22-2(アウレリア)
背の高い彼に抱きしめられれば、当たり前だが身体全部を覆われているような気になる。恐ろしいと思ってもおかしくない状況なのに、不思議と落ち着くのは、彼がゆっくりと背を撫でてくれているからだろうか。壊れ物に触れるような、子供をあやすような、優しい手付きで。
「優しくて強い人だとは思っていたんだけどね」と、ディートリヒは呟いた。アウレリアの額が彼の胸に当たっているため、上手く彼の顔を覗き込むことが出来ない。もっとも、周囲はすでに随分と暗く、夜目の利かないアウレリアでは、彼の顔を見ることは出来なかっただろうけれど。
呆れたような、困ったような彼の声は、とても優しい色を含んでいた。
「想像以上、というより、想像を遥かに越えてたみたいだ。……ねえ。一言俺に言ってくれれば良いんだよ。それだけで良い。……ずっと傍にいてって。夢を見たくないから、放さないでって」
それだけで、願いが叶う。もう二度と、夢を見なくて済む。
恐ろしい仕打ちを受け、殺されないで済む。
それはどれほど、甘い言葉だろう。暗い誘惑だろう。
思わず身体を固くしたアウレリアに、ディートリヒは気にせずその背を撫で続ける。「何も、悪いことじゃない」と、彼は更に言葉を重ねた。
「君だけが、辛い思いをしすぎているだけ。周りの人間と同じように眠り、休み、生きて、何が悪いの? それが悪いならば、君以外の人間なんて悪党ばっかりだよね」
「もちろん、俺は一人じゃ眠れないから、違うけど」と、彼は冗談のように言ってくすくすと笑った。
確かに、彼の言う通りだ。眠って、起きて。ただそれだけの生活を望むことが罪ならば、この世に生きている人間は皆、罰を受けるべきだろう。ここでアウレリアが「二度と夢など見たくない」と言っても、誰も責めることなど出来はしない。
ただ、自分以外は。
(……そう。結局は、私自身が望んでいるの。死にたくない。でも、皆を助けたい)
「……私が夢を見たくないなんて言えば、私自身が一番、私を軽蔑します」
それだけは、確かだった。死にたくないのは間違いなく自分の本心だ。それでも、そこから逃げれば、後悔するのは間違いなく自分だった。だから、決してそのようなことを口にすることは出来ない。弱音は吐いても、それを現実にする気はさらさらなかった。
「……君は、そうだろうね」と、ディートリヒがまたくすりと笑って言う。「でもね」と、彼は続けた。
「俺は、君の軽蔑する君を、肯定する。君の弱さを、受け入れる。俺だけは絶対に、否定したりしない。君を強制的に休ませることも出来るから、心配しすぎて身体を壊す心配もないしね。だから、……俺の前でだけは、何を言っても良いんだよ」
夢を見たくないと言って嘆いても。
死にたくないと言って喚いても。
なぜ自分だけと言って恨んでも。
続けられた彼の言葉に、息が止まった気がした。心の中を見透かされた気がして。でも。
「……本当に?」
思わず、問うていた。「本当に、否定しない?」と。「失望したり、しない?」と。
「しないよ。絶対に」
応える彼の声は静かで、真っ直ぐで。
アウレリアは彼の胸元の服を両手で掴んで、顔を寄せた。
限界だったのだと思う。そう気付いたのは、後になってのことだけれど。穏やかな眠りを知り、逃げ道を得たがゆえに、余計に。
自分だけに与えられた恐ろしい境遇が、苦しくて仕方なかった。
「なんで、なんで、私が、私だけが、こんな……っ!」
まるで子供が駄々をこねる様に泣き叫ぶアウレリアの声を、ディートリヒは本当に、何一つ否定することなく、聞いていてくれた。穏やかな声で頷きながら、背を撫で、ずっと、アウレリアが眠りにつくまで。
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