24-3(アウレリア)
「殿下、お呼びですか?」
アウレリアのすぐ目の前、一段下の位置まで来たディートリヒは、そう言って微笑む。なぜ分かったのだろうかと、少々驚いた。同じ会場内といえど、アウレリアの位置からディートリヒがいた場所までは、そこそこ距離があったから。まさかこちらの会話が聞こえていたはずもないだろう。
不思議に思いながらぱちぱちと瞬きをした後、「殿下?」ともう一度訊ねられて、アウレリアは頷く。クラウスの手を煩わせずに済んだので、その点は良かったと思いながら、アウレリアはその場で立ち上がり、ディートリヒの方へと手を伸ばした。
「エスコートして頂けたら、と思いまして。構いませんか? ディートリヒ卿」
特に何をするわけでもないが、二人で連れ立って会場内を歩いて回れば、本当に婚約者なのだと周知出来るだろう。いわゆる、パフォーマンス的なものである。
ディートリヒもすぐにそのことを察したようで、「もちろん。俺で良ければ、いくらでも」と明るい口調で言い、アウレリアの手を取った。段を降りるアウレリアの身体を支え、そのまま自らの腕へとアウレリアの手を導く。頭一つ分以上高い位置にある顔を見上げて「ありがとう、ディートリヒ卿」と言えば、彼は嬉しそうに笑って、「殿下のエスコートが出来るだけで光栄ですので、お気になさらず」と呟いていた。
ディートリヒのエスコートを受けながら、アウレリアは会場内をのんびりと歩く。と言っても、数歩ごとに貴族たちからの挨拶を受けるために立ち止まり、また歩いてを繰り返しているため、大した移動はなかった。移動出来なかった、という方が正しいが。
言葉を交わす人々は皆、新たにブロムベルク辺境伯爵となったディートリヒの紹介を求める。婚約者が決まったといえど、最高位の貴族となったディートリヒと顔を繋いでおくことがどれだけ重要なことか、彼らは理解しているからだ。
このような場は慣れているのか、はたまたそのように装っているのか。ディートリヒは顔に浮かべた笑みを絶やすことなく、紹介を求めて来た貴族たちと言葉を交わしていた。
用意された料理に手を伸ばす暇もなく、稀に侍従たちが運ぶ飲み物を口にした程度で。かなりの人数の挨拶を受けたため、そろそろ戻ろうかとディートリヒの方を見上げた時だった。くすくすと、どこか嘲るような笑い声が密やかに聞こえて来たのは。
「以前のままなら、なんて不釣り合いなと思ったけれど、ねぇ」
「今のあの方の容姿なら。何せ、あのベールの下は骸骨みたいなんだもの。痩せてしまったあの方とお似合いよ」
「クラウス卿が『骸骨さま』の婚約者にならずに済んで良かったわ。次期侯爵様な上に、あの容姿だもの。『骸骨さま』にはもったいないわよね」
ひそひそ、ひそひそ。
囁く声は、少し先の、細く開いた窓の向こうから聞こえてくる。大方、バルコニーで休んでいる令嬢たちの内緒話だろう。風が緩く会場内に向かって吹いているため、もう少し声を落とさなければ、内緒話にはなりようがないが。
いつものことだと息を吐いて、ディートリヒの方へと顔を向ける。自分のことは慣れているから良いが、彼のことを悪く言う言葉を聞かせたくなくて、「戻りましょう」と、今度こそ声をかけようとして。
びくりと、肩が揺れた。真っ直ぐにバルコニーの方を見つめる彼の赤い目が、今までに見たことのない程、鋭く、光っていたから。
「……今、あいつら何て言った?」
ぼそりと、呟かれた言葉。普段は甘く艶のある声が、低く冷たく聞こえて、ぞくりと背筋が冷たくなる。視線を向けられているわけでもないというのに。
機嫌が悪い。今まで見たこともないくらい、本気で。
「……卿。ディートリヒ卿」
意を決して、アウレリアは声をかける。彼の視線をこちらへ向けようと、その服の裾を何度も引っ張った。「卿。……ディートリヒ、こっちを見て」と、顔をそちらに寄せて、周囲に聞こえないように彼を呼ぶ。
はっとしたように、ディートリヒはぱっとこちらを見下ろしてきた。その表情は、先程までが嘘のように、穏やかなものだった。
「ああ、ごめん。考え事をしてた。……じゃない、してました。何かご用ですか? 殿下」
少しだけ慌てたように言い直し、にっこりと笑う彼は、その前の表情を知らなければとてもかわいく見えた。もっとも、その前の表情を知っているアウレリアからすれば、あまりの表情の差に冷や汗が出そうだったが。
(これ以上ここにいない方が良いみたい。それだけは、間違いない気がするわ)
思い、アウレリアはベール越しに彼に笑みを向けると、「そろそろ疲れたので、戻りましょうか」と、やっとのことで伝えたかった言葉を伝えたのだった。
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