23-2(ディートリヒ)
一夜明け、目が覚めたディートリヒは、腕の中で真っ赤になって固まっているアウレリアに頬を緩ませつつ、身体を起こした。
いつも通りの一日の始まり。自分用の客間から出たディートリヒは、昨日言われた通り、アウレリアの部屋の方の扉の前で待機する。扉の反対側には、昨日と同じくクラウスの姿があった。
(そういえば、何で昨日、彼は俺のことを見逃したのかな)
周囲に視線を向けたまま、ディートリヒは、ふと思う。ずっと不思議だったのだ。アウレリアに心酔した第一護衛騎士の彼らしからぬ行動が。
彼は昨日、ディートリヒがアウレリアの部屋へ入る際、止めなかったのだ。それどころか、促しているようにも見えた。彼女の姿を見てこいとでも言うように。そのことが、頭の隅に引っかかっていた。
(試していた、とか? でも、何を。何のために。……いや、何のためは間違いなく、彼女のためか。彼女が夢を見て、泣き叫ぶ姿を見て、どんな態度を取るのか見たかったのかな。彼女を、傷付けないために)
クラウスならば、有り得る気がした。自分のことを気に入らないようではあるけれど、アウレリアに対する忠誠は本物だから。
そして、今この瞬間にも何も言ってこないということは、一応は合格したということだろうか。正解は分からなかったけれど、ディートリヒとしては彼が何も言わずに彼女の元へ行かせてくれたため、素直に感謝していた。
「ディートリヒ卿、こちらへ。髪に触れてみたいということでしたけれど、このくらいの量で大丈夫かしら?」
その日の昼前の時間帯。数日後に控えた、宴に向けて、髪を整えていたアウレリアにそう声をかけられた。ディートリヒの体調を思って延期されていた、『魔王封じの儀式』の成功を祝う夜会である。
昨日、髪を持つことでも魔王の声を封じるのに効果があるのではないかと話していたため、彼女はちゃんと覚えてくれていたようである。
部屋の扉の外にいたディートリヒは、開いた扉の間から声をかけられて、そちらを見遣る。植物の枝のように細い彼女の指には、彼女の人差し指程の、黒い髪の束が握られていた。
その髪の束を確認し、ディートリヒは彼女に頷いて見せる。「試してみる分には、十分かと思います。殿下」と答えれば、彼女はほっとしたような空気を纏って、「それならば、良かった」と呟いていた。
「部屋に入って来て。試してみましょう」と言う彼女の言葉に、ディートリヒは扉を挟んだ向こう側の壁に控えるクラウスに向けて、「クラウス卿、少し離れます」と声をかける。クラウスは「構いません」とだけ呟き、こちらを見ることはなかった。
部屋に入り、彼女がテーブルについた。ディートリヒもまた、彼女に促されるままに、彼女の向かい側の席へ腰かける。テーブルの上には、アウレリアが置いた彼女自身の髪の束が置かれていた。
「聖力を蓄えたペンダントでも効果があったわけですし、私の一部であった髪でも、何かしらの効果は見込めるかもしれませんね。それほど頻繁に、お譲りできるわけではありませんが……」
そう言いながら、紫色のリボンで束ねた黒髪をこちらに渡してくる。ディートリヒ両手をいっぱいに広げたくらいの長さのそれを、おそるおそる受け取った。もちろん、両手で。
それだけで、分かった。頭の中で鳴り響いていた魔王のものと思しき声が、一気に遠ざかって行ったのが。
(もちろん、彼女に触れている時ほど完璧じゃない、けど)
「……隣室の人々が騒いでいるくらい、でしょうか」
上手い例えが見つからず、ディートリヒはそう呟く。同じ部屋ではない、壁越しのくぐもった声が聞こえてくるような感覚。もちろん、壁の向こうは随分と騒がしいのだろうと分かる程度ではあるが。
それでも、ここまで声が落ち着けば、騎士としての仕事にも支障はないように思えた。
下手な例えでもなんとか伝わったのだろう。ディートリヒの言葉を聞いていたアウレリアが、ほっとしたような声で「そうですか」と呟く。少しだけ間を空けた後、「では……」と彼女は続けた。
「もう、添い寝は必要ない、ということかしら……」
ぽそり、と訊ねられた言葉。その声がいつもよりも暗く聞こえたのは、自分がそう思いたかっただけだろうか。
ディートリヒはひとまず、試すように一度目を閉じてみる。アウレリアを含め、その場にいる人たちは誰も言葉を発しなかったため、眠りに落ちるような心地になるかどうかを知りたかったのだけれど。
目を開けたディートリヒは、素直に首を横に振った。さすがに、眠るのまでは難しそうである。
(騎士舎でも、隣のやつが煩い時は眠れなかったから、そんな感じだよね。あの時は、上から枕を被って寝ることが出来たけど、この声はそんな方法じゃ逃げられないから……)
まあ、もし眠ることが出来るほどだったとしても、「眠れない」と言うが。自分もそうだが、彼女も自分がいないと眠れないというのに、彼女の傍にいない選択肢を選ぶはずがないのである。
自分のこと以上に、ディートリヒは何よりも、アウレリアの身を案じていたから。彼女の身と、心の平穏を願っていたから。
アウレリアはディートリヒの言葉に「そうですか」とまた呟いた。今度の声が明るく聞こえたのも、先程と同じく、自分の思い込みだろうか。そんなことを思った。
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