10-1(カロリーネ)
その満月の日の夜空のように美しい、暗く青い目に、自分だけを映してほしいと思った。出来ることならば、ずっと。
「見て、ディートリヒ様よ!」
「相変わらずお美しいわぁ。平民上がりの騎士爵位なのが残念だけれど」
「でも、あの気品と所作ならば、どこかに婿養子として入られるのも時間の問題かもしれないわね」
王宮で開かれる夜会には、必ず彼が姿を現す。カロリーネが父を通して頼んだのだ。ほんの一時でも構わないから、王宮での夜会の際は、彼に会いたいのだ、と。
もしそうしてくれるならば、自分が魔法士団に所属することを考えても良いと、そういう交換条件で。
「お前が魔法士団に? ……ふむ。それなら、何とか出来るかもしれないな」
呟き、父、ティール伯爵は実際に魔法士団の団長に相談し、見事交渉に成功したのである。
一介の騎士をほんの一時夜会に出すくらい、造作もないこと。そう、魔法士団の上層部が考えるほどには、カロリーネはメルテンス王国内でも知らぬ者はいないと言われる程、素晴らしい魔法使いであった。いわゆる、天才という部類の存在だったのである。
魔法は、その種類ごとに魔法元素と呼ばれる魔力を消耗して発現する。体内で作られるその元素には七つの属性があり、その属性ごとに適性が存在する。適性がなくとも使うことは可能だが、強力な魔法を使おうとすればするほど、この適性というものが大事になってくるのだ。
普通ならば、魔法属性に対する適正は一人に一つ。稀に二つや三つの者もいるが、数が増えるほど希少な存在とされた。つまり、最大で七つの魔法属性に対する適性を持つことになる。
しかし、闇魔法と光魔法に関しては、他の魔法属性と適性が重なることがない、特殊な魔法属性であった。そのため、最大で五つの魔法属性に適性を持つ者が存在することになるが、そのような者は歴史の長いメルテンス王国においても、魔王を封じた際に国王と共に戦った、大魔法使いのみとされていた。
そんなとてつもなく稀有な存在が、誕生したのだ。それが、カロリーネであった。
「魔法士団なんて馬鹿みたい。わたくしより魔法を使いこなせていないくせに、自分たちが国内で最も魔法を極めている、みたいな顔して」
偉そうな顔をして威張り散らす彼らが、カロリーネは嫌いだった。いわゆる、同族嫌悪である。吐き捨てるように言うカロリーネの傍らにいた侍女は、彼女もまた同じように自分こそが最高の魔法使いだと思っていることを知っていたが、当然、何も言わなかった。彼女が癇癪を起せば、自分など一瞬で塵と化し、ティール伯爵家の権力をもって、行方不明の一言で処理されると分かっていたから。
そのようにして消えたティール伯爵家の使用人は、一人や二人ではなかった。娘のカロリーネだけでなく、ティール伯爵家そのものが皆、二つ以上の魔法適性を持つ魔法に優れた家門であることもその一因であろう。
ともかく、カロリーネはそういう理由で、どれだけ魔法士団に請われても、魔法士団に所属することがなかったのである。これまでは。
ディートリヒ・シュタイナーが現れるまでは。
「ああ、なんて優しいのでしょう、ディートリヒ様は。あんな、何にも役に立たない女たちにまで礼を尽くして。……やっぱり、わたくしと結ばれるべきなのよ。そうすれば、あんな風に女たちに付き纏われる心配もないもの」
約束通り、魔法士団の所属となったカロリーネはしかし、任務を選り好みしては、他人に押し付け、ディートリヒを捜して王城の外へと繰り出していた。
魔法士団の団長は、それを咎めることはなかった。彼女の持つ、五つの魔法適性を持つ天才魔法使いという肩書は、魔法士団の価値を大きく上げるもので、その上確かに、彼女は魔法士団内で最も魔法を使うことに優れた魔法使いだったからだ。
魔法士団内でカロリーネに物申せる者は、誰一人存在しなかったのである。
そんなある日のことだった。『魔王封じの儀式』が行われることになったのは。
「わたくしがそんな野蛮な旅に出なければならない、ですって? 嫌に決まっているでしょう。他の魔法使いを遣りなさいよ」
予想通りというべきか、カロリーネは団長の言葉を一蹴した。いくら天才だとしても、伯爵家の令嬢である自分が行くなんて有り得ない、と言って。けれど。
続いた団長の言葉に、彼女はその茶色の大きな目を瞠った。
「まあ、聞いてくれ。カロリーネ卿。今回の『魔王封じの儀式』には、黒騎士団から、あのディートリヒ・シュタイナー卿の参加が決定しているという話だ」
その言葉を聞いたカロリーネの行動など、分かり切っているだろう。彼女は一気に手のひらを翻し、『魔王封じの儀式』に参加する旨を、団長に伝えたのであった。
そうして集められた勇者一行の中には、カロリーネよりも格上の家門の令嬢もいた。そのため、カロリーネは周囲を牽制しながら、この機にディートリヒを自らの物にしてしまおうと考えたのである。
ディートリヒの気持ちなど、彼女にとっては重要ではなかった。ただその美しい人間が自らの傍にいてくれればそれで良い。そう思っていたのだ。だから。
「魔王を倒して、その功績で一気に彼の爵位を上げて。わたくしは爵位はいらないからと、陛下に彼との結婚を望むつもりだったのに。……あんな顔になるなんて」
魔王を影に封じたがゆえに、みるみる間に衰弱し、やつれていく容貌。影を通してとはいえ、魔王の持つ魔物特有の力、邪力と呼ばれる、魔力とはまた違う邪悪な力を浴びているからだろう。その髪は艶を無くし、色を変え、瞳すら血のように染まってしまった。
美しくないディートリヒ・シュタイナーなど、カロリーネには必要なかった。体調が良かろうと悪かろうと、興味も湧かなかった。
「せっかく、聖槍を壊して魔王を目覚めさせたのに。……はぁ。なんて悲しいのかしら」
そう。壊れたのではない。壊したのだ。自分の計画の為に。ディートリヒ・シュタイナーを手に入れる、そのためだけに。だというのに。
ディートリヒの命を奪い、また魔王がこの世界に現れるかもしれない。そのため、貴重な戦力を削ることが出来ず、魔王を目覚めさせたカロリーネの罪は、『魔王封じの儀式』による褒美を与えないという、ごくごく軽いものに留まっていた。
ディートリヒだけでなく、王太子イグナーツや勇者レオンハルト、聖女ビアンカでさえもそのことを不服に思っていたが、彼女の魔法の強さを理解しているから、それ以上の罰を与えられなかったのだ。
それさえも、カロリーネにとっては興味のない話だったが。
「どこかに素敵な人はいないかしら。……いいえ。ディートリヒ様ほどの方が、他にいるはずがないわね」
彼が元の姿に戻りさえすれば、魔王を封じる人間を監視するという名目で、すぐにでも自らの夫の座を与えるというのに。
久しぶりに自らの屋敷に戻ったカロリーネはそんなことを思いながら、のんびりと晩餐に用意されたデザートを口に運ぶのだった。
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