14-1(ディートリヒ)
おかしな夢を見た。
何もない、本当に何もない荒れた地を、二人の男女が歩いている夢。
それだけを聞けば、おかしいところなんて何もないように聞こえるだろう。けれど問題は、その二人の内、男の方の姿と、その男が口にした、女のものであろう名前であった。
何の意味もない夢なのだろうか。しかし、それにしてはあまりにも。
「……げん、じつみ、が……」
驚くほどに、掠れた声が響いた。ゆっくりと、固まったように動かなかった瞼を開く。目に入ったのは、周囲を覆う暗闇と、その奥にある天蓋。傍らに、光が見える。そちら側の手がやけに熱くて、けれど動かそうにも、動かなかった。
ぎしぎしと音が聞こえてきそうな、錆び付いた器具のような動きで、ゆっくりと首をそちらへと向ける。視界が動き、自らの肩の下から、腕へ、そして肘、手の方へ。
「……そ、か」
がさがさとした声で呟く。そういえば、自分が頼んだのだ。いなくならないでくれ、と。
ぎゅっと掴まれた、自らの手。律儀に約束を守ってくれた相手は、ベッドに突っ伏すようにして、眠っていた。淡い火の光を反射する、長い黒髪が、白いシーツの上に波打っていた。
(……眠れないって言ってた割には、ぐっすり)
聞こえてくるのは、彼女の、アウレリアの、規則的な、健やかな寝息。
ふふっと、ディートリヒは思わず笑った。初めて言葉を交わしたあの日、まともに眠ることを許されない、と言っていたけれど。こういう時くらい、横になって、ゆっくり眠れば良いのに。だからこそ、『眠っている時に傍にいて欲しい』ではなく、『添い寝をして欲しい』と願い出たのだから。
未婚の男女とはいえ、自分も彼女も、お互い病人のようなものだから、心配することもないだろうに。
(……まあ、彼女みたいな立場の人は、そこまで警戒しないといけないんだろうな)
王女であり、『女神の愛し子』。事実であろうとなかろうと、一夜を共にすれば、相手が得るのは大きな栄誉だろうから。
素直に大変なんだな、と思いつつ、ディートリヒはゆっくりと半身を起こした。
身体はきしむようにしか動かないし、腹も随分と減っている。何よりも、眠る前に比べて、頭がすっきりとしていた。視界が開け、気分もとても良い。きっと、相当眠っていたのだろう。
「ふつ、か? みっか、くらい、かな。……こえが、でないな」
飲み物を、と思うも、自分のために用意されたと思しき水差しは、アウレリアが眠っているのとは反対側のサイドチェストの上。手を伸ばしても、届かない距離。
アウレリアを起こさないようにと気を付けながら、ゆっくりとベッドから降りる。少しふらついたが、そこまで支障はない。彼女が握っている方の手を、改めてこちらからも握り直し、軽く引く。そのまま、空いた方の手でアウレリアの身体を抱え上げた。
(かっるい……! 王族って、良いもの食べてるんじゃないの? 忙しくて眠れてないから? 頑張りすぎるタイプみたいだし、もっと周りが気を遣わないと……。こんなにか細い女の子なんだから)
あまりの軽さにぎょっとしつつ、彼女を起こさないように気を付けながら、片手で横抱きにする。以前、騎士仲間が恋人のことを、「触ったら壊れそう」、なんて言うのを聞きながら、そんなわけあるかと内心で思っていたけれど。
「ほん、とに、壊れそう」
力を入れてしまえば、崩れてしまいそうで怖かった。本当に。
そっと、そっと、と気を付けながら、ベッドの反対側まで足を進める。アウレリアを膝の上に座らせるようにして、一度ベッドに腰かけた。水差しの中にあった水を、そのまま口を付けて直接飲み干した。ふぅっと、息を吐く。
「あ、あー。……うん。少し、マシになった」
少なくとも、先程までのがさがさとした声ではなくなった気がした。
(さて、このまま起きても良いけど、どうせ真夜中みたいだし。……彼女も眠ってるし。もうひと眠りしようかな)
伸びをするように、軽く首を回す。ぱきぱきと、動くたびに身体中の筋や節々が音を立てている。
随分眠っていたみたいだけれど、まだ眠れるだろうか。そんなことを考えながら、水差しをチェストの上へと戻して再び立ち上がり、そっと、アウレリアの身体をベッドに横たえた。すう、すうと、腹部が上下し、顔の上にかかったベールが吐息に揺れている。
その様子を少し眺めた後、ディートリヒはおもむろに手を伸ばした。
「……寝にくいだろうから、ちょっとずらすね」
聞こえているはずないと理解しつつも、断りを入れて、アウレリアの顔を覆っているベールの端を指先で掴む。そろりそろりと、鼻の上辺りまで折り曲げた。いつかと同じ、いや、あの時よりもまた少し、ほっそりとした口許が現れる。
知らず、軽く眉を顰め、ディートリヒは息を吐いた。
「これからは、俺の添い寝ってことで眠れるだろうから。……ゆっくり、休んでね」
言い、握ったままの彼女の手に、軽く口付ける。そのまま、自らもアウレリアの隣で横になり、再び、目を閉じた。
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