29-1(アウレリア)
「やはり、魔物同士で争っていたということか……? だが、なぜ急にドラゴンが現れる。今まで、森の外に出てきたこともない魔物だぞ」
娘であるアウレリアでさえも滅多に入ることはない、国王の執務室。客人用に用意されたソファに腰かけたアウレリアは、正面に座る国王が呟いた言葉に、「私も、今まで見たことがありません」と返した。
「大きく、強い魔物ほど、人里には降りてこないという話ですから。ドラゴンと言えば、魔物の中でも最上級に強い魔物と言います。……それに、私の見間違いかもしれませんが……」
そこまで言って、アウレリアは躊躇うように一度口を閉ざす。アウレリアの隣、同じく国王に呼び出された兄、イグナーツが、「何か見たのか?」と問い掛けてくる。
ここに来る前、夢の中で見た景色。ドラゴンは、アウレリアの身体を、その巨大な足で建物の壁に叩きつけた後、周辺の建物を破壊しながら暴走し、そのままその背にあった大きな翼で飛び去った。来た方向とは違う方角の、森の中へ。
だから、夢から覚めても平常心でいられた。恐怖はあったが、命を失ったわけではないから。そのことも、疑問だったけれど。自分の、見間違いでなければ。
「あのドラゴンは、酷く興奮している様子でした。それに、濃い色の鱗に覆われていたのですが、ところどころ深い傷があった気がするのです」
「……それは、深手を負って、森を追われたということか……?」
驚愕の声で呟く国王に続き、イグナーツが思わずというように、「ドラゴンが……?」と口を開く。彼は片道だけとはいえ、黒の森の中を通って帰って来たのだ。ドラゴンに遭遇したことがあるのかもしれない。
アウレリアは慎重に頷いた後、「おそらくは」と答えた。
「しかし不思議なことに、ドラゴンを追って他の魔物が森から出てくることはありませんでした。ドラゴンでも相手にならない程の、強力な魔物がいるということかもしれません」
「……それも、怪我をしたドラゴンに怨みをかったまま放っておくとは。いずれもう一度争うことがあっても、一切負ける気のないほどの強さの魔物が、か」
魔物の知能は、その強さと比例しているというのは有名な話であった。その最上位になるドラゴンともなれば、傷付けた相手を覚え、後々に再び襲い掛かることもあるだろう。傷付けたその場で仕留めた方が良いというのは、戦いに詳しくないアウレリアであっても予想できる。
そんなドラゴンを追い詰めるほどの魔物であればおそらく、それなりの知能を持っているだろうにそれをしなかった。強者の余裕の表れと見るのが一般的だろう。再び争うことになっても、問題ないと考えているのだろうから。
魔王と同じくらいとは言わずとも、それに準ずる強さを持つ魔物が今も黒の森に生息している。そう言っているも同然だった。
「何にしても、アウレリアが見た夢と言うならば、先の話だ。今から少しずつ調査を行っておこう。……もしかしたら、ここ半月ほどの間、弱い魔物ばかりが襲ってくる夢を見ていたのも、その魔物が仕留めていたせいかもしれぬ。イグナーツ。ここ最近のアウレリアの夢は、どのくらい先の未来のものだ?」
「おおよそで構わぬ」と、国王はイグナーツに問いかける。アウレリアが見た夢に対し、対処するための騎士を配置するのは王太子であるイグナーツの差配によるもの。そのため、イグナーツはアウレリアよりも、アウレリアの夢が現実となる時期を把握しているのだ。
イグナーツは少し考える素振りを見せた後、「およそでしたら、ひと月半からふた月程度かと」と答えた。
「もちろん、前後することもありますし、現在アウレリアが見ている夢もそうであるとは限りませんが。すでに弱い魔物しか夢に現れなくなって、半月が経ってます。現実になるのがひと月からひと月半後として、その時期までにある程度の魔物が姿を見せない程に数を減らすとしたら、半月後。……下手すればすでに、その魔物が他の魔物を襲い始めているかもしれません」
もちろん、それ自体は構わない。魔物同士で争った結果、数を減らすのならば。
問題は、その恐ろしい程に強い魔物が、人間を襲い始めるかもしれないという事実だった。その姿さえも、分からないというのに。
「早々に、調査隊を編成いたします」と、イグナーツは言った。
「姿が見えない状態では、手の打ちようもありませんから。人間を襲うにしろ、襲わないにしろ、知っておいて損はないでしょう。それでは、私はこれで」
言うが早いか、立ち上がったイグナーツは、国王に一礼した後、侍従たちをつれて国王の執務室を出て行った。言葉の通り、調査隊を組むために調整を行うのだろう。
残されたアウレリアもまた、立ち上がる。「私も戻りますね」と国王に告げ、退出しようとして。
「アウレリア」と、国王は不意に声をかけて来た。部屋を出ようとしていたアウレリアは、瞬きをしながらそちらを振り返る。まだ何か話があっただろうかと内心で首を傾げていたら、国王は先程までの険しい顔を一変させ、にっこりと微笑んでこちらを見ていた。
「お前は五日後に迫っている生誕祭と、半月後の婚約式のことに集中しなさい。もちろん、夢は見てもらうことになるだろうが……。お前にその日が来ることを心から望んでいた、私たちのためにも」
静かな言葉に、アウレリアはベールの下で微笑み、「ありがとうございます、お父様」と答えた。もう一度礼をして、部屋を後にする。
少しずつ健康を取り戻しつつある身体は、すでに一人でも安全に歩くことが出来る程度にはなっていたけれど。さっと傍らに立ったディートリヒが、「殿下」と穏やかな表情で声をかけてくるので、アウレリアは素直にその手を取った。
本当に全て、彼のおかげ。父である国王が、あんな風に穏やかに笑ってくれるのも。
『女神の愛し子』は、若くして命を落とす。十九の歳の生誕祭を行えたものは、ほんの一握りしか存在しない。
国王である父も、王妃である母も、王太子である兄も。皆、この日が来ることを切に望んでいてくれたのだろう。その話題が出ると、本当に嬉しそうな顔をする。そのことが、アウレリアはとても嬉しくて。
エスコートしてくれているディートリヒの手を、無意識にぎゅっと、握っていた。
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