25-1(レオンハルト)
昔、大喧嘩したことがある。まだ剣も上手く使えない頃に。
何がきっかけだったか分からないけれど、どうやら自分が彼を怒らせてしまったらしく。殴り合いの喧嘩に発展した。
普段は、口調は穏やかで表情も優しいから気付かれないのだけれど。
本気で怒った彼にボコボコにされたのは、良い思い出にはなりようがなかった。
怪我もそうだが、真剣に怒った彼の顔があまりに恐ろしかったのを覚えている。ただ素直に、やばいと思った。顔の良い奴を怒らせるのは良くないのだと初めて思った瞬間である。
加えて、彼は喧嘩が非常に強いわけで。多分、今でも素手で殴り合いの喧嘩をしたら、勝てないと思う。剣ならば良い勝負だろうけれど。
(……で。あの時と同じ顔してるんだよな)
視線の先には、最近になって所属が変わり、真っ白な団服を身に着けるようになった友人、ディートリヒの姿。この国の王女であり、『女神の愛し子』である婚約者をエスコートしている彼は、真っ直ぐにバルコニーの方を睨んでいる。そちらに、何か彼の気に障るものがあるらしい。
ベール越しでも分かる。王女がどこか焦った様子で、ディートリヒの気を引こうとしているようだった。
「レオン。どうかした?」
ふと声をかけられて、レオンハルトは顔をそちらへと向ける。ビアンカはレオンハルトの視線を追ったようで、先程まで自分が見ていた光景に目を向け、ぱちぱちと瞬きをしていた。
「初めて見たわ」と、彼女は呟いた。
「ディートリヒ様が、女の人にあんな風に笑うの。ほら、あの方はいつも、女の人が相手だと線を引いていたから」
ビアンカが言うのを聞いて、そちらに再び目を向ける。いつの間にか、王女の方に顔を向けていたディートリヒは、いつもと同じ、いやいつもよりも柔らかい表情で、王女に何かを伝えていた。
彼のことを昔から知っているレオンハルトでさえも、初めて見る表情だった。
「そういえば、いつの間に決まったのかしら。王女殿下とディートリヒ様の婚約って。レオンは知ってた?」
首を傾げて言うビアンカに、レオンハルトもまた首を横に振る。「いや、知らなかった」と、素直に応えた。
儀式を終え、ここに戻ってから、自分はともかくディートリヒは調子が悪く、会うことが出来なかった。王女と共にいれば眠ることが出来ると分かってからも、彼は元の黒騎士団から王族の護衛を主に行う白騎士団へと所属が変わり、言葉を交わす暇がなかった。先程、彼が王女の元へ行く前に話したのが、王女と共に彼の元へと向かった、あの日以来だったくらいである。
まあ、簡単な挨拶と、白騎士団では上手くやっているかという、当たり障りのない会話をしただけで終わったが。
「いくら儀式で功績を挙げたとはいえ、王女殿下と婚約するとはな。何がどうなってそうなったのか、さっぱり分からない」
別に、友人の婚約について細かく知りたいというわけでもないけれど。あまりにも突然なことなので、少々心配でもあるのは事実である。何かに巻き込まれていないか、とか。無理矢理婚約を結ばされているのではないか、とか。
まあ、あの顔を見れば無理矢理ではないことだけはすぐに分かるから、その点は良かったけれど。
「今度、あいつを誘って酒でも飲みに行こうか。あいつも、顔が変わって、気兼ねなく外で呑めるようになったわけだし」
婚約のこともだが、一番知りたいのは彼の頭の中の声のことである。王城に戻った時は、自分たちの声さえも聞こえていなかったようだったのに、今では普通に会話が出来ているのだから。その辺りのことも、聞けたら良いと思う。
今はちゃんと、眠れているのかということも。
「私は神殿の規則で、夜は外に出られないから……。話を聞いたら、教えてね」
ビアンカがそう言って微笑み、レオンハルトは頷く。
他にも、聞きたいことがたくさんあるから、一度くらいは付き合ってもらおうと思う。今の状態では、彼よりも自分の方が外で呑むのが面倒なのだが、以前よりは少し年も取ったので、きっと気にしなくて良いだろう。
そうして、話をしようとディートリヒと共に足を運んだ店で酒を頼み、レオンハルトだけ年齢を聞かれるのはまた少し先の話である。
気に入って頂けたら、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて頂けたら大変喜びます。




