だから、大人しく目を閉じて待っているのだけれど。




(……やっぱり、女神が現れることはないようね)




 泉に入り、かなりの時間が経った気がする。うっすらと目を開けて、アウレリアは思った。やはり、あの伝承は事実ではないのだ、と。


 落胆よりも、やはりという思いの方が強く、アウレリアは小さく息を吐く。やはり、会えるはずがないのだ。この世界を創った、創生の女神に、なんて。




(『女神の愛し子』としての能力がある以上、女神が存在する可能性を完全には否定できないけれど。だからと言って、一人間に会いに来るなんて有り得ないということでしょうね)




 問題は、いつ部屋を後にするか、である。儀式の流れでは、この部屋に入った後、『女神と対話した後、民に自らが年を重ねたことを宣言する』とされている。会えなかった時のことなど書かれていないのである。だからこそ、ほんの少しだけ期待したのも事実だが。




(もうしばらくここで大人しくしていて、部屋を出ましょう)




 女神が現れない以上、対話も出来ないのだから仕方がない。これまでの『女神の愛し子』たちも、同じように考えながら部屋を後にしたのではないだろうか。それとも、自分の場合とは違い、本当に女神が現れたのだろうか。


 どちらにしろ、自分の目の前には現れなかった。それだけが真実である。




(……でも、ここは本当に心地良いわね。眠ってしまいそうだわ)




 薄くとはいえ目を開いたというのに、温かな水のおかげで、うとうとと瞼が降りそうになる。動く物は自分だけで、時が止まったような、完全な静寂のためだろうか。


 そこまで考えて、アウレリアはぱっと目を開く。温かな水は、変わらず温かく、アウレリアの身体を癒やす。静寂は確かにそこにあり、あまりにも空気は落ち着いていた。


 自分以外、誰も、何も動いていないから。




「……水が、止まってる?」




 こんこんと、泉の底から湧き出ている水のせいで、常に水面は揺れていた。ゆらゆらと、部屋の中に置かれた灯りを反射するように。だというのに。


 今はその動きが、完全に止まっていた。




(この水は、これまでずっと、絶え間なく湧き出ていたはず。なのに、なぜ、急に……)




 思い、すぐ目の前にあったはずの水源に目を向けようと、ゆっくりと顔を上げて。


 ぴたりと、動きを止めた。視界に入ったのは、白い布地。それがゆらりゆらりと、揺れている。水源だった場所の、水面で。


 それだけではない。その布地は決して、水面に広がっているわけではなくて。




「……う、そ」




 ぽつりと、呟いた。畏れと、驚愕。少しずつ視界に入り込んできたのは、とても奇妙な光景。


 いつの間に現れたのだろう。水源だった場所の水面に立つ、一人の美しい女性の姿だった。




〈ふふ。やっとこちらを見ましたね。アウレリア〉




 彼女はそう言うと、柔らかい表情で微笑む。日の光を体現したような、緩やかな金の髪。夜の月のような、深い蒼銀の右眼。左の眼は、長いその髪に隠れて、こちらからは見えない。白い肌は本当に透き通るようで、その身に纏う白いだけの布地は、不思議なほどに輝いていた。


 会ったことはない。直接見たことも。けれど、ただ一つ分かることがあるとすれば、自分は彼女を知っているということだった。それも、神殿の天井絵や、昔話の挿絵などで。その神々しい姿を知らない者など、少なくともこのメルテンス王国にはいないはずだ。


 ただ一人の、創生の女神。




「……レオノーレ様」




 呆然と呟くアウレリアに、女神は柔らかい笑みを湛えたまま、〈なあに、アウレリア〉と、嬉しそうに応えた。


 慈愛に満ちた表情。穏やかな空気。ともすれば陶然として、意識が遠のいてしまいそうだった。その鮮烈なまでの、神々しさに。


 本当に現れたのだと、呆然としていた。自分の前に、女神が。創生の神が。




〈アウレリア。私の最も愛しい子。私に何を言いたい? 何を聞きたい? あなたが感じる苦痛は、私の過ちの末。あなたの苦痛を取り除くことも、私には出来るでしょう。……あなたは私に、何を求める?〉




 女神はゆったりとした口調で、そう告げる。そのすらりとした手がこちらに伸びて来て、アウレリアの頬に触れるか触れないかの所を撫でた。


 これまでの『女神の愛し子』たちが女神に会った際、何を話したのか、何を口にしたのかは、現代に伝わっていない。しかしその誰もが、生誕祭のその後も『女神の愛し子』として生き続けていた。不思議なことに、生誕祭を終えた後は魔物の襲撃が比較的少なくなった、とも伝わっている。


 どういうことなのかと思っていたが、これがその理由だろう。歴代の、十九の歳まで生きた『女神の愛し子』たちは皆、女神に願ったのだ。この世界の平穏を。自らの『女神の愛し子』としての役目を終えることも可能だと、女神がそう告げているにも関わらず。


 そしてアウレリアもまた、同じだった。自分だけが苦痛から逃げるくらいならば、民が少しでも平穏な時を過ごせることを願う。


 兄、イグナーツから聞かされた話が事実であれば、女神の兄神たちと同じくらいの力を持つという、魔王。女神の力が魔王に及ばず、望んだ平穏が完全ではなかったとしても。民たちが少しでも、平穏であれば、それで。


 しかし今回は、少し状況が違っていた。

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